感染者バッシングに「『ムラ』の臭い」を感じた。自警意識が根付く日本社会に、若新雄純さんは問いかける

「新型コロナによって起きた中傷は、ウイルスという見えない『怖い物』を排除するための『白黒つける』行為ですよね。『コロナ後』の社会に必要なのは、『白黒つけない教養』だと思います」

新型コロナウイルスが引き起こしたのは“病い”だけではないーー。

感染した人へのバッシング、個人情報を特定するようなネットの書き込みなどの中傷や差別が起きている。人々の心の奥にある、うすぐらく、攻撃的で排他的な部分を確かに刺激しているのだ。

地域社会でも、感染者の自宅への投石、県外ナンバー車への嫌がらせ、教員が感染した大学の付属高に通う生徒たちへの中傷など、報道されているだけでも枚挙にいとまがないほどの事案が確認されている。

「『ムラ』の臭いを思い出した」

福井県出身で「地元が好きで愛着が強い」と話す若新雄純さんは、福井県と東京都を行き来しながら地方行政にも関わってきた。「農家の孫」「田舎の長男」として育った若新さんには、代々地域の土地を守ってきた人々の生き様と、感染者へのバッシングに、ある共通の心理が見えるのだという。

今回のことで、学ぶことの大切さを痛感したという若新さんにその真意を聞いた。

「『守るため』に排除することにつながってしまう“モラル”ではなく、今必要なのは、新しいステージに入った時代を生きるための“教養”だと思います」

若新雄純さん
若新雄純さん
HuffPost Japan

<若新 雄純 (わかしん ゆうじゅん)さん>

福井県若狭町出身。慶應義塾大学大学院修了。同大特任准教授のほか、会社代表などを兼任。大学では「創造するコミュニケーション」を研究しており、全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高校生がまちづくりを担う公共事業「鯖江市役所JK課」、週休4日で月収15万円の「ゆるい就職」など、実験的なプロジェクトを多数企画・実践してきた。

テレビ朝日「大下容子ワイド!スクランブル」などにコメンテーターとして出演している。

<インタビュー取材は、オンラインで行いました。若新さんの写真は2019年に撮影したものです>

真偽不明の感染者に関する情報が、SNS上を飛び交った

若新さんの地元は福井県だ。写真は福井県庁、福井城址に建っており堀に囲まれている(2019年撮影)
若新さんの地元は福井県だ。写真は福井県庁、福井城址に建っており堀に囲まれている(2019年撮影)
時事通信社

福井県では、地元の有名企業の社長が新型コロナウイルスに感染した。SNSなどで誹謗中傷が相次いだことについて、社長自身が回復後に「社員やその家族までもがつらい思いをしていることに心を痛めている」と記者会見で説明したことを地元紙の福井新聞が報道している

若新さん自身も、真偽不明の「県内の感染ルートまとめ」がネットを通じて県民間で出回っているのを目にしたという。福井県での勤務経験のある筆者も、複数の県民から真偽不明の感染者に関する情報が、SNS上や地域で流れているという話を4月以降、耳にしてきた。

「これが福井県だけの話かというと、そうではない。出演しているラジオで、他県のリスナーからも『うちの県でも起きている』というメッセージが来ました」と、若新さんは明かす。

「日本の至る所で、みんながまるでコロナ感染を犯罪かのように扱い、証拠・情報集めをしている。殺人などの犯罪だって、捜査機関が調べるものであって、一般の人が調べることではありません。それなのに、犯罪でもないことを一般の人が『正義』の名の下に勝手に行動する状況は、間違った情報で人を陥れかねない」

「こういう指摘をすると、『感染しているのに外出した“危険な人”を許すのか』というようなことを言われるのでしょうが、どんなことがあっても、市民の手で社会的に犯人扱いするということは認められるべきじゃない」

こういった自警活動は、近代社会でやることではないーー、そう表現した若新さんは、こう続けた。

「僕は今回の件で、『ムラ』の臭いを思い出しました」

「農家の孫」「田舎の長男」として育ち、見てきた地域社会

若新雄純さん
若新雄純さん
HuffPost Japan

若新さんが言う「『ムラ』の臭い」とは、どういう意味なのか。

若新さんは福井県南部の若狭町(旧上中町)出身。合併前は人口8000人ほどの小さなまちで、若新さんは「農家の孫」「田舎の長男」として育った。育った場所は四方を山に囲まれた谷あいで、信号も自動販売機もなかったと振り返る。

「僕は、ばあちゃんからは『何より土地を守れ』と言われて育ちました。農民は土地を失ったら食べていけないですから、土地を大切にします」

「農業というのは、知らない土地に突然行って、できるものではありません。地域のみんなで、みんなの田にきちんと水がいくように、時間をかけて調整していくんです。土地をみんなで守り、自分の田だけに都合が良いように勝手に水を引く人がいないかも監視してきた。それに、畑から大根が盗まれても、すぐに警察が捜査して犯人を見つけてくれるとも限らない。みんなで自警するしかないんです。今の時代、農業に従事している人は減っていますが、僕は自分の育ったまち、そして日本社会の根底に、こういう農村の価値観があるのを感じてきました」

