「報道のわかりやすさ」とは? 「華氏119」を観て考えたこと

「わかりやすく」という言葉に伝える側が逃げていないか。
映画「華氏119」を手がけたマイケル・ムーア監督
映画「華氏119」を手がけたマイケル・ムーア監督
Paul Morigi / gettyimages

2001年9月11日。世界中を震撼させたアメリカ同時多発テロを境に、アメリカのみならず世界の歴史は大きく変わった。それから15年後の2016年11月9日。前日に行われたアメリカ大統領選挙の投票結果をうけて、ドナルド・トランプ氏が勝利宣言をする。

ドキュメンタリー映画「華氏911」で、同時多発テロ事件に対応したブッシュ政権の内実を暴き、ボロクソに批判したマイケル・ムーア監督が満を持して世に放つ新作ドキュメンタリー「華氏119」の試写を観た。(11月2日公開)

「どうしてアメリカはこんなことになってしまったのか」

「華氏119」は小難しいニュースの解説や、新聞の社説では心に響いてこない疑問への答えを、腰がぬけるほどの衝撃をもって突きつける。実際、見終わった後、映像の持つ力に圧倒されて、これまで幾度となく大統領選挙取材を続けてきた自分が、アメリカの何を観てきたのかという気持ちがよいほどの無力感におそわれた。どこまでネタばれしていいんだろう。とにもかくにも、トランプ氏が大統領になるかもしれないというコメディが、現実に大統領になってしまったというホラーに様変わりする経緯と、理由のすべてがこの映画にある。

「華氏119」を観て、映画の本筋とはすこし離れるのだけど、私は「わかりやすさ」という言葉の意味をいま一度考えるようになった。最近やたら耳にする「わかりやすく」という言葉。「わかりやすくお伝えします」「ニュースをわかりやすく」。わかりやすく伝える努力をすることは当たり前で、わざわざ宣言することなのか。複雑な事象をVTRや時にはスタジオでパネルなどを使ってわかりやすく伝えようとする。こうした努力や試行錯誤は大切だ。しかし、「わかりやすく」という言葉に伝える側が逃げていないかと自問自答する。このニュースはわかりづらいから取り上げづらい、というように。

「世の中の大事なことは、たいてい面倒くさい」とは宮崎駿監督の言葉だが、SNSであらゆる人が情報の発信者となる時代に、ニュースで求められる「公平」や「わかりやすさ」が対応できなくなっている。人種、宗教、国家、それぞれの立場にそれぞれの「正義」や「真実」がある時代、伝えるべき大切なことはとても複雑だ。わかりやすく、公平に伝えることは難しいし面倒くさいから、もっと「わかりやすい」ニュースを伝えるよう、あるいは「面倒」な部分に触れないように逃げていないか。これは日々、自分に問いかけていることだ。

トランプ大統領の出現も、宗教、経済格差、人種、移民、大企業、ウオールストリート、それぞれの立場によってストーリーは異なり「面倒くさい」。そして、超リベラルな立ち位置のムーア監督の映画が、アメリカのすべてを語っているわけではない。しかし、現代のようにあらゆる意見や情報が日々溢れかえる中にあって、誤解を恐れずにいえば、時に「公平」にこだわることで、核心や本質に迫り切れないことはないのか。

リベラルなムーア監督が、自分の故郷であるミシガン州フリント市で起きた水質汚染問題で、共和党系の州知事による対応を批判すべく事実を取材していく過程で見えてきたのは、皮肉なことにオバマ大統領そして民主党政権の裏切りだった。ムーア監督は言う。「トランプは僕たちのフランケンシュタインで、僕たちはフランケンシュタイン博士だ」。

共和党支持者から見れば到底「公平」には見えないムーア監督の取材による事実の積み重ねは、結果的に支持者層さえもが抱き始めた民主党政権への不信と失望を映し出すことになった。「華氏119」は「面倒くさい」ことを、「事実」という圧倒的な映像の力によって、遠い国の人間にさえ一瞬にして理解させる。テレビや映像報道に求められる「わかりやすさ」とはそういうことなのだと私は思う。

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