脊髄損傷サルに歩行を取り戻させた装置

神経科学者Courtineによると、サルの反応はラットの反応とよく似ており、今回のサルを使った実験はラットでの10年にわたる研究に基づいているという。

歩行時の脚の動きに関する脳の信号を無線で下部脊椎に送信することで、脊髄を損傷したサルが再び歩けるようになった。

脊髄損傷サルは、装置を稼働させていない状態では脚を動かせないが(上)、装置を稼働させることで脚を動かせるようになった(下)。

Ref.1

脊髄損傷の治療法を研究しているスイス連邦工科大学ローザンヌ校の神経科学者Grégoire Courtineは、サルを使った研究を行うため、10年以上前から数カ月おきに北京(中国)にあるもう1つの研究室にも通っている。

もちろん、通勤は容易ではない。飛行機で北京に行き、実験をして、同じ日の晩に帰ることもあった。けれども「それだけの価値はあります」とCourtineは言う。中国は、欧米に比べてサルを使った研究の規制が緩やかなのだ。彼のチームは、北京で実施していた実験の結果をNature 2016年11月10日号に報告した(参考文献1)。

実験の内容は次のとおりだ。

まず、サルの脳に神経インターフェースを埋め込んで、脚の動きに関連した神経活動を記録しておく。下部脊椎には、脚の筋肉を動かすための電気パルスを生成する電極を埋め込んでおく。そして、脊髄を損傷して歩けなくしたサルの脳の神経活動を下部脊椎に無線で送信することにより、再び歩かせることに成功したのである。

米国オハイオ州コロンバスの非営利研究機関バテル記念研究所で麻痺患者の腕の動きを回復させる研究をしている神経科学者のGaurav Sharmaは、「今回の研究は、協調した動きだけでなく体重支持機能も回復させられることを示しています。体重支持機能は、移動運動を行う際に重要なので、素晴らしい研究だと思います」と評価する。

この治療法は、脊髄損傷により体を動かすことのできない患者に恩恵をもたらす可能性がある。一部の技術についてはCourtineがスイスで臨床試験を開始していて、2人の脊髄損傷患者が被験者となっている。

ファインスタイン医学研究所(米国ニューヨーク州マンハセット)の生体工学者で、脊髄損傷を迂回する医療機器の研究をしているChad Boutonは、「この研究は、麻痺患者のための臨床研究と、新たな生体電子工学治療の選択肢を大きく広げるのに役立つでしょう」と期待する。

ラットから霊長類へ

今回の成果は、突然の大躍進というわけではなく、これまで積み重ねてきた研究を一歩前に進めたものだ。Courtineによると、サルの反応はラットの反応とよく似ており、今回のサルを使った実験はラットでの10年にわたる研究に基づいているという。

研究チームはまず、健康なサルにトレッドミル(室内歩行機)の上を歩かせ、歩行中に脳から脚の筋肉へと伝えられる電気信号経路の詳細な地図を作製した。そして、脳からの信号が脚の筋肉に伝わる前に通過する下部脊椎を詳しく調べて、歩行時に特に強く活動する点をいくつか特定し、脊髄を損傷したサルの下部脊椎のこれらの点で信号を再現した。

Nature539, 177-178 (2016)

サルの脳には微小電極アレイが埋め込まれており、下部脊椎には電気パルスを生成する装置が埋め込まれている。微小電極アレイは、脊髄損傷前に脚の動きと関連していた信号を拾って解読する。下部脊椎の装置は、無線で送られてくる脳からの信号を受信すると、微小な電流を発生させて脚の筋肉を動かすという仕組みだ(「サルの歩行能力を回復させる」参照)。

研究チームはサルの歩行能力を回復させる実験に何度も失敗していたため、「目の前でサルが歩き始めた時には、室内にいた全員が歓喜の声を上げました」とCourtineは振り返る。サルの脚の動きのリズムは完全ではなかったものの、脚を引きずることはなく、体重を支えるのに十分なだけ協調した動きができていた。

科学者たちはこれまでにも、脳を読む技術を使って、麻痺のある人々がロボットアームを動かしたり、自分で飲み物を飲んだり(Nature ダイジェスト 2012年8月号「進化した脳制御型ロボットアーム」参照)、自分の手を動かしてテレビゲームをしたりすることを可能にしてきた(Nature ダイジェスト 2016年6月号「脊髄損傷患者の脳と手をつなぐ技術」参照)。

Courtineによると、麻痺した脚の筋肉を活性化させる脳の信号は、手や指を動かす信号ほど複雑ではないという。けれども、腕や手の動きはわずかな改善でも患者の助けになることから、脚を動かす研究よりも評価を得やすい。

「物をつかむ能力が少し改善するだけで生活の質は変わりますが、歩くような脚の動きだけできるようになっても大して役に立ちません。脚については、歩けるか、歩けないかのどちらかしかないのです」とCourtine。彼は現在、サルを使った研究により、脚の筋肉をもっとうまく制御する方法の開発に取り組んでいる。目標は、サルが自分の体重を支えるだけでなく、バランスを保ち、障害物を避けられるようにすることだ。

ヒトへの応用

Courtineは、この技術をヒトに応用する場合にはもっと複雑になるだろうと考えている。ヒトでは、脳の信号を解読する作業が格段に難しくなるからだ。Boutonはヒトへの応用が難しい理由として、今回のサルの研究では、脊髄を損傷する前に脊髄の電気的活動を記録しておき、これを「再現」することにより脚の動きを回復させたことを挙げる。

「この手法は、すでに脊髄損傷を負っている人では実用的ではありません」。

Sharmaは、今後の研究では歩行を構成する他の要素も考慮する必要があるだろうと言う。例えば、今回のサルで難があった「リズミカルな歩行」は、別のニューロン集団によって制御されている。また、麻痺患者が歩行できるようになるための理想的なデバイスには、

①脳-コンピューター・インターフェース、

②筋肉を活性化する電気刺激、

③体重支持を補助するための外骨格様デバイス、

④歩行の制御を可能にする高度な電気信号処理の4つが必要だ。

Courtineはヴォー州立大学病院(スイス・ローザンヌ)で、協調歩行の刺激を補助して麻痺患者のリハビリを行う臨床試験を開始した。これまでに2人の患者が下部脊椎に電気パルス発生装置を埋め込む手術を受けている(今回の臨床試験では患者の脳に微小電極アレイを埋め込むことはしないため、患者は自分で動きを制御できるようにはならない)。

Courtineはスイスでの臨床試験を進めながら、今でも定期的に中国に通っている。有望な結果を出した彼は、スイスの霊長類研究所で5匹のサルを使用することが認められたが、実験的な研究の一部は依然として北京でしかできないからだ。

霊長類研究を歓迎する中国の姿勢は、この国に大きな利益をもたらすだろう、とCourtineは言う。「今後、中国のトランスレーショナル医療は飛躍的な進歩を遂げるに違いありません」。

Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 1 | doi : 10.1038/ndigest.2017.170102

原文:Nature (2016-11-09) | doi: 10.1038/nature.2016.20967 | Brain implants allow paralysed monkeys to walk

David Cyranoski

参考文献

  1. Capogrosso, M. et al. Nature539, 284-288 (2016).

【関連記事】

Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 1 | doi : 10.1038/ndigest.2017.170110

Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 1 | doi : 10.1038/ndigest.2017.170117

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