特集
2019年02月13日 23時32分 JST | 更新 2019年06月11日 12時09分 JST

24歳、ゲイのふたり暮らし、結婚に対する思い。

日本にも同性婚をーー。2月14日、13組の同性カップルが国を相手取り、全国で一斉に提訴する。

日本でも同性婚が認められ、「だれもが結婚するかしないかを自由に選べる社会」をつくりたい。そんな願いを込めて、2月14日、13組の同性カップルが国を相手取り、全国で一斉に提訴する。

まだまだ「同性を愛すること」に風当たりが強いこの社会で、立ち上がってくれた原告の同性カップルのみなさんに、心から感謝を伝えたい。そして、私もこの社会で生きるゲイの一人として、この訴訟を全力で応援したいと思っている。

結婚ーー。耳慣れしているこの言葉は、私にとって、「自分とは関係がない遠いもの」であり、同時に「常に社会と自分を隔てる、薄いカーテンのようなもの」でもあったように思う。

あらためて、結婚とは何なのか。私の同性のパートナーとの暮らしや、結婚に対する思いを率直につづってみたい。

SOSHI MATSUOKA
TOKYO RAINBOW PRIDE 2017 にふたりで参加した

「端に追いやられる感覚」

私には同性のパートナーがいる。付き合い始めたのは約3年半ほど前で、一緒に暮らしはじめて1年になる。

知り合ったきっかけは、ゲイやバイセクシュアル男性が使うマッチングアプリだ。同じ大学の一つ上の先輩だったことや最寄駅が同じなことなど、共通点が多かった。付き合いはじめたのは大学3年生の夏。出会って3ヶ月ほど経った頃だった。

彼は、社会から「端に追いやられる感覚」を、身をもって経験してきた人だった。

私は、ゲイであることを理由に悩むことはあったけれど、周囲にも恵まれ、比較的大きなつまづきもなく、これまで生きてこれたと感じている。

一方、バイセクシュアルを自認しているパートナーは、中学時代、いじめを理由に不登校を経験している。セクシュアリティだけでなく、宗教の面でも日本ではマイノリティに属する信仰を持つ人だ。

そうした経験や属性を持つ彼だからこそ、常に人の痛みに敏感で、優しい。「生きづらさは他者への優しさに変えることができる」と教えてくれた彼に、私は次第に惹かれていった。

 

ふたりで暮らすこと

SOSHI MATSUOKA
2018年初夏、パートナーの25歳の誕生日

約1年前、大学の卒業を目前に、ふたりで一緒に暮らすことを決めた。

私は家族全員にカミングアウトしており、パートナーを実家に連れて行ったこともある。一方で、パートナーは家族全員にはカミングアウトしておらず、私と一緒に暮らすことは「友人とルームシェア」というかたちで伝えている。

家探しでは、最初に行った不動産屋で、男性ふたりのルームシェアを断られた。二軒目では早々に「念の為おふたりの関係を伺えますか? ソッチ系ではないと思うんですけど」と揶揄された。

結局、都内の2DKの部屋を借りることになったが、書類の間柄の欄に「友人」と書いた時は、なんとも言えない気持ちになった。

間取りとしては、廊下を挟んで両サイドに部屋がある。不動産の担当者から「プライベートは完璧なので、いつでも(女性を)連れ込めますね!」と言われた時に、とっさに出た自分の生ぬるい笑い声が今でも耳に残っている。

 

同じ立ち位置、違うアプローチ

SOSHI MATSUOKA
葉山の海

パートナーと私、性格や人となりが似ているかはよくわからない。ただ、ひとつだけ、共通する感覚を実感できたシーンがあった。

ある夜、普段あまり見ないテレビをつけ、ふたりでぼうっと眺めていた。よく出てくる、毒舌で有名な圧力が強い年配の男性タレントが、いつものように自身の冠番組で猛威をふるっているのを見て、パートナーがチャンネルを変えた。

「苦手なんだよね」

そう呟いたパートナーに理由を聞くと、「よくわからないけど」という答えが返ってきた。

実は私もその人が苦手だったのだが、それを自覚できるようになったのは最近だ。

きっかけは、世の中の男らしさや規範に適応しなければ、と無意識に合わせようとして感じていたモヤモヤが、大学でジェンダーやセクシュアリティについて学んでいくうちに、理論的に解きほぐされていったことだ。

でも、パートナーの言葉を聞いてから、苦手という意識が一気に顕在化したように思う。

パートナーは「よくわからないけど苦手だ」と躊躇なく言える。時々買ってくる本は、やっぱり社会の中心から周縁に追いやられる人や、その問題について。

彼はいつも、自然とそんな人たちの側に立てる人だった。私はそこになかなか気づけずにいたし、今でも自信がない部分も多い。

ふたりの大切にしている「立ち位置」は共通しているが、そこに至るアプローチが異なる。ここに、今も私が彼と共に生きたいと思う大きな理由だ。

 

SOSHI MATUOKA
teamLab Borderless

家探しには苦労したが、ふたり暮らしがスタートしてからは、穏やかな日々が続いている。年末年始に、ドラム式洗濯乾燥機と加湿器を購入し、確実にQOLは上昇している。

多くはないけれど、時々旅行もする。何も予定がない土曜日に昼までベッドでぐだぐだすることもある。

ただ、慣れというものは恐ろしく、最初は気合いを入れていた料理もしなくなってしまい、書斎として考えていた部屋は物置化している。最近は、Netflixで「KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~」を見て、私もSpark joyしたいと思っている。

これが私たちのごくごく「フツウ」のふたり暮らしだ。

異性のカップルと何が違うのだろうか?

