人類共通語となった“ヒロシマ”を、忘れないためのイベントが、今年8月、11年目を迎える。

日本人が、そして世界が忘れてはならない8月がやってくる。
©peacehiroshima2017

今年も8月がやってくる。ヒロシマに原爆が投下され、日本が敗戦を迎えた8月がやってくる。そんな暑い8月に毎年、東京各地で開催されてきた平和イベントがある。2018年に11年目を迎える「ピースヒロシマ」。音楽やダンス、詩やアート、被爆者の話などを通し、原爆犠牲者を追悼するとともに、平和と命の尊さを共有するイベントだ。今年の開催日は8月4日(土)。会場は東京神保町の救世軍本営。日本人が忘れてはならない8月を、語り継がなければならない8月を、家族や子どもたち、大切な人と一緒に過ごす週末に!

「ピースヒロシマ2017」で展示された、被爆者たちが自らの体験を描いた絵画には、観るものを圧倒するリアリティがあふれている。
「ピースヒロシマ2017」で展示された、被爆者たちが自らの体験を描いた絵画には、観るものを圧倒するリアリティがあふれている。
©peacehiroshima2017

日本人が、そして世界が忘れてはならない1945年8月6日、午前8時15分、日本の広島に核爆弾が投下された。それは、人類史上初めて一般市民に対して行われた核攻撃だった。

キリストの誕生を元年とする西暦(A.C./B.C.)に代わり、世界は1945年を元年とし、歴史をB.H.(Before Hiroshima)とA.H.(After Hiroshima)に分けるヒロシマ暦を採用すべきだと主張したのは、たしか作家のアーサー・ケストラーだったか。それくらい広島への核攻撃は、人類全体にとって衝撃的な出来事だった。なにしろ、人類は自らの手で人類を抹殺し得ることが証明されたのだ。神ではなく人間がハルマゲドンを引き起こせるのなら、これほど危ういことはない。神は間違えないかもしれないが、常に間違いを繰り返してきたのが人間だ。ヒロシマは、今や人類共通の聖地であり、呪文となった。

けれど今、被爆地や被爆者に縁のない多くの日本人にとって、ヒロシマはどれほどリアルであり得ているか? その後、フクシマを経験し、核の平和利用という仮面の裏に隠されていた東西冷戦とアメリカの核兵器戦略と暗躍する売国奴たちの存在に気づき、フクシマの起源にヒロシマがあることを認識できた日本人は、どれほどいたのだろうか?

2016年5月27日には、伊勢志摩サミット出席で来日したバラク・オバマが、米国大統領として初めて広島平和記念公園を訪問したことが話題となった。17分にわたる「核兵器のない世界」を求めるスピーチも、広く世界に報道され、評価する声も多かった。けれど、相変わらず原子爆弾投下に関する謝罪はなかった。今もアメリカの世論は、原爆投下の正当性を支持する論調が主流だ。世界最大の核保有国のアメリカは、宇宙空間、大気圏内、水中、地下を含むあらゆる空間での核実験を禁止する包括的核実験禁止条約(CTBT)を未だに批准していない。

「ピースヒロシマ」もそんな現状に対する危機感から始まったという。きっかけは、被爆2世の髙田雅宏さんが、仕事で米国に住んでいた2005年、ワシントンDCのスミソニアン博物館で偶然出会ったある展示だった。「Science in American Life」と題されたその展示では、核の利用に関する説明に多くのスペースが割かれていた。その中に、高田さんの実家がある広島の街の住所が書かれた看板の写真があったという。原爆投下後の廃墟の中で離れ離れになった家族が、互いの被害状況と避難先を知らせるための伝言板の写真。しかし、その写真のキャプションには「長崎の被害者が〜」の説明が・・・。他にも幾つかの広島の原爆資料が「ナガサキ」として説明されていたという。アメリカを代表する最高権威の博物館が、自国が広島で行った歴史的事実を、長崎の出来事として紹介していたのだ。

