色白に憧れて... 私は美白化粧品に取り憑かれていた。

色白の肌に憧れたフィリピン人女性。自分の褐色肌を受け入れるまでの道のりを語る。
鏡に映るフィリピン人女性 イメージ写真
鏡に映るフィリピン人女性 イメージ写真
Iya Forbes via Getty Images

長く蒸し暑いある日の午後、私は「ミルク浴」をした。フィリピンのセレブたちがミルクを浴びて肌の白さを保っている、と近所の人たちの噂で聞いたからだ。キッチンへ走り、粉末ミルクを缶からすくい(牛乳は高すぎるので)、洗面器に入れて水と混ぜ、手桶でドロドロした液体を体にかけた。奇跡が起きて、自分の「カユマンギ色(フィリピンのタガログ語で褐色の意)」の肌が白くなると信じて...。もちろん、思い通りにならなかったけれど、数分間は肌がミルクのように白くなり、自分のことを「綺麗」と感じられた。

『色白=美』という価値観で育つ

私が子供の頃といえば、テレビに出るフィリピンの有名人は色白で、カユマンギ色の肌をした有名人の出演は少なかった。外で遊んでいると、近所の人たちから大声で「肌が黒くなるから家の中で遊びなさい」と叱られた。

日焼け止めを塗って、なるべく日差しを避けるようになった。怖かったのは皮膚がんではなく、肌が黒くなることだった。肌が日に当たらないよう、タートルネック、ジャケット、レギンスといった格好をしていた。

化粧品などは必ずSPF値が高く、美白成分を含んだものを買っていた。近所の化粧品店では売っていなかったので、取り扱いのあるアジア食料品店までわざわざ行って購入していた。ラベルの成分表示にじっくり目を凝らして、美白成分を探していた。高校3年生になる頃には、すっかり美白化粧品に取りつかれていた。

白くなりたくて苦しんでいたのは私だけではない。ヒューストンを拠点に活動するファッション・インフルエンサー、メラニー・モンディゴさんはハフポストにこう語っている。「極端に『白人』への憧れが強いフィリピンで育ったので、美白化粧品は完全に暮らしの一部でした。化粧品は全て、美白成分を含むものしか買いませんでした。しまいには美白を謳う錠剤を服用してみたり、ピーリングまでしました」

幼いころから誤った美の基準を刷り込まれていたため、私やモンディゴさんのような人たちは肌を白くしようと努めるのは当然だと思っていた。14歳の私は、自分の肌が褐色でニキビだらけなのにウンザリしており、美しくなりたいと願っていた私を、美白は力づけてくれた。

誤った価値観は、植民地支配時代から

植民地支配の名残と褐色を恥じる感情が相互作用して、フィリピンの社会階級が築かれていった。16世紀にスペイン人がフィリピン諸島を植民地にしたとき、肌の色を基準とした階層が出来上がった。浅黒い肌は野外で重労働をする農民や労働者を連想させるものとなり、色白の上流階級は日光を浴びて働く必要がなかった。今日でも肌の色を基準とした階層構造があり、フィリピン社会に悪影響を及ぼし続けている。

「フィリピンにおける権力と特権には独特な様相があります。テレビなどのメディアや政治の世界などでは、肌の白い人たちを多すぎるように感じます。そのため肌が白くない人たちは『劣っている』『場違いだ』という考えが浸透しているのです」とサンノゼ州立大学の社会学・アジア系アメリカ人研究を専門とするジョアン・L・ロンディリャ助教授は述べた。

色白の人たちが過剰に表現されるという点を象徴する出来事として、ミス・ユニバース2018が挙げられるのかもしれない。フィリピンとオーストラリアのハーフで色白な、カトリオナ・グレイさんがフィリピン代表として優勝したときは、欧米文化の優越性を表す例として取り上げられた。一方でカユマンギ色の有名人は、更なる成功を目指して人工的に肌を白くしている。ある人気歌手は、脇下の皮膚を美白し、美白製品を扱う企業のコマーシャルに出ている。白くなめらかな肌に対する極端な憧れが、カユマンギ色が嫌悪され、色白肌が異常にもてはやされる悪しき風潮を助長するのだ。

