パキスタンは、冒瀆罪についての国家責任を追及すべきだ

パキスタンではこれまでに、他のどの国家よりも数多くの人々を冒瀆罪で収監してきた。しかし、宗教上の発言の自由が制限されているのはパキスタンだけではない。
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世界は炎上している。宗教上の少数派に属する人々は、あちこちで起こる紛争により最も困難な状況を強いられている。パキスタンは、イスラム信者でない人々にとって最も住みにくい場所のひとつだ。宗教上の自由という最も基本的な良心の自由権を守ることすらできていない。したがってアメリカは、パキスタンを「信教の自由弾圧について特に懸念される国」に含めるべきだ。

宗教的迫害は、世界規模の災禍だ。最も過酷な迫害を加えている国家の多くは、イスラム教国家だ。イラン、サウジアラビア、インドネシア、バーレーン、イラク、そしてエジプト。これらはすべて国際政治上重要な国々であると同時に、イスラム信者でない人々に対して迫害を加えたり、その事実を黙認したりしている国々だ。いくつかの国では、実際には迫害者であるイスラム信者を被害者扱いまでしている。

パキスタン政府も、頻繁に宗教的迫害を行っている。アメリカ国務省のパキスタンにおける宗教的自由に関するレポートによると、「憲法をはじめとする法律や政策で、公に宗教の自由が制限されている。政府はこれらの制限の多くを実際に施行している。政府としての、信教の自由という権利への敬意や保護は乏しい」。

少数派の宗教は、激しい攻撃にさらされている。信者は殺され、教会は爆破される。バスは攻撃を受け、家は破壊され、集会は標的にされている。国際信教の自由に関するアメリカ委員会(USCIRF)は、その最新レポートでこう警告する。「昨年は宗教の派閥に基づく暴力が慢性化し、最悪な状況となった。その対象はほとんどがイスラム教シーア派の信者だったが、キリスト教信者、アハマディア(イスラム教の少数派)信者やヒンドゥー教信者も含まれていた」。同委員会は、昨年、シーア派に対する暴力、また、他の宗教に属する「罪のないパキスタン人に対する数多くの攻撃」を非難した。

パキスタン政府はこれらの攻撃を主導こそしなかったものの、その防止や救済についてほとんど何もしなかった。多くの人々が一度に殺されたような場合でさえ、政府はほとんど何の反応も示さなかった。実際に、良心の自由を守ろうとした政府高官が射殺されたときにも、誰一人として起訴どころか逮捕もされなかった。アメリカ政府によると、「パキスタン政府は、宗教的な少数派や宗教的寛容を主張している大部分のイスラム教信者に対する過激派による弾圧について、調査し糾弾しようという能力や意思に乏しく、何をしても罰せられないという風潮を引き起こしている」という。

こうした迫害の際に最もよく使われている方法が、冒瀆(とく)罪だろう。USCIRFによると、「パキスタンの冒瀆罪に関する法律は、主にパンジャブ地域で施行されているが、全国規模でも見られる。宗教上の少数派や反対派のイスラム教信者を標的とし、多くの場合禁固刑に処するものだ」。2年前には、精神疾患を抱える12歳のキリスト教信者の女の子がこの罪に問われた。これに関しては、その後国際的な批判が集中し、政府もさすがに恥ずかしく思ったのか罪が取り消されたが、これは通常ありえないことだ。

冒瀆罪に関する法律は、まさに乱用するために作られたようなものだ。同委員会によると、「この法律が規定する罪は死刑または終身刑に処せられるが、罪にあたるという申し立てがなされるだけで十分で、罪を犯す意思があったという証拠や物的証拠は提示される必要がない。また、虚偽の申し立てをした場合に対する罰則も規定されていない」。事実、裁判所では通常、証拠を要求することもない。そうすること自体が、冒瀆罪に問われてしまうからだ。証拠が必要でないため、この罪は個人やビジネス上の争いで頻繁に持ち出される武器ともなっており、被害を受けたと思い込んだ人が相手に対する復讐を果たすための方法としても使われている。

