「沈没家族」で僕は育った。“普通”じゃない家族で育つ子供は、不幸せなのか。

24年後、息子は映画を撮った。
加納さんと穂子さん
加納土
加納さんと穂子さん

選択的夫婦別姓や契約結婚のほか、選択的シングルマザーなど、新しい家族のかたちが注目されている。

多様な家族のありかたへの理解は広まっているが、ひとたび子どもの存在が明らかになると、「一般的な育てられ方をしていない子どもが可哀想」「子どものことを考えているのか」といったネガティブな反応も散見される。

果たして、一般的でない育てられ方をした子どもは「可哀想」なのだろうか。

今回取材したのは、加納土(つち)さん(24歳)。婚外子である加納さんは、1歳のころから、母・穂子さんのほか、呼びかけをきっかけに集まった大人たち(保育人)に共同で育てられた。2歳半になってからは東京・東中野にある3階建てのアパート(通称「沈没ハウス」)に母とともに入居し、たくさんの保育人たちと暮らすことになる。

その後、大学生になった加納さんが自身の生まれ育った沈没ハウスでの生活を振り返るかたちでつくられたドキュメンタリー映画『沈没家族』は、PFFアワード2017で審査員特別賞を受賞。2018年6月末にも東京・ターナーギャラリーにて上映会が予定されている。

加納さんはどんな環境で育ち、生まれ育った環境に何を思うのか。映画の制作と合わせて、沈没ハウスでの共同保育について話を聞いた。

加納 土さん
Satoko Yasuda
加納 土さん

――大学の卒業制作で、「沈没家族」を主題にしたドキュメンタリーを制作しようと思ったのはなぜですか?

2014年、僕の20歳の誕生日に開かれた「沈没同窓会」がきっかけですね。高尾にある合宿所のような場所に30人くらいが10年ぶりくらいに集まって、スライドショーを見たりとか、みんなで酒を呑んで騒いだりしました。

沈没ハウスのことは覚えていたんですが、顔も名前も知らない人が「土はカボチャが嫌いでさー、食わせるの大変だったよ」などと口々に僕の話をしていることは、何だかとても不思議な感覚で......。

彼らや自分の育った「沈没」についてもっと知りたいという強い欲求があったので、卒業制作のドキュメンタリーの主題にしようと。

――沈没ハウスでは、どんな風に生活や子育てしていたのですか?

沈没ハウスでの生活
加納土
沈没ハウスでの生活

カオスでしたよ(笑)。建物は3階建てで、1階が広いリビングとトイレとお風呂があって、2階に2部屋、3階に3部屋あって、大きさもまちまち。それぞれの部屋に母子で住んだり、独身の男性が住んだり、行く当てがなくて困っている人が居候としてリビングで雑魚寝していたりの共同生活でした。

子育てに関して言えば、入居している人たちや遊びにくる人たちが、僕や他の子どもたちに関わってくれたのですが、統一したルールは決めていなかったです。

例えば、朝ごはんと昼ごはんも、一緒に食べる人次第で教えられるテーブルマナーが違うんだけど、どっちが正解なの? とか(笑)。そういう意味で、僕は順応性やたくさんある教えの中から自分に何が必要かを見極める能力は特訓されてきましたね。

シングルマザーを支援する側と支援される側の関係ではなく、各々が思うように接していいっていうのが特徴だったんじゃないかと思います。

――そもそも、沈没ハウスでの共同生活はどういったきっかけで始められたんでしたっけ?

母は「子どもはたくさんの大人の中で育ったほうがいい」という考えを持っていました。それに彼女自身の感覚として、両親2人だけで子育てするのは無理だと思っていたのもあって、共同で保育をする方向に進んでいったんだと思います。

最初は山くん(父)も巻き込んで共同保育をするつもりだったみたいなんですが、山くんは乗り気ではなかったし、母が山くんと反りが合わなかったこともあって、離れて住もうということになったみたいです。

――その頃はインターネットも今ほど普及していないですし、一緒に子育てする人を集めるのは大変だったんじゃないですか?

