自宅待機中、子どもにイライラしてしまう…。親失格だと感じているのは、私だけですか?

新型コロナで保育園が閉園し、私たち家族3人はずっと一緒に家にいることになった。それは過去に経験した悪夢の始まりだった

WHO(世界保健機関)が新型コロナウイルスのパンデミックを宣言した数日後に、夫と私は2歳の娘のおしゃぶりをやめることを決めた。

それは偶然のタイミングだった。私たちはその数日前から、おしゃぶりを卒業しようと話していた。

その夜、おしゃぶりの妖精(おしゃぶりを子どもから卒業させる妖精)がやってきて、娘のお気に入りのおしゃぶりを受け取り、他の小さな赤ちゃんに届ける予定だった。

しかしおしゃぶりがなくなった初日、娘はお昼寝を拒否した。1時間泣いて、おしゃぶりをねだった。それでも私たちはおしゃぶりを与えなかった。

それから娘は、お昼寝をするたび、夜寝るたびに泣いておしゃぶりを求めるようになった。そして赤ちゃんの頃のように、夜中に突然目を覚まして泣き叫んだ。

赤ちゃんだった彼女を何度も仰向けにして寝かせていた時のように、私は子ども部屋にいって、何時間もかけて娘を寝かしつけなければならなくなった。

それから2日後、保育園が休園になった。途切れ途切れの睡眠で睡眠不足だった私たちは3人は、ずっと一緒に家にいることになった。一日中、毎日だ。

日が経つに連れて、あるデジャヴが襲ってきた。以前に感じたことのあるモヤモヤした気持ちが生まれた。そして私の体は、完治していなかった傷が再び痛み出したかのようなズキズキした痛みを、感じるようになった。

そして気がついた。私たちは娘が生まれたばかりの時のような生活を、再び送っているんだと。

子育てに圧倒されないお母さんになれるかも、と思ったけれど……

娘が生まれたころ、本当に大変だった。私は生まれたばかりの赤ちゃんを世話するのには、あまり向いていなかった。

娘がよちよち歩きができるようになってようやく、私は出産後の3カ月のことを、ホラー映画で最後に生き残ったことに気付いた女の子のように、安心と恐怖の気持ちで振り返ることができるようになった。

産休の間、私は「黄色い壁紙」の主人公のように家の中に一日中閉じ込められ、そしてリラックスするように言われた(そしてそれを楽しめと!)。

自分ひとりで、他の人間を生かし続け、健康にし、幸せにしなければいけないという重い責任は、私には耐えきれないものだった。

生後3カ月で娘を保育園に預けられた時は、本当に嬉しかった。だけど街がロックダウンになり、私はまた突然あの閉じ込められた生活に戻ってしまった。家の中に子どもと置き去りにされて、一つ一つの決定や選択に重大な責任を感じるようになった。

1週目は良かった。私たちはフィンガーペイントを楽しみ、水を張ったバスタブに水着で入って手作りのプールを堪能した。本を読み、散歩に行き、パンを焼いた。これまで感じていなかったような親としての満足感を、味わえた。

もしかしたら私は、どこかで感じていた不安を根拠のないものだと意識的に思いたかったのかもしれない。私はいつも、他の母親たちがやっていることをやっていないという罪の意識をどこかで感じていた。

私は他のお母さんたちが自然と感じるであろう「子どもといつでも一緒にいる必要がある」とか「いつも子どもと一緒にいたい」という気持ちを感じたことがなかった。

だけど今なら、子育てに圧倒されず、悲しくならず、恐怖も感じないお母さん、1950年代の広告のようにいつも優しく微笑んでいるお母さんを、娘に経験させてあげられるかもしれない、と私は思った。

しかし2週目になって、徐々にひずみが生じ始めた。ずっと一緒に家にいるという新しい生活に、私たちは疲れ始めた。娘はおもちゃに飽きたと言うようになった。私が彼女のために作った数々のアクティビティーは、一緒に過ごせるわずかな時間でやるには、準備にも片付にも時間がかかりすぎた。

娘は徐々に不機嫌になり始めた。そして、パソコンでメールチェックやZoomミーティングをこなさなければいけない夫と私は、そんな娘にイライラし始めた。

娘が生まれた頃にタイムスリップしたかのようだった

彼女の不機嫌にイライラするようになった私に、過去の記憶が蘇ってくるようになった。それはフラッシュバックですらあった。

以前に感じたことのある苛立ちが、私の胃をキリキリさせた。私は過去にも、娘の要求に対して、思いやりのない気持ちを感じたことがあった。それがアンフェアだと知っていながらも、娘の求めることを不快に感じていた。

幼い娘は、感情的なサポートを必要としてる。だけど、本当に必要としているものがあるわけではない。私は、彼女が生まれたばかりの頃に感じていた圧迫感を胸に感じるようになった。それは、彼女が必要としているものを与えられないことへの我慢できない苛立ちだ。赤ちゃんの頃、娘はお腹がいっぱいでオムツも汚れていないのに、私の腕の中で泣き続けていた。

以前のように、彼女をハッピーにする方法を次々に試さなければならなかった。おもちゃやゲームやパズルを娘に与えた。消しゴムのカスや粘土がカーペットに詰まり、私が持っている全てのスウェットに絵の具がついた。それでも彼女の不機嫌はなおらなかった。

