安保法制への異議申し立てはややピントがずれている 五百旗頭真氏に聞く(上)

日本国民の安全が守るために何をしたらいいかと、広い視野で考えなければなりません。
2016-02-23-1456217311-2962687-logo.png朝日新聞社の言論サイトである「WEBRONZA」は今を読み解き、明日を考えるための知的材料を提供する「多様な言論の広場(プラットフォーム)」です。「民主主義をつくる」というテーマのもと、デモクラシーをめぐる対談やインタビューなどの様々な原稿とともに、「女性の『自分らしさ』と『生きやすさ』を考える」イベントも展開していきます。

「民主主義をつくる」は、

②「自由って何だ? SEALDsとの対話」 1234

③五百旗頭真・熊本県立大理事長インタビュー 1(本記事) 23

の三つで構成しています。

安全保障法制や同法に対する抗議行動について、また憲法改正などについての考えを、熊本県立大理事長でひょうご震災記念21世紀研究機構理事長の五百旗頭真氏にうかがった(聞き手は豊秀一・朝日新聞編集委員)

五百旗頭真 いおきべ・まこと 1943年生まれ。熊本県立大理事長、ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長。専門は日本政治外交史。神戸大教授、防衛大学校長を歴任。著書に「米国の日本占領政策」「占領期 首相たちの新日本」など。

聞き手:豊秀一 ゆたか・しゅういち 1965年生まれ。論説委員、東京本社社会部次長などを経て、朝日新聞編集委員として憲法・メディア、司法などを担当。

いま考えるべきは国際環境の変化だ

五百旗頭真氏

――昨年、安倍政権が強引に成立させた安全保障関連法をめぐり、「SEALDs(シールズ)」という学生団体や高校生の団体「T-ns SOWL(ティーンズソウル)などが、国会前や街頭で異議申し立てをしました。労働組合の動員ではなく、一般の会社員や主婦らも参加し、「カウンター・デモクラシー」という意味でも注目を集めました。この動きを戦後史の中でどういうふうにとらえていますか。

「近年、特に若い人が政治的に無関心で、選挙でも棄権する人が多く、担い手にはなれないと言われてきた。安保法制のときには、組織的なバックもない、ボランタリーな人が、いろいろなところから声を上げて集まってきた。集まってみると、『あれ、いろんな人がいる』という出会いもあり、政治がおかしいと思うのは自分一人ではないと、市民的な意思結集の意味を持った。若者は概して政治社会のことには関心ないというが、そうでもないということが示されたわけです」

「そういう意味では、注目に値しますが、では、安保法制に対する異議申し立ての妥当性については、人によって意見がいろいろだと思う。私から見ると、『憲法違反ではないか』とか、『平和憲法が崩されるのではないか』、あるいは『また日本が戦争へ向かう契機にあるのでは』と心配するわけですけれども、ややピントがずれています」

――どういう点がでしょうか?

「日本はかつて戦争に次ぐ戦争、侵略に次ぐ侵略をやり、破綻した。昭和20(1945)年に大きな犠牲を払ったうえで国を亡ぼしたことが、戦後日本国民の共同体験になった。その原体験に照らすと心配になるのも理解できますが、今はそうではない。日本政府が戦争を始めたいかとか、どこかの国を侵略したいという意思は全くありません。そういう意向がないだけじゃなくて、準備もないし、手段もありません」

「いま考えるべきは、国際環境の変化です。中国は尖閣諸島を手にする意思行動をとり、北朝鮮は核とミサイルで脅そうとする。例えば、中国の1980年からの35年にわたる経済高度成長はすごいものです。日本の1960年代の高度成長は年平均10.5%ほどで、17年ほど続いたが、中国はその2倍の期間続いている。2015年に7%を切ったが、それでもまだ高い」

中国が軍拡をやっていることが問題だ

「問題は、中国が、経済の高度成長を土台にして、軍拡をやっていること。冷戦終結以来27年で、彼らが発表している国防費だけで41倍になった。この10年だけでも3.6倍に増えている。中国は「総合国力論」に立っていますが、それは経済力と軍事力を両輪としており、国益のために役にたつのであれば、軍事力を使うことを辞さない立場です」

「非常に憂慮されるのは、1992年に中国は領海法という法律を作り、尖閣諸島、西沙諸島、南沙諸島を中国の神聖な領土だと法律で決めました。2010年と12年に尖閣にも揺さぶりをかけ、2012年以後は自分たちも実効支配しているということを示すために、公船による領海侵犯を持続的にやっている。領土を獲得する意思を持っており、これにどう対応するかが、日本の今の安全保障問題なのです」

「もちろん、安全保障は総合的なものです。1973年の石油危機に見られたように資源エネルギーが来ないというだけで日本の安全は失われますから、経済安全保障、資源安全保障というものもある。あるいは、自然災害からの安全保障もある。とはいえ、国防という伝統的な分野で、周辺国がこれほどはっきりと日本の領土を脅かすという立場を示し、行動に移してきている」

