子ども食堂が保険に加入する価値。安心・安全な基盤があれば、子どもに”思い切らせる”ことができる。

思い切って行動するひとは、どこかで考えることをやめ、「思う」ことを断ち切って、一歩を踏み出せる。
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社会活動家の湯浅誠さんや、豊島子どもWAKUWAKUネットワークの栗林知絵子さんらが寄付を募っている。理由は明確だ。全国の子ども食堂をより安心・安全な場所にするためには、保険加入が重要だからだ。もちろん、これは安心・安全な基盤整備の一歩目でしかない。

詳細は上記サイト(CAMPFIRE)に詳しいが、最後まで読むとこうある。

「参加こども食堂は、その3年の間に地域の理解を得て、運営基盤を充実させ、4年目以降は自力で保険料を支払っていくことを予定しています。」

当然という声があるかもしれない。3年は長いという気持ちもあるかもしれない。しかし、これは覚悟を持って参加してくださいというメッセージにやさしさも込められている。4年目以降は「どうなるかわからない」というちょっと期待させるような、しかし何も約束されていないようなものではないことを明確にしているからこそ、参加にあたって4年目を意識して今日から行動することができるからだ。

サイトを読みながら、子ども食堂が安心で安全な基盤を持ったとき、そこにいる大人から子どもに対して何かこれまでとはかかわり方が変わるのだろうかということをつらつらと考えていた。そして、保険加入によって変化があるとすれば、いままで以上に子どもたちに「思い切らせる」ことができる。そういうことではないだろうかと。

若者支援分野の先駆者であるNPO法人子どもと生活文化協会の和田重宏会長から「思い切る」とはどういうことかを頂戴した。私たちは同僚や部下、子どもたちなどに「思い切ってやっちゃいなよ!」と背中を押すことがある。そしてその通り思い切った行動をするひともいれば、結局、行動することなくそのままというひともいる。その違いは何かという話だ。

「思い切る」という言葉は、「思う」と「切る」という二つの動詞が組み合わさっている。何かをしようとしたとき、ひとは往々にして考える。リスクを想定したり、動くにあたって必要なものを考えたりする。考えることは非常に重要だが、その「思う」を「切る」ことができないひとは、永続的に考え続けるか、途中で考えることをやめてしまう。一方、思い切って行動するひとは、どこかで考えることをやめ、「思う」ことを断ち切って、一歩を踏み出せる。

子どもたちは知らないことも多く、だからこそ興味や関心の思うがままに行動する。だから怪我もすれば、場合によっては命の危険にさらされることだってある。しかし、そんな小さな行動によってリスクやベネフィット(楽しさなど)が積み重なるからこそ、「思う」を慎重に深く、しかし「切る」ことで行動することの素晴らしさを積み上げていく。

子ども食堂は、大人も子どもも集える素晴らしい地域の場でありながら、これまでひとの目で安全を担保していたのかもしれない。ここで怪我をされたときの責任は個人で取らなければならない。そうなれば必然的に子どもに対して「思い切ってやってみな」とは言えない。無意識的にブレーキをかける(正しい判断)こともあるかもしれない。

今回の保険は、この「思い切ってやってみろ!」と、子どもたちの心が赴くままに行動する、チャレンジすることを大人が安心と安全を持って後押しできることであり、一緒に活動することができることなのではないだろうか。

子ども食堂が保険に加入する価値とは、子どもたちに思い切らせることのできる環境を、社会的に創っていくものなのだというのが私の理解だ。二つの形で私たちは子どもの「思い切る」を応援できる。寄付についていろいろ考えることもあるかもしれないが、ここは私たち自身も「思い切って」行動してみてはどうだろうか。

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