スミソニアン博物館のアメリカ歴史博物館に展示されていた、原爆投下後の廃墟の写真。そこには広島市の住所が記されていたにもかかわらず、キャプションには「長崎の〜」とある。
スミソニアン博物館のアメリカ歴史博物館に展示されていた、原爆投下後の廃墟の写真。そこには広島市の住所が記されていたにもかかわらず、キャプションには「長崎の〜」とある。
©Masahiro Takata

「彼らは、うわべだけでしか、ここで起こったことを見ていない。見ようとしていない。そんな怒りともの落胆ともいえない感情が、一気に私を襲いました。このときのなんとも言えない悔しい思いが、このピースヒロシマ実行委員会発足のきっかけとなったのです」

高田さんは言う。こうして翌2006年、東京の友人と一緒にピース広島実行委員会を立ち上げ、当初は、CMやネット動画、ポスターの制作など広告を通して、ヒロシマに対する意識改革を訴えた。翌2007年にはウェブサイトを立ち上げ、スミソニアンの展示に対して訂正を求める署名運動を開始。1年間で世界76カ国から、3,818名の署名を集めたという。

こうした広告を表現とする活動は、しかし、大口のスポンサーがいるわけではない。すぐに予算の問題で行き詰まってしまった。そんなときに協力を申し出てくれたのが、友人の紹介で知り合ったDJで作家のロバート・ハリスさんだった。

ハリスさんの父J・B・ハリスさんも、英国人の父と日本人の母の間に生まれたがために、戦争に苦しめられ、翻弄されたひとりだった。国籍は日本人であるにもかかわらず、スパイ容疑で外国人収容所に拘束されたり、徴兵されて満州に送られたりしたという。そんな父親への思いもあって、ハリスさんが知り合いのミュージシャンやDJ、アーティストたちに声をかけた。自らヒロシマをテーマにした詩を朗読し、被爆者へのインタビューアーとしても登壇。かくして「ピースヒロシマ」は、音楽を中心としたイベントへと進化し、2008年8月6日、その第1回目が、今はなき銀座のクラブ「砂漠の薔薇」で開催された。以来、ロバート・ハリスさんが企画から関わり続けている「ピースヒロシマ」は、会場を変えながらも毎年8月に開催され、今年11年目を迎える。

けれど、なぜミュージック・イベントなのか? その答えは、高田さんのこんな言葉のなかにあるのだろう。

「私はいわるゆる被爆二世です。父は2007年の4月になくなりましたが、1945年8月6日に広島で、爆心地から約1マイルの地点で被爆。大怪我を負いながらも、かろうじて一命を取り留めました。そして、終戦後、辛うじて救われた自らの命すら絶とうと、絶望の淵にあった父に、一筋の希望を与えてくれたのが、音楽でした。広島市内に今もあるムシカという喫茶店で、終戦当時、貧しい広島の人々に心の豊かさを伝えるべく、定期的にクラシックのレコードコンサートが行われていました。父も、なけなしの小遣いをはたいてそこに通い、音楽を聴いて、苦しい現実生活からの一時の安らぎを得ながら、明日はもっといい日になるはずだ、頑張ろうと、未来への希望を信じていたそうです。父が心から愛していた音楽を通じ、皆様にヒロシマをより知って頂く機会を頂けることを、心より感謝いたします」

日本人が、そして世界が忘れてはならない8月がやってくる。そんな8月の週末、「ピースヒロシマ」に参加してみるのはいかがだろう?

©peacehiroshima2018

****「ピースヒロシマ2018」詳細*****

■日程:8月4日(土)16:00〜18:30

■会場:救世軍本営 山室軍平記念ホール(東京都千代田区神田神保町2-17)

■入場料:一般1,000円、学生以下500円

■問い合わせ:ピースヒロシマ実行委員会(info@peacehiroshima.com

注目記事