「現実に中国が1995年にはフィリピンのミスチーフ環礁を奪い、2012年にはフィリピンの排他的経済水域内のスカボロー礁を奪って、基地とするための埋め立て工事中です。ベトナムは西沙(パラセル)諸島を中国に実効支配されてしまい、200以上の島がある南沙(スプラトリー)諸島では、7カ所の環礁では埋め立てを進められて、出現した「人工島」に3千メートル級の滑走路やビル、港が次々と整備され、軍事拠点になるのではないかと心配されている」

日本には軍拡競争をやろうとする者はいない

「日本には中国に対抗し、軍拡競争をやり、北京や上海を火の海にする能力を持とうとする者はいない。準備も能力も全くないわけです。しかし、日本が実効支配していたものを相手が奪い取ることを許してはいけない。人の住んでない尖閣くらい取られてもよい、と思う人がいるでしょうか」

「台頭し勢いに乗る国に一つを許すととめどなく膨張を助長します。初期の段階で、それは国際的に許されないことを分からせねばなりません。日本には小さいが水準の高い防衛力があり、それに加えて非常に強固な日米同盟がある。オバマ大統領も2014年に尖閣諸島への日米安保条約の適用を初めて明言した。第2次政権の安倍首相は、62カ国も海外を訪問し、各国と前向きの友好関係に努力しています。これが日本の安全保障にもプラスに働きます。自助努力、日米同盟、多くの国との友好関係という3つの面から、日本は厄介な環境の中でしのいでいるわけです」

日本が一部解除した集団的自衛権はあたりまえのこと

五百旗頭真氏

「このたび、日本が一部解除した集団的自衛権は、世界中のどこへも出かけていって、アメリカと一緒に戦争をするという話ではありません。あくまで、日本の安全に関わる部分について、日本の存立が危ぶまれる事態が起きたときに、「我々としても共同対応をする」というメッセージです。あたりまえのことに過ぎません。ですから、日本の安保法制に国際的な非難はほとんどありません」

「若者たちが自ら政治社会の問題に関心を持って、デモもするのはいいことですが、状況認識については賛同しかねます。日本が戦争をしようとしているわけではなく、厳しい国際環境の中での自らを守るための限られた条件整備に過ぎません。そんなに心配することではないと私は思っています」

「憲法違反」をいう方は視野が狭い

――若者たちが問いかけているのは、政府は憲法9条の下では集団的自衛権は行使できないと説明してきたのに、行使できると閣議決定で解釈を変えてしまったことが、立憲主義に反するのではないかということではないでしょうか。変えるなら憲法改正手続きに則(のっと)り、正面から国民投票にかけるべきだと。

「憲法第9条は第1項で、国際紛争解決の手段としての戦争を放棄するといっています。侵略戦争はしないということです。第2項で「前項の目的を達するため」に軍備は持たないということになっています。第1項で否定したのは侵略戦争だけで、自衛戦争は否定していないというのが、鳩山一郎内閣以来、政府の立場です。侵略戦争はしないが、自衛戦争はどこの国でも国民を守るのは当たり前で、それをしない政治は、国民に対する責任を放棄することだからあり得ない。それはその通りです」

「政府は『自衛のための必要最小限度の実力』は認めるという説明ですが、ここからが解釈の問題です。これをもとに限定する解釈を一生懸命積み上げてきたわけですが、書いていないものもある。例えば、国連平和維持活動(PKO)。また、侵略行為に対して、国連軍、あるいは多国籍軍が、国連憲章に基づき国際安全保障のために行動するときにどう対応するかも書かれていない。そこでPKO協力法やテロ特措法、イラク特措法などで対応してきました。今回の安全保障関連法の一つは、それを一般法化したわけです」

「実質的に日本の領土が奪われるかもしれないという国際環境の変化がある中で、いままで積み重ねてきた解釈と違った必要が生じたということですね。状況が上流から下流へ流れていく中で、課題は変わっていきます。生存と生活を守るという課題に則し、意味のある方向性というのを出さないといけない。そういう意味では、必要なら憲法を変えるべきでしょうし、まして解釈を変えることに問題はありません。状況の中で当たり前のやるべき努力で、それをやらないことのほうが、責務の放棄だと思います」

――これまで9条の解釈にはいろんな積み重ねがありましたが、集団的自衛権の行使を認めた今回の閣議決定と安保法については、私もインタビューしましたが、元最高裁長官や元内閣法制局長官、憲法学者ら法律家の専門集団から「憲法違反だ」という批判が出ています。

