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2019年04月23日 08時46分 JST | 更新 2019年04月23日 19時12分 JST

いつも「二択」を迫られてきた女と、変わらない男? ファッションの変遷から見た“平成の男女”

女にとって、平成ファッションは「自分を取り戻すためのツール」だった。

平成が終わり、まもなく訪れる令和の時代。

平成を振り返るテレビ番組や雑誌特集を見ていると、人々の着る洋服もずいぶん様変わりしたことに気づくでしょう。ファッションにはその時代の空気感や価値観を投影する「鏡」のような役割があります。

思えば平成の30年と、その前の昭和の30年を比べて、大きく様変わりしたのは女性の生き方、働き方です。とりわけ1986(昭和61)年に男女雇用機会均等法が施行され、「総合職」というキャリアの門戸が開かれたことで、女性のキャリアの選択肢は大きく広がりました。

そして平成の女性たちは、自身が望もうと望むまいと、少なからず世間から向けられる「まなざし」によって、常に二択を迫られてきたといえます。

女子大・短大か、四大・大学院か。一般職か、総合職か。専業主婦か、ワーママか。子どもを産むか、産まないか――。 女性が歩んだ二択の歴史から見えるものとは何でしょうか。

保田敬介

 「バリキャリ」か「腰かけOL」か

1986(昭和61)年当時、女性ファッション誌で飛び抜けて売れていたのは、『JJ』(光文社)でした。モデルに一般の女子大生を起用し、「女子大生ブーム」の火付け役となったのもこの雑誌です。

読者ターゲットは、大学生から入社1、2年目の新人OL。「かわいいお嫁さん候補になって、いい男を見つけて、いい結婚をする」のが基本コンセプトでした。

編集長も男性が務め、いわば「男にとって理想の彼女像」を投影していたのが『JJ』だったのです。そして、めでたく結婚すれば『CLASSY.』(光文社)へクラスチェンジ。「上流階級の奥様」を目指すのが、多くの女性にとって憧れでした。

ですから、女性にとっての仕事は、あくまで「結婚するまでの花嫁修行」の一環。文字通りの「腰かけ」です。男性社員の補佐役にとどまり、事務職や役員秘書など、あくまで男性の仕事をサポートする役割でした。

現在では両誌ともターゲットが全く変化しましたが、当時はその時代の典型的な女性像を映す鏡だったのです。

それが男女雇用機会均等法の施行を機に、「男性と同じように働く」選択肢が生まれました。1991(平成3)年、時代の変化に呼応するように創刊したのが、『Oggi』(小学館)です。

創刊当初の表紙に「グローバルキャリアのライフスタイルファッション」とあるように、世界を股にかけるキャリアウーマン=“バリキャリ”をフィーチャーし、働く女性の生き方やファッションを取り上げました。

時を同じくして、ハーバード大を卒業し、外務省でキャリア官僚として働く小和田雅子さん(現・皇太子妃雅子様)が、浩宮親王(現・皇太子殿下)のお妃候補として取り沙汰されたことで、彼女のファッションにも注目が集まりました。彼女の入省はくしくも1986年、つまり“バリキャリ第一期生”だったのです。

時事通信社
皇太子妃の「婚約内定」報道後、初めて外出する小和田雅子さん。

「バリキャリ」と「腰かけOL」のファッションは、ハッキリと二分されました。

前者は男性社会の中で、男性並みに働くための服として、「アルマーニ」に代表されるスーツスタイルが爆発的な人気となりました。その中でいかに女性らしいソフトさを出すのかが、コーディネートのポイントでした。

一方後者は、勤務時間中は制服が用意され、髪型も社内規程通り。アフター5に着替えるのも、フェミニンなカジュアルスタイルが好まれました。「組曲」(1992年)や「23区」(1993年)といった百貨店ブランドが台頭してきたのもこの頃です。

そしてバブル崩壊後の不況が本格的なものとなり、就職氷河期に突入した1993(平成5)年以降、女性の社会進出は、図らずも促進されることとなりました。好景気にモノを言わせてきた男性の経済力に陰りが見え、「自ら稼ぐ」必要に迫られたのです。

