パワーアップする「中国」のアフリカ政策

1月30、31日の両日、エチオピアのアディスアベバで「アフリカ連合(AU)サミット」が開かれ、ジンバブエのムガベ大統領が新議長に就任した。

1月30、31日の両日、エチオピアのアディスアベバで「アフリカ連合(AU)サミット」が開かれ、ジンバブエのムガベ大統領が新議長に就任した。10の21乗(1兆×10億)という史上空前のハイパーインフレを引き起こし、ジンバブエ経済を破綻に追い込んだあのムガベである。また、今回のサミットではAU財政の自立化が目標として掲げられた。

AUの運営を司るAU委員会の議長は現在、南アフリカのヌコサザナ・ドラミニ=ズマが務めている。ズマ南アフリカ大統領の元妻であり、ズマ大統領が自分の後継者として次期大統領に目しているといわれる人物だ。いまのAU運営には南アフリカ政府の意向が働いており、欧米と対立するムガベを担ぎだしたことにも、おそらく南アフリカの意思が反映されている。

AUの中国シフト

マンデラ時代やそのあとを継いだムベキ大統領時代の南アフリカは、卓越した経済力を有する同国が政治的にも優越することに対して他のアフリカ諸国が反発するのを避けるため、請われてもAUのトップに就こうとはしなかった。その方針が変わったのはズマ政権になってからで、2012年に熾烈な選挙戦を戦ってガボン人の現職を退け、ドラミニ=ズマをAU委員会のトップに据えた。その背景には中国の意向があったといわれている。中国は南アフリカをBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の正式メンバーに推し、新開発銀行(通称BRICS銀行)の設立と同行の南アフリカ支店開設に漕ぎ着けた。ズマ政権の外交政策には常に中国の導きが働いてきた。

一方、ムガベ政権は中国と南アフリカの支援でなんとか命脈を保ってきた政権であり、ジンバブエにおける中国の影響力は絶対に近いものがある。つまり、現在のAU執行部は完全な親中体制になった。AUに中国政府代表部が開設されることも発表された。

シェールガス革命の進行で米国がアフリカから原油を輸入しなくなり、いまやアフリカの貿易は輸出においても輸入においても、中国のプレゼンスが圧倒的だ。経済的には中国との関係を中心軸として回転するようになったアフリカは、今後欧米から徐々に離れていくだろう。財政の70%以上を先進国からの政府開発援助(ODA)に依存しているAUが財政自立化を進めることはもちろん望ましいが、脱欧米および中国シフトの一環として理解することが可能であり、アフリカにとって新しい国際関係の構築をめざすものでもある。AU本部ビル自体、2012年に中国が建てたものだ。

しかしながら、AUがODA依存から脱却することはそうとう難しい。資源ブームが去ったあとアフリカ諸国の財政はどこも著しく傷んでいる。航空券やホテル宿泊への課税が提案されたらしいが、景気後退の危機が迫っているというのに「なにをいまさら」の感は否めない。

海と陸の新シルクロード

AUサミット直前の1月27日、中国外交部の張明(Zhang Ming)副部長がAU本部を訪れ、高速鉄道、高速道路、航空等大陸規模の輸送インフラ建設に関する協力覚書をドラミニ=ズマ議長と交わした。昨年5月にケニアを訪問した李克強首相がナイロビ=モンバサ間鉄道建設の融資協定に署名し、今年初め同国を訪れた王毅外相はこれを延長して「ケニア、タンザニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、南スーダンを連結する」と語っているが、今回の覚書はそのフォローアップだ。

習近平が提唱している「一帯一路」、すなわちシルクロード経済帯と21世紀海上シルクロード構想は、アフリカ大陸に関してはこれまでケニアのナイロビで終わっていた。今回の覚書は、そこからアフリカ各国の首都に輸送インフラを延ばしていくというものである。昨年末に合併することが発表された国有鉄道車両メーカー「中国北車集団」と「中国南車集団」は、アフリカのあちこちで鉄道建設に携わっている。「中国鉄道建設公司」や「中国建築工程公司」、伊藤忠商事が傘下企業に出資を決めた「中国中信集団」や電源開発関係のインフラ企業もアフリカに進出している。

海と陸の新シルクロード「一帯一路」は、昨年11月に北京で開かれたアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議でお披露目になった、中国の国内外に跨る大構想である。昨年末の中国共産党中央政治局会議では、2015年の重点課題として一帯一路が確認された。いまや中国は世界最大の土建国家にして最大の鉄道大国であり、その巨大な土建マシーンは国境を越えて動き出している。今回のAU覚書は、この構想にアフリカもしっかり入っていることを形にして示したということであり、中国のアフリカ政策にまた新たな装いが、今度はグローバルな構想として施されたということである。

大国主義的"大風呂敷"

かつて1980年代、90年代は、進むべき方向性をアフリカに提供していたのは世界銀行であり米国だった。「構造調整」という名で始まった経済再建プログラムは、市場主義による経済活性化と、複数政党制選挙による民主化をめざすものだった。それを支援する手段がODAであり、最終的にはミレニアム開発目標(MDGs)であった。しかし、アフリカ経済が急成長を始めて以降はODAやMDGsが影響力を喪失して、米国や欧州からそれに代わる構想も発出されなかった。そこに中国が登場したのである。「南々協力」と称された中国の脱ODA路線は、胡錦濤時代に必要な資源を調達確保することに貢献し、その使命が終わったと思われる習近平政権になって今度は、中国に向けてユーラシア大陸とアフリカ大陸に大動脈路を設置するという、大国主義的"大風呂敷"にまで拡張した。

とはいえ、すでに資源ブームは終わっているのに中国はこれほどの大投資をほんとうにアフリカで行うのだろうか。減速する中国経済にそれだけの力があるだろうか。高度経済成長期以後の日本がそうであったように、いったん形成されてしまった土建開発装置は、しばらくは公共事業という形で自己増殖する。一帯一路構想もその何割かは、本質的にはそれだろう。胡錦濤時代のアフリカ政策を支えた石油資源閥が汚職スキャンダルで後退したあとをうけて、今度は土建業界がアフリカ政策を担っていくのだろうが、しかし物流の伸びが鈍化したあとにつくられる輸送インフラは、これもまた日本が苦しんだように、相当部分が不採算資産になる。

中国では既に生産年齢人口の伸びが止まり、13億国民の老齢化が始まっている。これから本格的に社会福祉関連需要が膨張しだすはずだ。国境を越えた土木公共事業への大盤振る舞いは、もし民主主義国なら実行しがたいものかもしれない。グローバル化した中国のアフリカ政策に対する懸念は、中国自身の足元にある。

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平野克己

1956年生れ。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院経済研究科修了。スーダンで地域研究を開始し、外務省専門調査員(在ジンバブエ大使館)、笹川平和財団プログラムオフィサーを経てアジア経済研究所に入所。在ヨハネスブルク海外調査員(ウィットウォータースランド大学客員研究員)、JETROヨハネスブルクセンター所長、地域研究センター長などを経て、現在、上席主任調査研究員。最新刊『経済大陸アフリカ:資源、食糧問題から開発政策まで』 (中公新書)のほか、『アフリカ問題――開発と援助の世界史』(日本評論社)、『南アフリカの衝撃』(日本経済新聞出版社)など著書多数。2011年、同志社大学より博士号(グローバル社会研究)。

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(2015年2月18日フォーサイトより転載)

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