「そういうふうにおっしゃるのは、それがその方々の専門分野ですからね。視野が狭いのです。自分たちのつくった法体系の中では、おかしいという議論です。これまでのやり方が国際環境の中で成り立たなくなっているという認識の下で、憲法を作り直す、修正するという広い観点に立って、日本国民の安全が守るために何をしたらいいかと、広い視野で考えなければなりません」

国と国民にとっていいことか、よくないことか

「憲法に違反するかしないかではなく、国と国民にとっていいことか、よくないことか、という観点に立たないといけないと思います。自衛隊について戦後長い間、憲法学者は第9条の字句から違憲だと言ってきたわけです。しかし、自衛隊は国民の安全のための最終装置として支持をされて、違憲論はあまり言われなくなった。大きな状況の変化の中で、国と国民にとって必要なものかどうかを考えていく、それが憲法をどうするかという問題だと思います」

――そうであれば、集団的自衛権が認められるように憲法改正提案を出して、国民に信を問うのが筋ではないでしょうか。

「憲法には集団的自衛権うんぬんは何も書いていません。自衛については必要最小限であり、国際的な文脈の中でも戦争に引きずり込まれるようなことがないようにという思いの中で、集団的自衛権は権利としてはあるが行使はしないという、複雑な議論を政府は作ってきたわけです。ですから、それを変えることは、違憲とかいう問題とは全然関係ない。必要性の中でこれまでの解釈はあまり有用ではないので、変更するということでしょう」

安倍さんが憲法改正に突入することは感心しない

「もっとも、私は安倍さんが3分の2(の議席)を取って憲法改正に突入することは、感心しません。民主主義的で平和主義の今の憲法は基本的にいいものです。日本の国と国民を守ることは大事で、そのための必要な対処はすべきですが、平和主義は大事にしていかないといけません。20世紀の二つの世界大戦を経験した、今の時代に、軍事力を使って思いをとげるということはあり得ない。ですから、安倍政権が3分の2取ったから、何でも変えられると思ってはなりません」

「せいぜい私が考えているのは、9条をわかりやすくする改正です。一つは、侵略戦争は永遠にやらない。二つ目に、国民を守るために自衛は認める。三つ目に国際安全保障に聡明な配慮を持ってできるだけ参画するということを明記する。実際に冷戦後の日本がやってきたことばかりで、それを文章化する努力をすべきだと思います」

憲法の革命的な全面改正には反対だ

――自民党の憲法改正草案は全面改正ですし、戦後71年目を迎えた今も「押しつけ憲法論」がまかり通っています。2000年代初めの憲法調査会では「そんな議論はやめよう」という意見も出ていたのですが、どうお考えですか?

「本当は自由恋愛で結婚すべきだったと思っていたのに、あのときお見合いで結婚させられて今も悔いが残るから離婚したい、ということでしょう。子供もできて、育ち、いい家庭を築いてきているのに何を言っているでしょうか」

「押しつけ性なんていうのは、敗戦国の憲法ではどこでもあります。そういう経緯が納得できないからと言って、作り変えたら、安定性も何もありません。ですから、「お母さんのどこがいかんのよ」「よくやってくれているじゃないか」「いや、お父さんもあそこがいかん」と話し合い、具体的に改めるべきところがあれば改める、そういうことじゃないでしょうか」

「憲法改正は手直しをしていくアプローチをとるべきで、3分の2を取ったからといって、革命的な全面改正をすることには反対です。ロマンチシズムにあふれ、いままで悪の極みだったものが、憲法を変えれば極楽に変わるかのようなイメージを振りまくのは、やめていただきたい。例えば、いまの憲法で明確に禁止されている私学助成の問題などを検討し、コンセンサスによって、その条項を改めてはどうでしょうか」

2016-02-23-1456217138-8420084-logo.pngWEBRONZAは、特定の立場やイデオロギーにもたれかかった声高な論調を排し、落ち着いてじっくり考える人々のための「開かれた広場」でありたいと願っています。

ネットメディアならではの「瞬発力」を活かしつつ、政治や国際情勢、経済、社会、文化、スポーツ、エンタメまでを幅広く扱いながら、それぞれのジャンルで奥行きと深みのある論考を集めた「論の饗宴」を目指します。

また、記者クラブ発のニュースに依拠せず、現場の意見や地域に暮らす人々の声に積極的に耳を傾ける「シビック・ジャーナリズム」の一翼を担いたいとも考えています。

歴史家のE・H・カーは「歴史は現在と過去との対話」であるといいました。報道はともすれば日々新たな事象に目を奪われがちですが、ジャーナリズムのもう一つの仕事は「歴史との絶えざる対話」です。そのことを戦後71年目の今、改めて強く意識したいと思います。

過去の歴史から貴重な教訓を学びつつ、「多様な言論」を実践する取り組みを通して「過去・現在・未来を照らす言論サイト」になることに挑戦するとともに、ジャーナリズムの新たなあり方を模索していきます。

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