肌の色がもたらす影響

肌の色で社会経済的優越性が決まるという信念は、フィリピン人に様々な形で影響を与えている。アラスカ大学でアラスカ先住民コミュニティ心理支援プログラムを率いる、心理学のE.J.Rデービッド准教授はいくつかの影響を指摘した。

まず、私のような多くの人たちが買ってきた美白製品全てがそう。「苦労してお金を稼いでも、石鹸・クリーム・錠剤などの美白製品に使いこみ、美白クリニックにお金をつぎ込んだり、肌を白くする点滴を受けたりする人もいるでしょう」とデービッド准教授は話す。

さらにはフィリピン人自身が美しい母国を避ける、というのも1つの影響だという。「日焼けしないように日光を避ける人もいるかもしれません。子どもがいる場合は、日光を避けるように、と言う場合もあるでしょう... 次世代の子供たちに、生まれつきの褐色の肌ではダメなんだというメッセージを送るのことが、親にとってどれだけ悲しいことでしょうか」

しかし、事態はそこにとどまらない。「肌の色が濃い人たちへの差別もあるでしょう。友達にならず、交際せず、一緒に働くことを拒否したり、一切の接触を避けたり」とデービッド准教授は続けた。「それだけでなく、私の研究によるとフィリピン人の心の健康にも影響が出るようです。このような差別的な考えを持つ人たちは自尊心が低く、うつ症状を患いやすくなる傾向が大きいという結果が出ました」

うつ病になるくらい白い肌を執拗に求めることは、褐色肌のフィリピン人をさらに追い詰めることとなる。

就職活動の為に「美白」

また、フィリピンでは、白い肌に対する強迫観念は生活の社会的側面だけでなく、職場にも浸透している。ほとんどの仕事の面接では「容姿」試験がある。採用担当者が候補者の服装・身長・髪の色・肌の白さに点数を付けるのだ(多くのフィリピン人客室乗務員の肌が白いことにお気づきだろうか?)。 就職活動をする人たちは、求人市場で「目立つ」ために肌を白くすることさえある。

劣等感が肌の色にとどまらないフィリピン人もいる。フィリピン系アメリカ人のファッション・インフルエンサーJNELVも、思春期に褐色の肌を嫌う気持ちが芽生えた。彼女はハフポストに「思春期に肌の白さが足りないと思っただけでなく、鼻が低いことでいじめられました。叔母たちと祖母が私の鼻を30秒くらいつまんで、高くしようとしていたんですよ!高校卒業後にストレスのたまる理想像から抜け出せて、すごく自信がわきました。それから、フィリピンの典型的な美の基準を聞き流し、気にしないようになりました」

変わり始めた美の価値観

思春期に美白化粧品を使いたいという気持ちを抑えるのは大変だった。サンフランシスコのフィリピン文化地区SOMA Pilipinasを訪れ、南カリフォルニア大学に通い、優生学、奴隷・移民問題などの本を読んだりして初めて、理想の美しさに対する私の見方が変わり始めた。

私はようやく、自分の肌の色が農民や漁師の女性達、母親・娘・リーダーたちが活躍した村の遺産であることに気がついた。先祖から受け継いだ褐色の肌を好きになり、長くさいなまれた悪夢から穏やかに目覚めた。コーヒー色の肌を乳白色のお湯に浸した後、肌が褐色のままでも平気になった。この奮闘を通じて、心の中に長年抱いていた嘘を消し去り、真実を受け入れることができた。真実とは、私の肌は褐色で、私は大切な存在であり、私は美しいということだ。

ハフポストUS版の記事を翻訳、編集しました。

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