コロナ時代という「暗闇」とどう向き合うか。「暗闇ごはん」が気付かせてくれること

暗闇のなかでごはんを食べるワークショップがある。
アイマスクを着けてごはんを食べる参加者たち
アイマスクを着けてごはんを食べる参加者たち
HUFFPOST JAPAN

参加者全員がアイマスクを着けて、ごはんを食べる。そんな一風変わったワークショップがある。その名も「暗闇ごはん」。

暗闇のなかで食事をすることで、明るい場所では気付かない発見ができると話題を呼び、2月には書籍化も果たした。考案したのは、東京・浅草の緑泉寺の住職、青江覚峰(あおえ・かくほう)さんだ。

2月中旬、記者が実際に「暗闇ごはん」を体験しに行った。

暗闇ごはんを初体験

食事が運ばれてくるのを待つ参加者たち
食事が運ばれてくるのを待つ参加者たち
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アイマスクを着けるとまず襲ってきたのは恐怖と、なんとも言えない心地の悪さだ。

お皿の位置を手探りで確認し、箸先に神経を集中させて食べ物を口に入れる。グラスを倒してしまわないだろうか、お皿に乗っていた食べ物は全て無くなっただろうか。不安になり、アイマスクを外したい衝動に駆られる。

しかし、時間の経過とともに暗闇にも少しずつ身体が慣れ、食べることに集中できるようになっていった。

「暗闇ごはん」では、アイマスクをした参加者の前に料理が一品ずつ運ばれてくる。参加者は食べたものを想像し、その印象を周囲の人と話し合う。メニューは、ただ美味しいだけではなく、気付きや学びが得られるよう、一つ一つ工夫が凝らされている。

野菜のテリーヌ
野菜のテリーヌ
青江覚峰さん

中でも最も印象に残ったのは「野菜のテリーヌ」というメニューだ。

お皿が運ばれてくると、青江さんから「このテリーヌには何種類の野菜が入っているでしょう。グループで考えてください」というお題が出された。

まずは匂いを嗅ぎ、舌先で野菜の形や質感を一つ一つ確認しながら、咀嚼する。

「この舌触りはレンコン?」。同じグループの4人とああだこうだと言い合いながら味わう。

すると、誰かが「ブロッコリーが入っている」と言い出した。

テーブルのメンバーも「確かにそうかも」と同意し始める。私は「あれ、ブロッコリーなんて入っていたっけ」と内心首を傾げながらも「多分、さっき食べた菜っ葉がブロッコリーの葉だったんだろう」などと納得する。

食べ終わると正解が発表された。

なんと、私たちが「ブロッコリー」だと同意したものは、実際は「菜の花」だった。

「暗闇ごはん」を体験する記者
「暗闇ごはん」を体験する記者
HUFFPOST JAPAN

暗闇で気付く、私たちの「流されやすさ」

「情報が不十分ななか、確からしい情報や意見が流れてくると、人は深く考えず追随してしまう」青江さんはそう指摘する。私たちのグループで起きたことが、まさにそうだった。

同様のことは実際の社会でもよく見かけないだろうか。たとえば、上司など組織の権力者から指示を受けて動くときや、SNSのタイムラインに流れてくる情報をリツイートやシェアするとき。多くの人が、そんな指示や情報を逐一、疑ってかかったり、確認したりはしない。しかし実際は、それが適切でない指示だったり、フェイクニュースだったりすることは多々ある。

暗闇の中で可視化されたのは、人間のそんな「流されやすさ」だった。

《自分は見えない状況にいるのではないかーー。常に自己を疑い、ものごとをフラットに見ようと意識するのは非常に大切です》青江さんはそう語る。

実はこんな気づきこそが、実は「野菜のテリーヌ」の裏テーマだったのだという。

私たちはいかに「見た目」で判断しがちか

トマトの透明スープ
トマトの透明スープ
青江覚峰さん

「暗闇ごはん」は、気付かず内在する「バイアス(偏見)」をも露わにする。

たとえば、暗闇ごはんで出される「トマトスープ」。このスープ、トマトをこして作られたものだが、見た目は透明だ。

青江さんによると、暗闇では、ほとんどの人が「トマトスープ」と即答するという。しかし、アイマスクを外してもらって「透明なスープ」を見せると、「パプリカではないか」「きゅうりだ」などと答えが変わってくるそうだ。

トマトは「赤色」であるはず。そんな思い込みから、多くの人が「見た目」に惑わされて判断を誤ってしてしまうのだという。

「透明なトマトスープ」が気付かせてくれるのは、私たちのそんな「アンコンシャス・バイアス(無意識な偏見)」だ。

青江さんは「普段の仕事や人間関係で、目の前の人を性別や肌の色など見た目でジャッジしていないでしょうか」と問いかける。

参加者は、自分の判断を疑ってみること、そして一つの情報だけではなく色々な視点から見る大切さを学ぶ。

コロナ時代という「暗闇」とどう向き合うか

NurPhoto via Getty Images

参加者が「暗闇ごはん」を通して気付かされるのは、私たちが生きている世界の不確実性だ。暗闇のなかでごはんを食べるという体験が、明るい世界における「暗闇」を浮き彫りにする「メタファー」となっているのである。

たとえ「見えているつもり」でも、人間である以上、いつも正しい判断できる訳もなく、バイアスからは逃れられない。そして、未来は誰にも見通せないし、確かな真実はどこにもない。

私たちは常に「暗闇」に生きていると認識すること。それが「暗闇ごはん」が伝える本質的なメッセージだ。

昨今の新型コロナウイルスの急速な感染拡大は、私たちが暗闇に生きていることをまさに象徴している。世界がこんな状況に陥ると、半年前に誰が「見えて」いただろうか。

それでは、私たちは暗闇とどのように付き合っていけばいいか。4月上旬、青江さんにオンラインで取材をした。

青江さんは「暗闇の恐怖を忘れないことが大切」だと話す。

常に「一寸先は闇」ということを意識して、もしものために備えること。同時に、それは日々を一生懸命生きることでもある。仏教に「一日一生(一日を一生のように生きる)」という考え方があるように、毎日を楽しく豊かに生きていく姿勢を大事にしてほしいと青江さんは言う。

「暗闇ごはん」で参加者に語りかける青江覚峰さん
「暗闇ごはん」で参加者に語りかける青江覚峰さん
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一方で、社会全体が「暗闇」の渦中にいるときこそ、平常時には見えなかった視点に気付く可能性もあるという。まさに、暗闇で目隠しをされると、視覚以外の「四感」が研ぎ澄まされるように。

「暗闇にいると、人は必死に自分なりの正解を導こうとします。たとえば、新型コロナで普段通りの働き方ができなくなってしまいましたが、多くの企業がオンラインでの働き方にシフトしました。私も在宅で仕事をしていますが、自宅で会議もできますし、こうして取材を受けることもできます。実は今、私の隣で娘が勉強しているんですが、家庭と仕事が両立できるという発見もしました。今回の件で、社会も『仕事は会社でするもの』というバイアスに気付いたとも言えます」

そして青江さんはこんなメッセージも送る。

『一寸先は闇』というとネガティブに聞こえますが、逆に『一寸先は光』でもあります。こんな状況ですが、世の中をどう良くしていこうかと考えることで『一寸先の光』も見えてくるのではないでしょうか」

『人と組織が変わる 暗闇ごはん』
『人と組織が変わる 暗闇ごはん』
徳間書店

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