「おばあちゃんに会いたい」祖母が亡くなって2年、ひとり静かに死と向き合う

きっかけは、Amazonの動画でした。
病院のベッドで。祖母と一緒に撮った、最期の写真となった。
病院のベッドで。祖母と一緒に撮った、最期の写真となった。
Kei Yoshikawa/HuffPost Japan

僕は祖母が大好きでした。小さい頃から(母子家庭だった)僕の面倒をよく見てくれ、優しくて、料理上手で、カラオケでは美空ひばりと氷川きよしを必ず歌う祖母が、僕は大好きでした。

そんな祖母は、2年前の8月、この世を去りました。

仏教では、亡くなってから丸2年で「三回忌」の法要が営まれます。四十九日と一周忌の法要に続き、とても大事な法要とされていますが、あろうことか僕は祖母の三回忌には出席しませんでした。

僕は法事というものが、特に親族の法事がどうしても苦手なのです。

お墓の前にうやうやしく飾りつけられた祭壇、容赦なく照りつける日差し、もわっとした蒸し暑い空気、体中から吹き出る汗、お坊さまが読む長い長いお経...。

堪え性がない僕にとって、正直苦痛でしかありません。久しぶりに会った親族からは、毎度「いつ結婚するの?」の圧力がかかる。「いや、お前に関係ないだろ」とツッコんでしまいたくなるのをグッと堪える。

そして何より苦手なのが、両親や親族、知人も、みんながみんな故人の思い出話に花を咲かせることです。

「おばあちゃんは、うなぎが好きだったのよね」

「カラオケでは美空ひばりの『柔』を歌ってたよね」

「ほら、今日はお孫さんも来てくれたわよ」

「こうやってみんなが来てくれて、おばあちゃんも喜んでいるだろうね」

僕は、こういう会話がどうしようもなく苦手です。他人が、まるで祖母の気持ちを代弁して話すかのような言葉に、僕はどうしてもモヤモヤとした気分になるのです。思わず心のなかで、こんな独り言を呟いてしまう。

「そんなことは言われなくても知ってるよ」

「来てくれたって?そんなの見れば分かるでしょ?」

今思えば、みんな故人の思い出を言葉にすることで、気持ちに整理を付けていたのかもしれません。

それでも、わかりきったことをわざわざ声に出して、同意を求めてくるような思い出話が、僕はどうしても苦手でした。「ほら、あんたもそう思うでしょ?」と、死の悲しみをともに背負うことを強制するかのような、そんな言葉を聞かされると、胸が苦しくなるのです。

結局、仕事を言い訳にして、三回忌の法要には出ませんでした。その日は家に引きこもりました。リビングに置いた祖母の遺影が目に入るたび、なんとなく後ろめたい気持ちになったけど、それを振り切るように自室のベッドに潜り込み、ひとりで、ただただ時間が過ぎゆくのを待ちました。

ベッドの中でスマホをいじっていると、Twitterのタイムライン上に、ある企業の広告が流れてきました。

Amazonの動画に映った、おばあちゃんの笑顔を見た瞬間、僕は無性に祖母に会いたくなりました。

と同時に、元気だった頃や、亡くなる直前に病院のベットで横たわる祖母の姿がフラッシュバックしてきました。

■「ひとり」になって回顧した、おばあちゃんとの思い出

サングラスをかけて、ピースサインを決める祖母。入院当初はまだ元気だった。
サングラスをかけて、ピースサインを決める祖母。入院当初はまだ元気だった。
Kei Yoshikawa/HuffPost Japan

祖母は、84歳でこの世を去りました。それまで大した病気もせず健康そのものでしたが、ある日突然「胸が痛い」と訴え、病院に行ったところすぐ入院。精密検査の結果、肺がんだと判りました。すでに末期でした。

幸か不幸か、入院先が僕の自宅の近くだったので、毎日の出勤前や退勤後、会いにいくことができました。およそ2カ月の入院生活、ほぼ毎日病院に通ったと思います。

30年ほど前に夫(僕の祖父)を無くした祖母は、それ以降、女手一つで二人の娘(僕の母と叔母)を育てました。

娘たちが成人した後も働き続け、70歳になるまで新宿駅西口の売店で、弁当の売り子として立ち続けていました。愚痴はこぼさず「疲れた」とも言わず、とにかく働き者でした。先の大戦を生き抜いたパワーには、今も頭が下がる思いです。

僕の家は、僕が小学校に上がったころ母子家庭になりました。母が昼夜働いていた間、幼かった僕の面倒を見てくれたのが祖母でした。

僕の具合が悪くなった時には病院に付き添ってくれ、遠足のお弁当を作ってくれたこともありました。大きな大きなおにぎりを、よく作ってくれました。

そんな昔のことを思い出しながら、祖母のお見舞いに通いました。

入院から1カ月ほど経ったころ、祖母が食事を摂ることを拒み始めました。はじめは「病院食って美味しくないのよね」とぼやいているだけでしたが、次第に「何も食べたくない」と言うようになりました。