1993(平成5)年から1995(平成7)年にかけて、新卒採用者に占める女性の総合職比率は、9.0パーセントから14.6パーセントに上昇しました※1。1995(平成7)年にワールドが立ち上げた「アンタイトル」のイメージモデルとして起用されたのが、山口智子さん。テレビドラマ『29歳のクリスマス』(1994年)や『ロングバケーション』(1996年)などの中で、自立した働く女性像を体現していたのが彼女でした。シンプルでコンサバティブなファッションが、働く女性のアイコン、そしてスタンダードとなっていきました。 

時事通信社
山口智子さん(1996年2月29日撮影)

「男性に選ばれる」生き方から「自分らしい」生き方へ

1998(平成10)年以降、「カジュアル・フライデー」や「クールビズ」など、行政主導で「働きやすい服装」での勤務が推奨され、2007(平成19)年の男女雇用機会均等法改正を機に、女性社員の事務服を廃止する企業が次々と現れました。

その結果、カーディガンスタイルやストッキングなしでのパンプス、ミュールの着用など、女性のオフィスファッションはさらにカジュアル化の流れが加速します。

「おひとりさま」「ワーママ」「アラサー」といった言葉が生まれ、女性のライフスタイルとして、専業主婦だけでないさまざまな選択肢が広がってきたのも、ちょうどこの頃です。

女性の価値観が多様化・細分化していくのを反映して、次々と新たなファッション誌が創刊しました。『NIKITA』(2004年創刊2008年休刊)『GISELe』(2005年)『AneCan』(2007年創刊2016年休刊)――。女性の価値観はそのままファッションに対する姿勢やマインドにも表れ、色とりどりの雑誌として花開きました。

私が立ち上げに携わった『GLAMOROUS』も、2003年に『ViVi』の姉妹誌としてスタートして、2005年から月刊誌となりました(2013年休刊)。きっかけとなったのは、専属モデルだった岩堀せりの「一生ジーンズを履いていたいよね」という言葉。「30歳までにいい結婚をして、いい奥さんになって、いいママになる」だけではなく、男性や会社に従属しない、自由な生き方があってもいいのではないか、という思いがまさに「ジーンズ」という言葉に表れていたように思います。

ただ、女性ファッション誌の発行部数は2004(平成16)年から2005(平成17)年に1億6000万部を記録したのを境に、下降の一途をたどります。

 走れない「ハイヒール」をやめた女性たち

2008(平成20)年のリーマンショック、そして2011(平成23)年の東日本大震災は、人々のマインドに大きく影を落としました。当時、原宿を歩いてみると、みんな揃いも揃ってモノトーンの服に身を包んでいることに、衝撃を受けたのを覚えています。

あんなにカラフルだった原宿から「色が消えた」のです。モノを買うことさえはばかられ、ファッションで個性を表現するどころではなくなりました。 震災時、公共交通機関はすべてストップし、帰宅困難となった記憶を今も鮮明に覚えている人も多いでしょう。

あの日を境にハイヒール通勤が減少したように思います。

igor_kell via Getty Images

実際、その後オフィス靴として広がりを見せたのは、フラットシューズやスニーカーです。 靴にはある種の思想が現れるものですが、そもそもハイヒールがそれまで圧倒的な支持を受けていた背景には、「男性からの視線」を意識していたことも要因としてあるでしょう。

脚を美しく見せ、時には車や椅子から立ち上がる際に男性の助けを借り、あくまで男性都合の「理想の女性像」を体現するファクターでもありました。 それが、男性の助けを借りず、自立したひとりの人間として、「いざとなったら走れる」「外回りしても疲れない快適な履き心地」を求めた結果、ハイヒールのパンプスではなく、フラットシューズやスニーカー、パンプスでもチャンキーヒールなど安定感のあるものを選ぶ人が増えたように感じます。

