中米諸国から米国を目指す「移民キャラバン」を待ち構えるもの

米・メキシコ国境地帯でメキシコ側にいるキャラバンには米国に入国する権利は無く、「難民」と認められる人はごく一部。
GUILLERMO ARIAS via Getty Images

今年になって、主にホンデュラス、エルサルバドル、グアテマラ等の中米諸国から北米を目指して移動している「移民キャラバン」の動きに注目が集まっています。そもそも、中南米諸国から米国を目指す移動は全く新しい話ではありません。むしろ、中南米諸国から米国への一般的な越境移動の規模は2000年代と比べると最近は減少傾向にあり、2017年1年間に米・メキシコ国境地帯で米国当局に拘束された不法入国者数は、1972年以来最低の数だったといわれています

その一方で、中米3カ国からの庇護申請者数が2013年頃から急増しているのは確かで、近年は3カ国合計で毎年3万件近い新規庇護申請が米国政府に対して行われています。特に今年発生したキャラバンはまとまって移動するようになったので、映像的に「あたかも米国に大量の移民が押し寄せている」かのような錯覚を与えるインパクトはあり、それを11月上旬の中間選挙で政権側の有利になるよう利用しようとしたトランプ氏に、メディアが乗せられたという面もあるでしょう。

そのような一般メディアがキャラバンやその対応の是非について表面的な報道しかできないのはある意味仕方がないにせよ、より深刻なのは、この問題に強い関心を持つハト派(一般的には人権弁護士や人道支援家など)の主張にも、タカ派(トランプ政権や右派)の主張にも極めて偏った見解や誇張が見られることです。

そこでこのブログでは、(1)キャラバンに米国入国権はあるのかと、(2)キャラバンのうち正式に「難民」と認められる人がどれほどいそうか、という問題に絞って解説してみたいと思います。

移民キャラバンに米国入国権はあるの?

結論から先に言うと「なし」です。仮に「難民」として認められる可能性がある人がキャラバンに含まれていたとしても、米国への入国権はありません。残念ながら、難民であろうとその他の一般的な移民であろうと、自国以外の国に入国する権利というのは、国際法上、外国人には認められていないのです。あるのは、自国を出る権利と、国籍国(あるいは永住権のある国)に「帰国(再入国)する権利」だけです(世界人権宣言第13条)。よって、「キャラバンの中には『難民』である可能性がある人もいるから、米国に入国させなくてはならない!」という主張は、少なくとも法律的には間違っていることになります。

その一方で、米国に「既に入国した人」で難民である可能性のある人は、米国政府は身の危険がある出身国に絶対に送還してはなりません。これは国際法上「ノン・ルフールモン原則」と呼ばれる非常に重要な約束で、仮に難民条約を批准していない国でも守らなければならないルール(慣習法)と見なされるようになってきています。この「既に米国内に入国している人」が仮に不法に入国したという経緯があったり不法滞在状態であろうとも、このルールが当てはまることに全く変わりはありません。このことは難民条約第31条にも、米国内法の出入国国籍法第208条にも、明記されています。

というのも、そもそも難民とは自国政府から迫害を受けている人あるいは保護してもらえない人であり、そのような人が自国を合法的に出国するために必要な旅券を発行してもらえるよう自国政府当局にアプローチするのは危険でしょう。また現在では世界中殆どの国が、自国にやってきたら庇護申請しそうな国出身の人にはビザが無いと入国できないよう規制していますが、その反面、そのような人から申請があっても大使館はビザを発行しないでしょう。従って、難民である可能性が高い人ほど、合法的に自国を出国し他国に入国するために必要なパスポートやビザを入手しにくいという「袋小路」に陥る構造になっています。多くの正真正銘の難民が、偽装旅券を使ったり、極めて危険な方法で越境移動せざるを得ない状態に置かれている所以です。このことは決して新しい現象ではなく、既に70年前以上から想定されていたので、1951年にできた難民条約31条では「不法入国した難民を処罰してはならない」と定めているのです。