「自警して土地を守る」姿と、コロナで起きた排他的な言動が重なって見えた

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Punnarong via Getty Images

地域社会で見てきたのが、「自警して土地を守る」人々の姿だったという。

「地元の人は知らない車を見かければ、『知らん車やな』ってすぐに言いますよ。『変なもん、じいちゃん、ばあちゃんに売りにきたんちゃうか』って警戒して、自分たちを守るんです。そして、平穏を脅かしそうな新しい物は排除し、不調和の元を『あれのせいだ』と断定的に責めることで、『ムラの規律』を守ってきた。決してこのやり方を推奨する訳ではありませんが、これはそんな農村的な生活のために作られていったやり方だと思います」

地域を守るために「外から来たモノ」に厳しい目を向ける人たちの気持ちと、新型コロナによって起きた排他的な言動に同じ「臭い」を感じたのだという。

「今回もそうですよね? 感染者がまるで『犯人』かのようにバッシングされた結果、それを見て『外出自粛をしよう』と思った県民は多かったと思います。人を『叩く』ことで、古くて後ろ向きな方法で結果的に地域を守っているんです」

「でもね、これってネットもテレビもなく、口コミしかなかった時代に、『推定有罪』を前提に排除でコミュニティを守ってきた方法ですよね。別の手段がなかった時代の方法です。それをまだやっているの?って話なんですよ。本来、現代社会にあてはめちゃいけないやり方だと思うんですよ」

学ぶべきことは「モラル」ではなく「教養」だ

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Benjavisa via Getty Images

だから、学ばなきゃいけないって話なんですよーー。と若新さんは続ける。そして、学ぶべきことは「モラル」ではなく「教養」であると強調した。

「勝手に『犯人』を決めつけて排除する行動には『モラルが低い』って感じる人もいるでしょう。でも、本人たちは『正義』、つまり『モラルが高い行動』だと思っています。新型コロナに関しても、県外ナンバーに石を投げたり、不確かな感染ルートに関する噂話をネットに書き込んだりする人は、『正義』だと思っているでしょう」

では、若新さんが必要だと考える「教養」とは、どういう学びのことなのか?

「学ぶって、安易な結論を出さないためのものでもあると思っています。『自分は一方的にしか見えていないんじゃないか?』『もっと別の情報があるんじゃないか?』『こんな行動をしたら、こうなってしまうんじゃないか?』と想像力を持ちながら、答えが出ない情報とじっくり向き合う力、それが教養だと僕は思っています」

「理不尽に人を傷つけず、かつ自分を守る方法は、学ぶことでしか得られないと思います。他者を中傷している暇があるなら、新型コロナに関する専門家の話を注意深く聞いて、よく考えてみるべきなんです」

「僕は地元が好きで愛着が強いし、土地も大事にしたい。生まれた街を出て生きる選択肢があるのと同じように、地域に残って支えあう生き方を選べることも大切だと思っています。しかし、今回思い出した『“ムラ”の臭い』は忌まわしく感じています。今回のことで、『なんのために学ぶのか』を、僕は改めて考えさせられました」

#コロナシフト 「安易に白黒つけない社会に」

若新雄純さん
若新雄純さん
HuffPost Japan

新型コロナによって突きつけられた、地域社会に、そして日本各地にある排他的な「臭い」。この問いを私たちが自覚した先に、若新さんが期待する社会の変化はある。

「新型コロナによって起きた差別・偏見・中傷などは、ウイルスという見えない『怖い物』を排除するための『白黒つける』行為ですよね。しかし、『正義』のために、差別やマイノリティの立場をないがしろにすることが起きてはいけないはず。安易に白黒つけない社会になって欲しい、と思っています」

働き方、住む場所、家族の形…現代において生き方は多様化した。それは人や立場によっても異なり、無限とも言える。それにより、白黒つかないことと向き合わないといけない場面が増えているのだと若新さんは指摘する。

そして、多様さに対応するということは、手間がかかり、単純化もできない作業だ。単純化できないという難しさは、新型コロナウイルスにも当てはまると説明する。

「新型コロナも、新しいものですから、それにまつわるあらゆる事象が単純化できない。それなのに、『自分たち』を守るために、白黒つけて単純化しようとし、思考停止している。その癖はもうやめたい」

「見たことのない車に乗ってきた人が悪いことをしに来たという可能性がある一方で、地域を活性化する新しいアイデアを持って来たという可能性もゼロじゃない。『悪くなる可能性がある物』を全て排除していたら、変わっていけないじゃないですか。白黒つけずに、色んな可能性を考えて学ぶことを繰り返していけばいい。『コロナ後』の社会に必要なのは、そういった『白黒つけない教養』だと思います」

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