なぜ、私たちは、手を繋いで帰宅する途中、人の気配を感じて繋いだ手を離してしまうのだろう。

なぜ、私たちは、何も後ろめたくないはずなのに、この関係を偽らなければならないのだろう。

なぜ、私たちの関係には「結婚」という選択肢がないのだろう。

SOSHI MATUOKA
食卓風景

結婚は、互いを支え合う法的なパッケージ

なぜ同性婚を求めるのか。

「愛によって結ばれたふたりのゴール!」とか「結婚することが幸せ!」というイメージが欲しいのかと聞かれると、正直しっくりこない。

しかし、同性カップルは、結婚が認められていないことで、さまざまな場面で不利な状況に立たされる。

例えば、どれだけ長く共に暮らしても、パートナーに財産を相続することができない。パートナーの緊急時に、手術の同意や面会ができないこともある。パートナーの子どもと法的な親子になれないため、片方に何かがあったとき、一緒に居られなくなってしまう可能性もあるのだ。

結婚とは、共に生きたいと思ったふたりが、より安定して生きるために得られる、さまざまな権利や利益、機能のパッケージだ。

だからこそ、今はまだ気にしなくて良かったとしても、いつか訪れるかもしれない(上述したような)不幸を防ぐために、結婚があるのだろう。

ふたりが安心して何でもない日々を過ごし、何かあったときにもちゃんと守られるために、同性カップルにも結婚という選択肢が必要なのだ。

同性婚は、さまざまな人に”結婚”が開かれていくステップ
今年初め、「同性婚が増えると国がつぶれる」という国会議員の発言があった。

国がつぶれることがどういう概念なのかはよくわからないが、私は、同性婚は国をつぶすのではなく、さまざまな人に結婚という制度が開かれていくステップの一つになるのではないかと思う。

フランスでは、同性婚ができる前、1999年に異性・同性問わずパートナーシップを公的に認め、保障するPACS(民事連帯契約)ができた。

成立の背景には、当時同性婚に対してまだまだ反対の声が根強かったため、妥協案的に作られた経緯があるという。しかし、いざ蓋を開けてみると利用者は同性カップルより異性カップルの方が多かった。

今年1月から施行された千葉市のパートナーシップ制度は、事実婚をしている異性カップルにもパートナーとして証明書を発行している。

日本でも、まずは異性カップルと同性カップルを比べた時の「平等」という観点から、同性婚を実現して欲しいと思う。

その上で、婚姻とはまた別の法律ーー例えば、ふたりが必要な権利と義務をカスタマイズでき、異性でも同性でも柔軟に使えるパートナーシップ法ーーができても良いかもしれない。

 個人として尊重され、パートナーシップのかたちを自由に選べる社会

さらに視点を広げると、結婚が「お互いを支え合うための法的なパッケージ」であるのなら、その繋がりには様々な可能性があるように感じる。

例えば、パートナーとの関係性は、必ずしも「愛」によるものでなくても良いかもしれない。「一緒に生き抜こう」という戦友のような関係もまた素敵だと思う。

そもそも、誰かと生きたいと思う人も、そうではない人もいる。まず個人が、社会に生きる上で取りこぼされることのないように保障された上で、誰かと共同体をつくることもフェアに扱われてほしい。

一緒に生きていきたいと思う人と、結婚するかしないか、どんなかたちのパートナーシップを望むかを自由に選べる。

理想ではあるが、今回の訴訟が、そんな世の中に向かうための議論がはじまる大きな一歩目となることを願う。

SOSHI MATSUOKA
TOKYO RAINBOW PRIDE 2017のブースで撮影

婚姻の平等の実現には、まだまだ時間がかかる。だが、世の中は明らかに良い方向へと変化してきていると私は感じている。

2015年の全国調査では、全体の5割以上が同性婚に賛成している。特に20-30代は7割が賛成だった。調査から4年が経ち、もう少し上がっているのではないかと思う。

同性婚を認めると、”伝統的な家族”が壊れるという声は根強い。重要なのは、”伝統的な家族像”を望む人は、もちろんこれまで通りその形を体現していけば良くて、そうではないかたちを望む人も同じようにサポートしてほしいということだ。

世界では約25ヶ国で同性婚が認められている。アジアでも、台湾で今年5月までに、同性カップルが結婚できるようになることが決まっている。タイでも同性パートナーシップ法が閣議決定され、法制化に向かっている。

今や世界中からあらゆる情報が得られるようになり、私たちは、さまざまな地域の、さまざまな家族のかたちを知って、見て、感じることができるようになった。

もう、ある特定のライフスタイルのみを家族のかたちとして限定することは、現実的に難しいだろう。

最後に、2013年にニュージーランドで同性婚が認められた際のモーリス・ウィリアムソン議員のスピーチを一部、改めて引用したい。すでに様々なメディアで紹介されているが、いまも私の心に深く響いている。

「この法案(同性婚を認める法案)に反対する人に私は約束しましょう。明日も太陽は昇るでしょうし、布団の中からカエルが現れたりもしません。明日も世界はいつものように回り続けます。この法案は関係がある人には素晴らしいものですが、関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけです」

私とパートナーとのなんでもない暮らしは、これからも続いていく。洗濯物をどちらがたたむかでいがみあいながら、たわいもない今日の出来事の話をして笑い合う。そろそろ次の旅行の計画も立てたいところだ。

この小さな安心がいつまでも続くように。

私たちだけでなく、すでに共に暮らしている同性カップルや、次の世代の安心が守られるよう、この訴訟の行く末を見守りたい。