1986~2006年の間、 695人の人々が冒瀆罪に問われた。今日では、16名が死刑囚となっており、20名が終身刑を課されている。3人のキリスト教信者が、ここ数カ月以内に死刑に処されている。ほかにも多くのパキスタン人や、さらには詩人でパキスタン系イギリス人学者のジュナイド・ハフェズ氏も、預言者ムハンマドに対する冒瀆罪に問われ、獄中で裁判を待っている。彼らが受ける罰は、法律上規定されている内容にとどまらない。アメリカの人権NGO「フリーダム・ハウス」によると、「求刑の背景にある意図や裁判の結果に関わらず、冒瀆罪に問われた人は職業上の差別や、コミュニティーや近隣からの村八分、そして腹を立てた群衆による身体への暴力や殺害まで受けることもある。こうしたことで、彼らの多くはおびえながら生活することを強いられている」という。1990年以来、少なくとも52名が冒瀆罪に問われ、裁判に至る前に殺されている。

被告人に無罪を言い渡した裁判官や、冒瀆罪の法律改正を主張した政治家たちも暗殺されている。5月には、ハフェズ氏を弁護していた人権弁護士ラシッド・レーマン氏が、何者かに射殺された。殺害される前、レーマン氏の同僚の弁護士たちは彼にこう警告していた。「君は次の裁判には出席できないよ。それまでには、いなくなっているからね」。彼が殺害された後、レーマン氏は「自業自得の死」をとげたと言い切る怪文書がばら撒かれた。被告側の弁護士として殺害されたのは彼が最初だったが、おそらく最後とはならないだろう。

パキスタンではこれまでに、他のどの国家よりも数多くの人々を冒瀆罪で収監してきた。しかし、宗教上の発言の自由が制限されているのはパキスタンだけではない。中東と北部アフリカの20カ国のうち、実に14カ国が冒瀆罪を規定しているのだ。アジア太平洋地域では50か国中9カ国、ヨーロッパでは45か国中7カ国、そしてサハラ以南のアフリカ諸国では48か国中3カ国で、同様の規定が存在している。アメリカ大陸でさえ35か国中11カ国が冒瀆罪の規定を持っており、アメリカでもマサチューセッツやミシガンを含む複数の州で、実際に施行されてはいないものの、冒瀆罪規定が存在する。

フリーダム・ハウスは、冒瀆罪に関する法律が人権にもたらす深刻な被害について詳細なレポートを発表した。簡潔に言うと、これらの規定は「表現の自由に対して不適当な制限を課す」ものであり、「特に乱用防止のためのチェックアンドバランスの機能が存在しない環境では、裁量性または過度に広い適用性を持つ危険性がある」。同団体ではパキスタンに加えてアルジェリア、エジプト、ギリシャ、インドネシア、マレーシア、ポーランドといった国に関してこういった傾向を特に強調した。

3月には、USCIRFも「信仰の囚人-冒瀆罪で牢獄に入れられる人々」という報告書を出し、同様の内容を指摘した。収監された人々は、バングラデシュの無神論者ブロガー、イランのバハーイー教(シーア派から分かれたバーブ教[19世紀中頃に成立したシーア派の分派]の後継宗教)信仰者、キリスト教信仰者、スーフィーやスンニ派のイスラム教徒、エジプトにおける63名のスンニ派イスラム教徒やキリスト教徒、カザフスタンの無神論者の記者、インドネシア人やサウジアラビアの多くのブロガーなどだ。ギリシャやトルコでも、冒瀆罪が実際に使用されている。

「アラブの春」によって、中東に自由がもたらされると考えられた。しかし実際は、多くの国でその反対のことが起こった。例えば湾岸諸国のうち最も自由度の高い国クウェートでは、イスラム過激派が大多数を占める議会が2012年上期に成立し、冒瀆罪を犯したイスラム教徒に死刑を課すことを決めた。首長がこの法律を阻止し、その後に選挙法を改正したことによって、現在では比較的緩やかな規定となっている。

革命後のエジプトや、「アラブの春」が最も良い結果につながったとされるチュニジアでも、冒瀆罪による迫害が起こっている。USCIRFの委員ズーディ・ジャサー氏やカトリーナ・ラントス・スエット氏はその書で、「個人の自由を増大させるかわりに、こういった傾向によってアラブの春が抑圧の冬に変わってしまうかもしれない。それは寛容性のない実力行使と、真の解放や民主主義への希望を奪う独裁政治を意味する」としている。

