「エイズとの闘いは勝つまで続けなければならない」「私は生ける証人だ」 HIV/エイズと闘ってきたアスリートたちの言葉

病気や偏見、差別に抗いながら発せられたのは、力強く勇気に満ちたものばかりでした。

HIVに感染しても、適切に治療すればエイズの発症を防ぎ、ウイルスが検出されないレベルまで抑えられる時代になった。しかし、HIV/エイズへの差別や偏見は依然として残っている。差別に抗いながら、HIV/エイズの正しい理解の普及ために闘ってきた3人のアスリートを紹介する。

1976年の全英オープンでプレーするアーサー・アッシュ氏
1976年の全英オープンでプレーするアーサー・アッシュ氏
ullstein bild Dtl. via Getty Images

■アーサー・アッシュ(テニス)

まず紹介するのが、テニス選手のアーサー・アッシュ氏。

アッシュ氏は1968年の全米オープンや1970年の全豪オープン、1975年の全英オープンのシングルスで優勝するなど、4大大会でも数多くのタイトルを獲得。全米オープンの会場のセンターコートは「アーサー・アッシュ・スタジアム」と名付けられている。

アッシュ氏は心臓発作に悩まされ、1980年に引退。自伝などによると、1983年に心臓バイパスの手術を受け、その際の輸血でHIVに感染した。米紙ワシントンポストによると、1992年4月に会見を開き、エイズ発症を公表した。

今以上にHIVやエイズへの偏見が強く、治療法も確立していなかった時代。しかし、アッシュ氏は公表後、エイズやHIVについて積極的に発信を続けた。

1992年には、HIV/エイズの研究や治療、検査、予防のための「アーサー・アッシュ・エイズ撲滅財団」を立ち上げた。

アッシュ氏は自伝で財団について「エイズ患者の救済だけでなく、エイズ撲滅を目標にしている」「私は数年以内に治療法が見つかることを願っているが、エイズとの闘いは一世代か、あるいはそれ以上かかるかもしれない。だが、エイズとの闘いは勝つまで続けなければならない」と語っている。

1992年の世界エイズデーに合わせ、国連で演説するアーサー・アッシュ氏
1992年の世界エイズデーに合わせ、国連で演説するアーサー・アッシュ氏
AFP via Getty Images

また、国連でも世界エイズデーに合わせて演説し、発展途上国でのエイズ予防や治療の必要性を訴えた。

こうした貢献が認められ、アッシュは同年、著名な米スポーツ誌の「スポーツマン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。アッシュ氏は自伝の中で「選考理由が私のコートでの実績ではなく、スポーツ以外のところで成し遂げたこと」と記している。

しかしその翌年の1993年に、アッシュ氏はエイズ由来の肺炎が原因で49歳で生涯を閉じた。

1987年のNBAチャンピオンシップでプレーするマジック・ジョンソン氏
1987年のNBAチャンピオンシップでプレーするマジック・ジョンソン氏
ASSOCIATED PRESS

■マジック・ジョンソン(バスケットボール)

アッシュ氏がエイズ発症を発表した前年、もう一人の世界的なアスリートがHIV感染を発表し、世界に衝撃を与えていた。

NBA史上最高のプレイヤーといわれるマジック・ジョンソン氏だ。

所属するレイカーズを5度のチャンピオンに導いたほか、オールスターゲームに11回出場し、NBA最優秀選手(MVP)には3回も選出された。

1991年に突如引退を表明。その大きな理由がHIV感染だった。

所属チームからの引退を決めたジョンソン氏だったが、同年に開かれたバルセロナ五輪への出場は熱望した。米スポーツ誌に「オリンピックのメンバーからは外さないでくれ。国のために戦いたい。金メダルを取りたい」と寄稿した。その結果、ジョンソン氏は「ドリームチーム」と呼ばれたアメリカ代表の一員としてプレーし、圧倒的な強さで金メダルを獲得。朝日新聞の取材に対し、ジョンソン氏は「選手として一番思い出に残る試合だった」と振り返る。

しかし、それでもHIVへの偏見が払拭されることはなかった。五輪後、一度はレイカーズに復帰することを表明したが、一度も公式戦に出場することなく再度引退。自伝の日本語版に寄せた追記の中で、感染を恐れる同僚選手たちのおびえる目があったためだと明かしている。

1996年にも現役復帰したが、わずか4カ月ほどで再度引退した。

引退後は、ビジネスの世界で活躍を続けたジョンソン氏。2002年には米バスケットボールの殿堂入りも果たした。

2007年のラグビーワールドカップにウェールズ代表として出場したギャレス・トーマス氏
2007年のラグビーワールドカップにウェールズ代表として出場したギャレス・トーマス氏
Stu Forster via Getty Images

■ギャレス・トーマス(ラグビー)

アッシュ氏とジョンソン氏がHIV感染を公表してから30年近い歳月が経ち、HIV/エイズ治療も飛躍的な進歩を遂げた。しかし、HIV陽性者やエイズ患者への無理解や差別、偏見は今なお続いている。

ラグビーの元ウェールズ代表主将のギャレス・トーマス氏は今年9月、HIVに感染していることを明かす動画を自身のTwitterに投稿した。

朝日新聞によるとトーマス氏は2009年、プロ・ラグビー選手として初めてゲイであることを公表し、2011年に現役を引退するまでプレーを続けた。

投稿した動画の中でトーマス氏は、「情報を公表する」と他者からの脅迫があり、公表に追い込まれたと説明。その上で、「(HIVに感染したという)この情報をみなさんが知った今、私はとても弱い立場にいますが、だからといって、私は弱いわけではありません」と胸の内を吐露。「私はHIVの知識を広め、偏見を壊すため、闘うことを選びました」と宣言している。

また、トーマス氏は「人からの反応や意見に怯えて生きている人々に、だからといって隠れる必要はない、ということを私が証明する」とも述べ、動画を投稿直後に開かれたアイアンマンレース(スイム3.8キロ、バイク180キロ、ラン42.195キロ)に出場し、見事完走してみせた。

イギリスのヘンリー王子(右)と対談したギャレス・トーマス氏
イギリスのヘンリー王子(右)と対談したギャレス・トーマス氏
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トーマス氏は11月、英国でHIV/エイズ問題に取り組む団体のイベントで、イギリスのヘンリー王子と対談した。そこでは「私は生ける証人だ。HIVに感染していなかったら、アイアンマンレースに出ることはなかった」と語っている。

対談の中で、トーマス氏は現在、パートナーの男性と暮らしており、そのパートナーはHIV陰性であることも明かしている。

「今私はHIV陰性の夫と素晴らしい日々を送っており、私は彼にとってリスクがないことが分かっている。私が今取り組んでいることは、(HIV/エイズへの)偏見を取り払うことだ」

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