ちなみに、11月9日にトランプ氏が「通常の出入国審査所以外を通過して米国に入国した人には庇護申請する権利が無い」という主旨の大統領令を発出しましたが、それは明らかに米国の出入国国籍法(第208条(a))にも、国際難民法上の規則にも反するものであり、さすがにカリフォルニアの連邦地方裁判所によって差し止められました。法律の解釈として極めて妥当な判決と言えるでしょう。

ここで一つ問題になるのが、具体的にどの段階で米国に「入国した」と判断するかです。これは非常に難しい問題で、実は世界各地でも「どの段階で入国したと判断するか」について、国内裁判所や国際裁判所等で非常に詳細な論争が繰り広げられています。このブログであまりに専門的な判例法解説を展開するのは相応しくないですが、例えばメキシコのティフアナで米国出入国管理局に入国・庇護申請した段階では、まだ米国に「入国した」とは言えないでしょう。入国・庇護申請が米国政府に受理されて、実際にメキシコ領土を出て米国の領土内に入った段階で初めて確実に「米国に入国した」と言えます。

ちなみに、メキシコを出国して米国に入国するまでに距離がある国境地帯の場合や公海上の場合、その国境地帯や公海上で米国当局の官憲に保護・拘束された瞬間に実質上「米国政府の管轄下に入った」と解釈するのが、国際法上の最新の判例法からは妥当な解釈です。けれども米国内では違った解釈の判例もあり、見解の分かれる論点です。

因みに日本の場合は島国ですので、圧倒的大多数の庇護申請者が飛行機で日本に到着します。例え日本のいずれかの空港内で、入国審査官に日本への上陸を正式に認められる前であったとしても、既に日本の領域内に実際に「いる」状態になっていますので、彼等からの庇護申請を受け付けないのは実質的に国際法の精神に反する行為と言えるでしょう。

またリベラル派の中には、上記の「ノン・ルフールモン原則」の延長上の解釈として、例えばある国の国境のすぐ外側(隣国)の国境地帯で射殺されたり拷問されそうな人がいる場合、その国は国境を開かないといけない、という議論を展開する人達もいます。今回の例で言うと、例えばメキシコ政府やティフアナ当局などが突然、キャラバン達を米国境のすぐ手前で射殺し始めたなどのシナリオが想定されるでしょう。シリア難民の時にも、国境を閉鎖したハンガリー政府に対して、「シリア難民達はセルビア国内で迫害を受ける危険があるから国境を開くべきだ」という抗議がなされました。

この議論も法哲学の問題として興味深い仮想上の論点ではあるのですが、10月19日にメキシコ大統領が「メキシコ国内で庇護申請をしたいキャラバンは全員歓迎し、庇護申請の審査中の衣食住はメキシコ当局が面倒を見る」という主旨の公式声明を発表したので、今回のキャラバンが米国政府に対して入国を迫る根拠は決定的に弱まる結果となりました。

移民キャラバンのうち「難民」と認められる人はどれほどいるの?

キャラバンは現時点で1万人以上に上っていると言われており、私自身が全員一人一人に面接している訳ではないので一般化は難しいのですが、様々なメディアでのインタビューを見ると、難民条約上の「難民」にあてはまる可能性のある人はかなり少ない模様と考えられます。

実は、11月の中間選挙前2週間ほどたまたま米国に滞在していたので、メディアでキャラバンのインタビューが流れる度に注意して見ていたのですが、インタビューを受けていた殆ど全ての人が、「ギャングによる犯罪の恐怖」か「極度の貧困」を国外脱出の理由に挙げていました。

まず後者の「極度の貧困」ですが、これは基本的には難民条約第1条2(A)にある「迫害」の定義に当てはまりません。「迫害」という概念の定義は、過去50年以上に亘って世界の裁判所や専門家の間で喧々諤々の議論が繰り広げられてきていますが、EUの資格指令9条に則れば大まかに言って「基本的人権の深刻な侵害」と理解することができます。しかも難民条約は迫害は「人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員、または政治的意見」に基づくもの、つまりそれらの5つの理由のいずれかによる「差別」に基づく基本的人権の深刻な侵害でないといけない、と定めています。