娘は自分の体を床の上に身を投げ出し、おもちゃを床に放り投げた。散歩に行けば濡れた地面に座り込んで、動かなかった。

さらに、自分のハイチェアに座るのを拒むようになった。その代わりに、食事のたびに私の膝に座って、自分の体をべったりとくっつけた。彼女の細くて小馬のような足は、椅子の横にだらんと垂れ下がり、私は彼女を膝に乗せたまま食事をしなければならなくなった。私のフォークから滑り落ちた食べ物が、ビチャっと音を立てて床に落ちた。

娘が赤ちゃんだった頃にタイムスリップしたような感覚を覚えた。娘を抱いてバランスをとりながら、なんとか食事をしていたあの頃。娘の頭に食べ物を落として火傷させたらどうしようとハラハラしながら、冷え切った料理を食べていた。

母親はいつだってアンフェア

「母親なんだから、あなたがいろんなことを決めなきゃ」。3週間目に電話した時に、私の姉妹はそう言って私を叱った。

その言葉は真実でありそしてアンフェアだった。そして母親の仕事はいつだってアンフェアだ。子育てをしても、母親は責められるけれど父親は褒められる。家事のほとんどをやる母親は、その仕事の一つ一つを批判されるのに、父親はそこにいるだけで褒められる。

「あなたは今、サバイバルモード(今を乗り切らなければいけない状況)にいるんだから」と姉妹は言った。

「サバイバルモードだから」。それは娘が生まれた時に、たくさんの人からかけられた言葉だった。きっと今、新型コロナの危機の中で子育てをしようとしている親たちの多くが、同じことを言われているだろう。「この状況を乗り切るために、やるべきことをやりなさい」、と。

だけど私には、そんなに簡単に乗り切ることなんてできない。友人や家族や近所の人や祖父母から距離をおくよう言われる中で、人との繋がりはどんどん小さくなっている。

今、私の世界はたった3人だけなのだ。そして外の世界では、ひどく恐ろしいことが起きている。死者は増え、簡易の死体安置所ができている。新型コロナウイルスに感染した友人もいる。SNSには、イタリアから流れてきた根拠の不確かな情報が溢れ、間も無く襲ってるであろう未来を伝えている。

しかし、自分たちの島から出られない私は、そういったことに少し気持ちを向けるだけで精一杯だ。私は、娘が赤ちゃんだった頃から感じてなかった、痛みや動悸を感じるようになった。それは、失敗することの恐怖だ。

やるべきことをやれない恐怖、少なくとも母親たちがやるべきだ、と思われていることをやれないことへの恐怖。

だけど天変地異が起きようと、私は自分が望むような母親にはなれない。他のお母さんたちがおそらくやっているように、子どものために自分の全てを犠牲にするのは、私にはたやすくできることではない。

今の私が何より必要としているのは、慰めの言葉だ。「あなたのやっていることは間違っていない、元の世界であろう場所に戻った時にきっと娘さんは落ち着く、私の怒りっぽさや創造力に欠けるアクティビティの計画、そして長時間テレビやパソコンを見ていることは娘さんをダメにしていない」という言葉。

ネット上には、すでに気候変動や学校の銃撃を経験している子ども達に、パンデミックや経済危機がどんな影響を与えるかについて書いた記事が増えている。

しかし記事には、私たちの行動が子ども達が成長した時にどういった形で現れるかは誰もわからない、と書かれている。

一瞬の魔法で、1日乗り越えられた

1日の中でほとんどない静かな時間の中で、私はこんなことを考えた。

国のリーダーたちが、私たちの所にやってくるまで危機を無視し続けたことが、私の娘にどんな影響を与えるんだろう、と。

私はもう、センサリービン(中に砂やお米やビーズなどを入れて遊ぶ入れ物)からこぼれ落ちるお米を見ても、それを拾い集めるのも耐えられない状態なのだ。

自主隔離3週間目、私はおしゃぶりなしに眠れない娘を見下ろして、何か違うことを試してみようと思った。

私は娘に向かって語りかけてみた。1日の間に起きた事を話した。そして起きて洋服を着て、外を歩いた。外に咲く黄色い花を眺めた。

久しぶりに、私はロッキングチェアに身を沈めた。それはおしゃぶりをやめようとしてから、ずっとやっていないことだった。

娘は小さく抗議しただけだった。私たちはランチを食べ、「ダニエルタイガー」を見て、夕食を食べた。お風呂に入り、ミルクを飲んだ。歯を磨いた。

それはただ、泣くことやメソメソいうのを止めて、楽観的に過ごしただけだった。だけどなぜか、うまくいった。娘に話しかけながら、私は彼女の体が私の体の中で落ち着いていくのを感じた。

娘は赤ちゃんだった頃のように、私の体の中にもたれかかった。ミルクの匂いがする暖かい息が、私の首にかかった。足を私の腰の周りに広げ、両腕を鳥の赤ちゃんのように私たちの体の間に入れた。娘はその夜、眠ってくれた。

かつて彼女を安心させてくれていたものは、もう過ぎ去ってしまった。

しかし私は、私たち2人にとっての新しい慰めを見つけた気がする。娘が眠ってくれた日に、私たちをもう一日乗り越えさせてくれたもの。

あれは、なんとか前に進むための、小さな魔法だった気がする。

ハフポストUS版の寄稿記事を翻訳しました。