そうですね。当初は鎌倉に住んでいたのですが、まずは東中野にある上野原住宅というアパートに僕と母の2人で住んで、シフト制で共同保育をするところから始めました。

母は「だめ連」というコミュニティやシェアハウス「ラスタ庵」といった、面白い人たちが集う場所にチラシを配ったり貼ったりして、界隈の人が集まりました。これが映画の冒頭ですね。そこから派生して、だめ連界隈以外の人も多く参加するようになりました。

ただ、月1回の保育会議のときには20人が狭いアパートに集結するので、近隣問題になってしまって(笑)。そこで、大人数で住める家を探して、見つかったのが3階建ての「沈没ハウス」でした。

保育人を集めるためにつくった当時のチラシ
加納 土
保育人を集めるためにつくった当時のチラシ

――加納さんは1歳の頃から共同保育を受け、2歳半の頃からずっと沈没ハウスで暮らしていますが、物心ついたとき、自分の置かれている環境について、どういう風に感じていましたか?

沈没ハウスに住んでいたのは小学校2年生の3月までだったんですが、住んでいる間は「これが世の中一般とは異なる家族のかたちである」ことには全く気付いていませんでした。

運動会に行っても、他の子はお父さんとお母さんくらいしかいないのに、僕のところは10人くらい大人が来ていたんですけど(笑)。でも相対化することもなかったし、人と違うことに対するコンプレックスみたいなものは、少なくとも沈没ハウスに住んでいる間はなかったです。

むしろ、困ったときに甘えられる親以外の大人がいるのは僕にとっては楽でした。たとえば、母親に怒られても部屋に1人で閉じこもっているんじゃなくて、他の保育人のところに遊びに行けば甘えさせてもらえるじゃないですか。居心地がよかったですね。

なので、母親が「都会に住むのがしんどい」と言って、小学2年生の3月に八丈島に移住したときはすごくつらかったです。学校でいじめにあったことも理由の一つですが、母親が働きに出ている間は家に誰もいないですし、母に叱られても甘えられる人が他にいないので。

――映画の中で、1カ月間学校に行けなくなったというシーンもありましたよね。あのときは何かつらいことがあったのでしょうか?

つらかったわけではないんですけど、学校と沈没ハウスのギャップに適応できなくなったんですよね。小学校2年生の夏休みに母親と2人で東京から沖縄までテント旅をしたんですけれど、自由なヒッピー生活と相変わらずカオスな沈没ハウスは、整然とした学校からあまりに乖離していて、「ちょっと無理だ」って(笑)。

ただ、それは共同保育がダメだったとか、沈没ハウスがもっとマトモだったらよかったとかそういう話ではないんです。他の子だったら合わなかったかもしれないですけど、僕も入居していた他の女の子もすくすく育っていますし、沈没ハウスにネガティブな気持ちはないですね。

山くん(左)と一緒にビールを飲む土さん(右)
加納 土
山くん(左)と一緒にビールを飲む土さん(右)

――加納さんが映画を制作するモチベーションの1つに「沈没ハウス」の方のことをもっと知りたいという強い欲求があったそうですね。たくさんの登場人物の中でも、加納さんが「山くん」と呼ぶ、お父さんを撮ったシーンが印象的でした。離れて暮らしてきたお父さんとは、どのように関わってきたのでしょうか?

沈没ハウスに住んでいた小学校2年生までは、毎週末会っていました。山くんにとっても、「僕に毎週末会える」っていうのがモチベーションだったみたいで、張り切っていろんなイベントに連れて行ってくれて。5歳のときに浅草で「東宝特撮映画のオールナイト」を観たり、紙飛行機大会に出場したりとか(笑)。本当にいろいろな経験をさせてもらいましたね。

僕の中で山くんは、「たくさんいる保育人の1人ではあるけど、特別な人」という認識でした。そもそも、父親がどんな存在かもわかっていなかったと思う。当時の保育ノートにも僕が「土にはパパいないよ」と言ったとも書かれていますから。ただ、特別な存在であったことには変わりないですね。

――お父さんとは定期的に会われていたんですね。 映画を撮る前と撮り終えた後で、大きな心の変化やギャップはなかったんでしょうか?