病院食を食べる祖母。
病院食を食べる祖母。
Kei Yoshikawa/HuffPost Japan

食べることが大好きで、美味しいものに目がなかった祖母から「食べたくない」の言葉を聞いた時、何とも言えない寂しさを感じたことを覚えています。

この日を境に、祖母の身体はどんどん小さくなっていきました。

「食べることは、生きること」という言葉を、この時ほど実感した瞬間はありません。大きくて、朗らかで、働き者で、何があっても「大丈夫よ」とどっしり構えていた祖母の姿は、もうそこにはありませんでした。

亡くなる直前の3日間はモルヒネ系の鎮痛剤の影響もあり、ほぼ意識が無い状態でした。それでも、「会社、いってきます」と話しかけると、両足をモゾモゾと動かして反応してくれました。「いってらっしゃい」と言ってくれていたのでしょうか。

その日は体調が安定していたこともあり、看護師さんが祖母をお風呂に入れてくれました。意識はなかったですが、嬉しそうな表情でお湯に浸かっていました。

再びベッドで眠る祖母の手を握り「行ってきます」と声を掛け、僕は病室を去りました。祖母の手がいつも以上に温かかったことを覚えています。

これが祖母と過ごした最期の時間でした。この日の夕方、祖母は亡くなりました。看取った叔母曰く「眠るようにして旅立った」そうです。

「おばあちゃん、亡くなったよ」。母からのメールがありました。

その後、仕事でバタバタしていた僕が、祖母とちゃんと対面できたのは、2日後の「通夜」でした。大好きだった紫のブラウスに身を包み、祖母は穏やかな顔で棺の中で眠っていました。棺の中には、大好きだった氷川きよしのTシャツを入れてあげました。不思議と涙は出ませんでした。

翌日、告別式が終わると、祖母の棺を載せた車ととも斎場(火葬場)へと向かいました。タクシーで向かったのですが、この間なにを考えていたのか、いまいち記憶が曖昧です。ただ車窓から、祖母と一緒に行ったことがある和菓子屋さんが見えたことを覚えています。気付いた時には火葬場の前に着いていました。

棺がゆっくりと霊柩車から降ろされ、火葬炉の前に運ばれていきました。棺の蓋が外され、いま一度だけ祖母の顔をみることができました。変わらず、安らかな顔で眠っていました。

やがて、目の前の火葬炉の扉がゆっくりと開きました。と同時に、棺の蓋が閉じられました。炉の中は真っ暗で、まるで出口が見えないトンネルのようでした。ふと、目に涙が浮かんできました。この時ようやく「祖母が亡くなった」という事実を認識できたのだと思います。

棺が火葬炉に入れられると、係員の「お別れでございます」の言葉とともに、炉の扉がゆっくりと閉じられました。

1時間後、祖母の肉体は消え、綺麗な綺麗な白い骨になりました。

■「誰かと」ではなく、「ひとり」で死者と対話したい。

あれから、僕の身の回りの環境は大きく変わりました。

転職し、記者・編集者として日々、ニュースを追いかけています。熊本地震の発生、オバマ大統領の広島訪問、リオ五輪、都知事選、シリア情勢、トランプ政権の誕生、東日本大震災から5年、欧州でのテロ、緊迫化する北東アジアの情勢...。世界は目まぐるしく動き、身近な人の死を悲しむ暇すら与えてくれません。

仕事が忙しく、死に目にも会えなかったからでしょうか。時たま、祖母がまだ生きているような錯覚に陥ります。祖母が通っていたスーパーに行くと「偶然会えたりしないかな」と、心のどこかで思ったり。きちんと、祖母の死に向き合えていなかったのでしょうか。いや、「忙しい」を言い訳にわざと向き合うことを避けていたのかもしれません。

ただ、落ち着いてきた今だからこそ、猛烈に思うのです。「おばあちゃんに会いたい」と。

身近な人の死と向き合う時、みんなで思い出話に花を咲かせなければならないのでしょうか。たしかに、それも弔い方のひとつでしょう。

でも、僕はこうも思うのです。「一人ひとり」が、自分の心のなかで悼む気持ちを持てば、それで良いのではないか、と。

三回忌には行けませんでしたが、秋のお彼岸には祖母のお墓参りに行こうと思います。祖母の好きだった、うなぎとおはぎを持って。そこで、ようやく祖母の死と向き合えるような気がします。

それができたら、祖母の墓前で、この2年間のことを報告しようと思うのです。「誰かと」ではなく「ひとり」で。

ハフポスト日本版は、自立した個人の生きかたを特集する企画『#だからひとりが好き』を始めました。

学校や職場などでみんなと一緒でなければいけないという同調圧力に悩んだり、過度にみんなとつながろうとして疲弊したり...。繋がることが奨励され、ひとりで過ごす人は「ぼっち」「非リア」などという言葉とともに、否定的なイメージで語られる風潮もあります。

企画ではみんなと過ごすことと同様に、ひとりで過ごす大切さ(と楽しさ)を伝えていきます。

読者との双方向コミュニケーションを通して「ひとりを肯定する社会」について、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。

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