その意識変革は足元だけにとどまりません。

ストレッチ素材を使った衣類やスウェットなど快適に動ける「ストレスフリー」なファッションや、性差にとらわれないジェンダーレスファッションが支持されるようになったのも、ある意味、男性目線よりも自分目線で「自分が心地よくいられるにはどうすればいいか」という内発的な動機を突き詰めていった結果の表れかもしれません。

男性ファッションはこの30年、ほぼ変化がない

そして、現在。女性におけるライフスタイルや価値観の変化と連動して、大きくレディスファッションは変わってきました。事務職や一般職で、同じ制服を着て……あらかじめ決められた枠組みから抜け出し、職種も服装も多様化しました。

一方、男性はどうでしょう?

身体に沿った細身のシルエットなのか、あるいはビッグシルエットなのか、フィット感の変化はあるものの、女性と比べるとさほど変化は大きくないかもしれません。業種の差こそあれ、オフィスでは未だに多くの人がスーツを着て、威圧的でかたくなな印象です。

男性の変化の乏しさは、ファッション誌ひとつ取ってもよく表れています。例えば女性は高校時代は『Seventeen』を読み、大学時代は『Sweet』や『more』、社会人になってからは『BAILA』や『Oggi』を読んで、ママになったら『VERY』……というように、年齢やライフステージに合わせ、読むファッション雑誌が変わっていきますが、男性は女性に比べて雑誌を切り替えるタイミングが少ない。そもそも男性はファッション誌をあまり読まないというのもありますが、つまり自らの人生の中で、選択や変化を意識する機会が限られている、ということではないでしょうか。 

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海外へ目を向ければ、2008年のリーマンショック以降、ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーといった金融系のスーツ族が一気に影を潜め、存在感を示したのが、GAFAをはじめとする西海岸系の企業に務める人々でした。

スティーブ・ジョブスの黒タートルニットや、ザッカーバーグのTシャツなど、シンプルでカジュアルなスタイル。当時NYで増えたのが、黒縁メガネにJ.クルーのニットを着て、ジーンズで通勤するようなノームコアファッションです。

GAFAがイノベーションを起こし、世界を大きく変えたことは疑いようのない事実ですが、ファッションの側面から捉えると、彼らはファッションにもイノベーションを起こしました。階級主義的なスーツをなくしたことで、組織文化がフラットになり、忖度なく意見を交わし、より良いモノやサービス作りに専念できる環境を生み出したのです。

AFP via Getty Images

日本企業の多くがイノベーションを起こせず、平成の30年の劇的な変化に対応できなかったのは、スーツという「既存の枠組み」から逸脱することができなかったから、とも言えるのではないでしょうか。「隗より始めよ」という言葉があるように、身近なものから変えていくことで、マインドが変わり、行動変容にもつながります。ファッションにはマインドを変える力があるのです。

女性は平成の30年において、まさにそれを実践してきました。かつて「良妻賢母」が女性の理想とされた時代を経て、結婚をゴールとした「男性に選ばれるため」のファッションから、着たいものを着て、生き方を選ぶ「自分らしくいられるため」のファッションに変化したのです。

そういう意味では、平成における女性にとってのファッションは、「自分らしさを取り戻すツール」だったのかもしれません。 節目節目で二択を迫られ、自分の価値観を問うてきた見返りと言っていいと思います。

一方、男性にとっては昭和30年代から40年代の高度成長期、そして昭和50~60年代のバブル成長期と、同じ方向へ猪突猛進していったものの、進むべき方向を見失い、迷い、傷だらけになったのが、平成の時代でした。

女性がファッションを自らをエンパワーメントするツールとして、あるいは、ありのままの自分でいられる手段として活用し、「真の自立」へと向かう今、男性もまた、ファッションによって自らを確立し、変革すべき時がやってきているのではないでしょうか。

※1:厚生労働省が調査する「コース別雇用管理制度の実施・指導状況(2014年)」を参照。

【企画編集:水野綾子(FIREBUG)、大矢幸世 撮影:保田敬介】