これは映画の中では触れていないことなんですが、中学3年生のときに山くんに関して個人的にショックな出来事があって、それ以降、山くんのことを「父として」ではなく、1人の人間としてどう接していいかわからなくなってしまったんですよね。

高校卒業後に一度東京で会ったのですが、次に会ったのが撮影のときで、そのときにものすごく腹を割って話せたのはよかったと思っています。それまでは楽しいことだけを共有していたかったので、ある意味では本音を隠していた部分もあったんですけど、思っていることを伝えられた。

今後、山くんとの関係がどうなっていくのかは僕自身もわからないですが、撮影を通して言えなかったことを言えたのはすごくよかったなと思っています。共同保育にモヤモヤしながら、僕との距離をどう取っていくか模索していた山くんに出てもらったからこそ、「楽しかった思い出」に終始せず、映画としての厚みが出たとも思うので。

――映画の制作にあたっては、お母さんにも何度も会いに行かれていますよね。環境は変わりながらも、高校卒業までずっと生活をともにしていたお母さんを撮っていく中で、想いや関係に何か変化はありましたか?

高校卒業まで一緒に暮らした母・穂子さん
加納 土
高校卒業まで一緒に暮らした母・穂子さん

母親はビジョナリーというか、目指すべきものに向かっている人だと思っていたんですが、撮っていく中でサバイブするためにやっていた部分も大きいんだということがわかりました。

母のスタンスとして「楽しむこと=生き残ること」という感覚があって、その延長線上に共同保育もあったようです。それに、もう少し物理的な意味で言えば、父と離れて暮らすようになって2人きりになったときは本当に貧しかったので、そんな状況で「沈没家族」のチラシを撒いて誰も来なかったら、僕と母はどうなっていたかわからなかったですよね。その事実を知ったら、母にも保育人たちにも感謝の念がますます強くなりました。

保育人の中にも「どうせ結婚できないしさ」と思っている独身の人とか、精神的に調子の悪い人とかいろんな人がいましたが、沈没ハウスのリビングに集まれば、子どもに会えて、子どもも甘えてくれる。彼らにとっても救われた場所だったと思うし、ほんの一時期だけ成立した奇跡的な場所だったんだなとあらためて思いましたね。

Satoko Yasuda

――新しい家族や保育のかたちには「子どもが可哀想だ」という批判が集まることもあります。加納さんはいわば新しい保育のありかたで育てられた当事者だと思うのですが、そういった社会の風潮について、一個人として、どう考えていますか?

雑な言葉ですけど、気持ち悪いですよね(笑)。

わかりやすい例だと「選択的夫婦別姓」とかも、どうして人が選ぶものを尊重できないんだろうなって。他人の選択がその人にどんな嫌な影響を及ぼすのかなというのは率直に不思議に思いますけどね。

当事者として言わせてもらうと、沈没ハウスで育ったらみんながみんな楽しかったと思える保証はないですよ。一方で、核家族的な"普通"の家族のかたちが窮屈になっちゃう人もいっぱいいるので、いろんなやり方があっていいと思うし、それは何か一律に決めつける必要はないと思っています。少なくとも、たくさんの大人に囲まれて育った幼少期は、僕にとっては人生の糧です。

それに、突き詰めれば、どんな子どもも可哀想じゃないですか。たとえば、親がどんな職業だとか、どこに住んでいるだとか、収入とか、どんな料理を作ってくれるだとかの一切を選べない。子どもは親に従わざるを得ないという時点で、デフォルトで"可哀想"なので、保育の仕方だけを切り取って可哀想っていうのはどうなのかなと思いますね。

――加納さんが育った「沈没ハウス」の皆さんを一言で言うなら、どんな存在ですか?

