「自分の長年の研究は何だったのか」廣瀬陽子教授はウクライナ侵攻を予測できず悔やんだ。それでも研究を続ける理由とは?

ロシア政治の専門家として連日テレビに出演する廣瀬教授。これまでの研究成果から「侵攻はない」と自信を持っていたが、現実は違った。研究は戦争を止められないのか。
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廣瀬陽子教授(2020年11月撮影)
廣瀬陽子教授(2020年11月撮影)
ハフポスト日本版・安藤健二

ウクライナ侵攻を予測できなかったロシア政治の専門家が「研究は戦争を止められないのか」と悔やみつつも、「研究が果たせる役割もゼロではないはず」とさらに研究を深める決意を示した文章が反響を読んでいる。

■「絶望的な気持ちに苛まれた」ウクライナ侵攻を予測できなかった廣瀬教授の失意と新たな決意

その文章を書いたのは、慶応義塾大学・総合政策学部の廣瀬陽子教授。テレビ番組にコメンテーターとして連日のように出演している。週刊文春の集計によると侵攻が始まった2月24日から3月13日までに出演した地上波番組は47本だったという。

旧ソ連圏の国際政治を研究してきた廣瀬教授は当初、ウクライナへの軍事侵攻の可能性について否定的な意見だった。ハフポスト日本版が2月20日に掲載したインタビューでも「基本的には軍事侵攻は『まず、ないだろう』という立場」と答えていた。しかし、軍事侵攻は現実に起きてしまった。廣瀬教授は「論理的な説明はできません。全く合理性がない決断です」として、戸惑いを隠さなかった

廣瀬教授は4月5日、「研究は戦争を止められないのか」という文章を発表した。大学公式サイトにある学部長らの連載コンテンツ「おかしら日記」への寄稿だった。

「研究成果に基づけば、ロシアがウクライナに侵攻するはずはなかった」と回想しつつ、実際には軍事侵攻が起きた。そのショックを「自分の長年の研究は何だったのだろうか、そして人間は戦争を防げないのか、という絶望的な気持ちに苛まれた」と振り返った。

「研究は戦争を止められないのか」という問いに対して「残念ながら止められないことは、今回の顛末からも明らかだ」と率直に分析しつつも、「研究が果たせる役割もゼロではないはずだ」とさらに研究を続けることの意義を強調した。

これまでの常識が通用しなくなる「パラダイム・シフト」が起きているとして、「新たなパラダイムの研究」の必要性を訴えた。その上で「私の旧ソ連研究は一旦振り出しに戻ったが、また心新たに旧ソ連研究に取り組みたいと思っている」と決意を示している。

この文章の読者からは「自分が間違っていたことを認める潔さと、次に進むバイタリティがすごい」「知的に誠実な態度。これこそが研究なんだろうな」などの反響が広がっている。

全文は以下の通り。

■研究は戦争を止められないのか|メディアセンター所長/総合政策学部教授 廣瀬陽子

2月24日、目覚めると世界が変わっていた。ロシアがウクライナに侵攻し、全く大義のない戦争が始まったのだ。そして、その日、私は重要な研究対象の一つを失い、これまでの研究人生で構築してきたセオリーは水泡と化した。

私は旧ソ連地域をフィールドに地域研究、国際関係を研究してきた。そして研究の出発点は、旧ソ連の紛争を解決するための研究を行いたいという気持ちだった。そして、アルメニアとのナゴルノ・カラバフ紛争を抱えていたアゼルバイジャンに留学もした。

旧ソ連の紛争を紐解くにはロシアの行動が重要だということから、旧ソ連の小国からロシアの外交政策を検討してきた。そのプロセスの中で、国家の体裁を整えながらも国際的に承認されていない「未承認国家」をロシアが近い外国(ロシアにとっての旧ソ連諸国)を勢力圏に置くために利用していることから、未承認国家の研究を深めた。

また、ロシアの周辺国がロシアと欧米、そして中国の狭間でバランス外交を強いられ、しかしそのバランスを崩すと、つまり親欧米になりすぎるとロシアから懲罰を受けるという「狭間の政治学」という考えを打ち出した。さらに、ロシアが勢力圏を維持するため、また勢力圏を脅かす欧米に対峙するためにハイブリッド戦争を利用しているということで、近年ではハイブリッド戦争の研究に注力してきた。

これらの研究成果に基づけば、ロシアがウクライナに侵攻するはずはなかった。紛争勃発前夜まで、私は「侵攻はない」と自信を持って主張していたのだ。しかし、侵攻は起きてしまった。その時、「私が知っている」ロシアは消滅し、私が構築してきた議論も崩壊した。自分の長年の研究は何だったのだろうか、そして人間は戦争を防げないのか、という絶望的な気持ちに苛まれた。

だが、この戦争勃発で、茫然自失となっている社会科学研究者は少なくないらしい。たとえば、相互依存論で平和が維持できるとしていた論者は、相互依存状態が戦争を防がないという現実に衝撃を受けているという。また、核抑止論者は、核は戦争の抑止にならないばかりか、核を持つ好戦国が戦争を起こせば、その核が他国の介入をも抑止してしまうという現実に打ちひしがれているという。このような例は枚挙にいとまがないだろう。

それでは研究は戦争を止められないのか...。残念ながら止められないことは、今回の顛末からも明らかだ。

しかし、研究に意味がないのか、と言えば、そうではないと思う。研究はあくまでも起きてしまった事象を分析し、どうしたら戦争を抑止できるのか、より早く解決できるのかなどという問いに迫るものであるが、第二次世界大戦後の世界では、それらの研究がさまざまなアプローチからなされ、また、時代の変化に伴って新しい議論も次々に生まれていた。そして、かつての戦争や紛争を分析することで、その反省を次に活かすこともできていたと思うからだ。たとえば、今、ウクライナが大国ロシアに対して善戦しているのは、海外からのサポートに加え、2014年にクリミアを失い、東部の混乱を防げなかったことの反省を徹底的に分析し、その問題を乗り越えたからに他ならない。

また、これまでの世界の歴史で節目節目に「パラダイム・シフト」が起きてきた。今まさに「パラダイム・シフト」の時代であるともいえる。新たなパラダイムの研究が求められているのかもしれない。

だが、戦争を起こすのは人間だ。全ての人間がそれぞれのバックグラウンドを持ち、それぞれの思考、独自性を持っている。全ての人間の思考、行動を網羅できるような研究が行えるはずもない一方、ウラジーミル・プーチン大統領1人のせいでこのような惨事が起こってしまった現実を受け、今後は1人の人間が歴史を動かすという現実を分析に取り入れてゆく必要が出てくるのかもしれない。承認欲求で歴史は動く、とフランシス・フクヤマが『アイデンティティ』で説いたように、施政者の個性に踏み込んだ分析が必要となりそうだ。

研究は戦争を止められない。しかし、研究が果たせる役割もゼロではないはずだ。私の旧ソ連研究は一旦振り出しに戻ったが、また心新たに旧ソ連研究に取り組みたいと思っている。そして、今回の戦争にショックを受けている方々にも、ぜひそれぞれの分野で研究をしていただきたいし、この新しいパラダイムに挑戦できるのは総合政策的アプローチしかないと確信する。研究が世界平和に貢献できる日がくることを祈るばかりだ。