以上のすべてを踏まえても、パキスタンはやはり特に深刻な問題を抱える国家だ。この国の建国の父ムハンマド・アリ・ジンナーは、宗教の自由の重要性を強調した。しかし独裁者ムハンマド・ジア=ウル=ハク元大統領の統治を経て、パキスタンは次第にイスラム色を強めていった。彼の政府は冒瀆罪を糾弾しただけでなく、フリーダム・ハウスによると、新しい法を制定して「婚外交渉、盗みやアルコール禁止令を破った者に対して、厳しいイスラム法(シャリーア)の罰則」を強行的に実施した」というのだ。

このような法律の影響は、宗教上の少数派や革新派の人々に最も重くのしかかった。差別や非寛容、暴力が日常茶飯事となっていった。フリーダム・ハウスによると、「パキスタンの冒瀆罪の法律は政治的に利用され、イスラム教を信じない人々に対して不公平に重く適用されている。他の多くの国でも冒瀆罪を罰する規定があるものの、パキスタンの状況はその深刻さと、宗教上の少数派にもたらす影響の大きさという点で特別だ」としている。パキスタンという地理的に重要な位置にあり、核兵器を保持している国で、非寛容がすでに当たり前のこととなっている。

残念なことに、冒瀆罪の乱用はどんどん悪化している。フリーダム・ハウスは、冒瀆罪に関する法律は事実上「自由裁量によって身柄拘束を延長」することができる状況までもたらしている、と警告している。この法律によって、もともと十分とはいえなかった法の適正手続も無きに等しいものとなり、ごく少ない、またはほとんど存在しないような証拠にもとづいて求刑がなされる、という事態にまで発展している。こうした中で、被告人たちは公共機関からの拷問に加えて、民間からの私刑にもさらされている。

冒瀆罪に関する法律は、世界規模で基本的な個人の自由権を侵害している。欧米諸国でもひどい事態なのだが、イスラム諸国ではそれよりはるかに悪い状況だ。特にパキスタンでは、この問題は大変深刻だ。フリーダム・ハウスは、「パキスタンの冒瀆罪に関する法律は非寛容、そして罪を犯しても処罰されないという風潮を促進するものだ。これは様々な人権侵害につながる。表現の自由や宗教の自由だけでなく、自由裁量による逮捕や拘束から守られる権利や、法に基づく適正手続を経た公正な裁判を受ける権利、拷問や、残酷で非人道的、屈辱的な扱いを受けない権利、そして生命や個人の安全を確保する権利にも関わってくる」としている。

当然だが、アメリカがパキスタンの政策に関してできることはほとんどない。しかし、国際宗教自由法で、国務省はある国を「信教の自由弾圧について特に懸念される国」に指定することができる。USCIRFは、「パキスタンは懸念される国になっていない国の中で、宗教の自由に関して世界で最悪の状況を呈している」と述べている。残念ながら、2014年7月の発表でも、アメリカ政府はパキスタンを懸念される国に指定しなかった。オバマ政権はこの誤りを修正すべきだ。

一部の人々にとっては、宗教の自由というのは後付け的で、実際に生活する上ではあまり影響のない、高尚な真理のように思われているかもしれない。しかし、他国の政府が良心の自由を尊重しているかどうかということは、「炭鉱のカナリア」の役割を果たす。個人が神に対する信仰(または不信仰)を大切にする権利を国家が保護しない場合、その国家は他の重要な自由権も保護することはないだろう。また、生命や個人の尊厳が尊重されない社会は、アメリカに対して攻撃的な考えや信条の温床となる可能性が高い。

今日のパキスタンに見られるように、宗教過激派はますますその勢力を増している。冒瀆罪規定の乱用も見られるように、この過激派の存在はパキスタンの国家としての統一性、そしてその核政策の安全性をも揺るがしている。アメリカはパキスタンの政策を操作することはできないにしても、パキスタンに住む人々、そしてひいてはアメリカに住む人々を脅かす問題について、もっと焦点をあてて議論していくことはできる。

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