愛すべき変人たちですよね。楽しかった。

「家族」とか「愛」とかじゃないけど、本当に楽しかったです。保育人の中には、「土を育てることに興味はないけど、楽しいから」という理由で来ている人もたくさんいるんですよ。そういう、愛を前提にしないで楽しさだけを共有している感じが僕は好きでしたね。

だから、「沈没家族」の映画をつくるときにも「家族愛」とか「家族の絆」とか「母との親子愛」っていうつくりをしないように気を付けていて。だから、すごくモヤモヤしながら土との距離感を模索していた山くんの視点がなければ、映画は完成しなかったと思っています。まぁ映画を観た多くの人からは「土が穂子さん(母)のことをめちゃくちゃ好きなのが伝わってくる」と言われてしまったんですけど(笑)。

――あえて聞きたいのですが、加納さんにとって「家族」とは何でしょう?

「家族」という概念は、僕の中にはないですね。母も、山くんも、沈没ハウスの保育人たちも楽しい思い出を共有できた大切な存在ですが、「この人は僕の家族だ」と思った人は今までの人生で1人もいないかもしれません。

僕は家族だと思える人がいないままに育ちましたけど、楽しい思い出を糧に生きているので、「家族」ってなくてもいいんじゃないかなと思うんですよね。そろそろ死語になるんじゃないかな(笑)。

もちろん、家族の絆や「私の家族はこれだ」とはっきり言える人はリスペクトしますけど、そうでないからといって気の毒がられるのは寂しいというか。「家族」という概念がわからないことも、新しい家族のかたちなのかなって思います。

***

一風変わった共同保育によって育てられた加納さん。取材の間、彼が沈没ハウスや共同保育についてネガティブな気持ちを吐露した瞬間は一度もなく、終始楽しそうに思い出を語ってくれた。

もちろん、すべての人が同じように思えたかはわからない。しかし、すくすくと育った彼を目の前にして、「彼の受けた保育は間違っている」と突きつけられる人はいないだろう。

そんな加納さんは「今までの人生で一度も「『この人は家族だ』と思ったことがない」と語った。もしかすると、生きていくうえで「家族」は必ずしも必要ないものなのかもしれない。

加納土さんが制作した「沈没家族」の上映会が、イベント「かぞくって、なんだろう?展」期間中に開催されます。「家族のかたち」を特集するハフポスト日本版も後援しています。

かぞくって、なんだろう?展

日時 :6/30(土)〜7/7(土) 10:00〜18:30 ※7/1(日)は休館

場所 :ターナーギャラリー(1階、3階、4階)

〒171-0052 東京都豊島区南長崎6-1-3

都営大江戸線 落合南長崎駅 徒歩10分/西武池袋線 東長崎駅 徒歩8分

入場料 :無料

【「沈没家族」上映会】

6/30(土)15:00~16:30(映画72分間+アフタートーク)

7/3(火)13:00~15:30(映画72分間+アフタートーク)

7/7(土)15:00〜17:30(映画72分間+アフタートーク)

イベントページ:https://www.facebook.com/events/186092032227497/

会場に足を運べない方はサイトからも観られます。https://aoyama-theater.jp/pg/2903

家族のかたち」という言葉を聞いて、あなたの頭に浮かぶのはどんな景色ですか?

お父さんとお母さん? きょうだい? シングルぺアレント? 同性のパートナー? それとも、ペット?

人生の数だけ家族のかたちがあります。ハフポスト日本版ライフスタイルの「家族のかたち」は、そんな現代のさまざまな家族について語る場所です。

あなたの「家族のかたち」を、ストーリーや写真で伝えてください。 #家族のかたち#家族のこと教えて も用意しました。family@huffingtonpost.jp もお待ちしています。こちらから投稿を募集しています。