例えば、政府の恣意的な政策によって、ある特定の民族集団や特定の場所に住む人々だけが極度の貧困に晒されている場合、「人種」や「特定の社会的集団の構成」という理由による差別的な要素が見て取れますので、迫害に相当すると推測することができます。ところが、例えばある国が大規模かつ長期的な干ばつに見舞われていて、政府が全国的に有効な処置を講じられないために乳幼児が大勢餓死していたとしても、そこに5つの理由のいずれかに基づく差別的な要素が無いとすれば、難民条約上の「迫害」の定義に当てはまると見なすことはできません。よって、何ら差別的な要素がない状況下で「仕事が無い」とか「子ども達に十分な食事や教育を与えられない」とかの理由でキャラバンの人達が庇護申請しても、難民条約上の難民として認められる可能性は極めて低いのです。

「ギャングによる犯罪の恐怖」についても同様のことが言えます。中米3カ国、特にホンデュラスの殺人率が極めて高いというのは有名な話ですが、もしギャングによる強奪や略奪、それらの脅迫に遭っていたとしても、それが無差別的なものである限りにおいては、残念ながら難民条約上の「迫害」の定義に当てはまるとは言えません。他方で、ギャングが「特定の社会的集団」(例えば特定の村や部族、または母子家庭など)を狙って略奪行為を行っているのに政府当局が有効な措置を講じられなかったり、あるいは、ギャングによる犯罪行為への対策において政府当局が「この町には反政府的な意見を持つ人が多いから、ギャング対策はこの町は措置を講じなくて良い」などと差別的な判断を行っている場合には、難民条約上にいう「迫害」の定義に当てはまる可能性がグッと高まります。

この点に関連して、今年の6月11日にジェフ・セッションズ司法長官(当時)が「ギャングによる暴力や家庭内暴力は庇護申請の根拠ではない」と公式に発言して、物議を醸しだしました。確かに「家庭内暴力」が難民条約上の「迫害」の定義に当てはまるかについても、長年、様々な国の裁判所や専門家の間で大いに議論されてきたところですが、私が認識している限りでは、家庭内暴力の被害者全員が即座に「難民である」と判断している国は今のところないはずです。他方で、もしある国の政府が、家庭内暴力の被害者救済を、特定の村や特定の部族や反政府勢力(と見なしているグループ)に対してのみ怠っているとしたら、それは差別的要素であり、難民条約上の「迫害」に当てはまる可能性がグッと高まります。また、一部の中東諸国で未だに無くならない(伝統的社会的通念に従わない若い女性の親族による殺害である)「名誉犯罪」の中には、「特定の社会的集団の構成員に対する迫害」と見なしうるケースが多くあるでしょう。

要するに、差別的要素が一切無い中での「ギャングによる犯罪の恐怖」とか「極度の貧困」とか「家庭内暴力」といった理由だけでは、難民条約上の「迫害」の定義に当てはまると直ちに判断することはできません。その裏に、難民条約が挙げる5つの理由のいずれかの差別的要素が無いのかどうか、注意深く審査する必要があります。

残念ながら、難民条約上の「難民」の定義は非常に狭い概念で、難民条約は「可哀想な人」全般を救うために作られた条約では決してないのです。

まとめ

以上をまとめると、米・メキシコ国境地帯でメキシコ側にいるキャラバンには、一般的に言えば米国に入国する権利は無いですし、何らかの形で入国できたとしても、難民条約上の「難民」と認められる人は極一部に限られるでしょう。何とかして入国して米国内で庇護申請した人達も、数か月ないしは数年の庇護審査期間を経て、最終的には母国に強制送還される人が圧倒的大多数になると考えられます。せっかく数週間・数か月も苦労して長距離を決死の思いで移動してきたのに、時間とお金と労力を無駄にしただけで、結局は「フリダシにもどる」だけの人が大多数になりそうなのは、非常に心が痛むところです。

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