満員電車で通勤する旦那と家で働く私は、所詮「他人同士」。

結婚しても1つにはなれない。
えるあき

私は3社と契約するフリーランス。

旦那は一般企業の営業マンだ。

それぞれの「働く」

彼は毎日定刻に出勤する。満員電車に乗って他人のため息を浴びながら。

私は彼を見送ったらパソコンを開き前日のツイートの動きを確認する。

彼はオフィスで書類をつくったり営業先へ出向いたりしてるはず。

私も彼と同じようにデータを解析してレポートを作りクライアントのオフィスに顔を出す。

彼は疲れた顔をしながら満員電車に揺られて家に帰ってくる。

私は満員電車に乗らない。

Macbookとネットがあれば、どこでも私のオフィスになる。

残業なんて言い出したらきりがない。

彼は土日休みだ。私は土日も作業をする。

できるだけ土日は彼と一緒に過ごせるように金曜日に土曜日〜月曜日までの仕事をするけど、3日間分の仕事を1日で片付けるのはしんどい。

だから、結果彼を放置して仕事をする。

えるあき

「働く」の基準ってなんだろう

彼と私の大きな違いは職場が「会社」か「家」かってだけ。

なのに、仕事を家でしているせいで、私が「遊んでる」と言う。

旦那にとって「働く」ことは「満員電車で通勤」、「会社に8時間缶詰」、「残業をする」ことだから、それに当てはまらなければ「働いていない」ってことになる。

でも、そうじゃないよ。

もう2018年だよ、いろんな働き方があるんだよ。

私も多様な働き方をしている1人だよって伝えてるけど伝わらない。

だから「家にいるならこれぐらいやっとけよ」と洗い物をためたキッチンを指さされると悲しくなる。

人に厳しくなるメカニズム

「仕事というのは事に仕えるということだ」

新卒当時に尊敬している人から言われた一言。

今でもずっと頭の片隅に置いている。

正社員、パート、バイト、インターンどんな形式であれ、事に仕えていればそれは「仕事」なのだ。

何が問題かというと、彼がいまいち私の仕事を理解していないということ。

人って理解できないものに対して厳しくあたる気がする。

だから、彼が理解できるように私の仕事を伝えないといけない。

これは私がやらなくちゃいけないことで、彼がする努力じゃない。

えるあき

「わかってほしい」は意地悪だ

理解できないことを「わかれ」「考えろ」というのは単なる意地悪だ。

理解してもらう立場の人間は、理解してもらうための材料を集め、提供する。

理解する側は受け取った材料を料理して、美味しく食べて頭の深いところに落とす。

この2つの努力が合わさって、相互理解につながるのだと私は思う。

だから、今は私の番、彼に理解してもらうために材料を集める。

「あなたが出勤した後、私はね」と1日のスケジュールや仕事の予定、今どんなクライアントを抱えているか、きちんと伝えないといけない。

そこからは彼の番だ。

私が明示したものを理解して、今後の対応を考える。

彼に努力してもらうのはそこから。

わかった気になると道は途絶える

結婚っていうのは全く違う環境で生きてきた人間が共同生活をすること。

相手をわかった気になった瞬間、相互理解への道が途絶える。

今回「家にいるならこれぐらいやっとけよ」と彼に言わせたのは、間違いなく私。

「きっと彼ならわかってくれてる」と甘えの心があった。

だから、そう言われて悲しむのは私の我儘。

相手があっての自分の生活なのだから、尊重しないといけないよね。

旦那だって所詮、他人。

理解を求めるなら、他の人と同じような手順を踏まないといけないわけだ。

他人を変えるのは難しい、だったら自分のスタンスを変えればいい。

もしかして、すんなり自分を変えられる相手って限られているのかも。

えるあき

(2018年3月28日noteより転載)

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