「ドイツに残りたい」イラクから逃れた16歳少女が描いた涙

「イラクは働く女性に厳しい。私は働きたい」

私はこのたびドイツを訪れ、混乱の続く母国から逃れてきた難民の子や母親、青年に出会った。過酷な体験がありながら、取材に応じて笑顔を見せてくれた。彼らの物語を3回にわたって届ける。1回目は、イラクのクルド人でヤジディ教徒のアヴィンさん(仮名、16歳)が主人公。アヴィンさんが描きためた絵も紹介する。

●妹と20日間、歩いた

ドイツ南西部の都市・シュツットガルト。ある駅で、難民支援ボランティアのアンドレアさんと待ち合わせた。イラク・クルド人の少女(16)が一緒で、近くのカフェに入った。

少女は体験を語ってくれるといい、「仮名は『アヴィン』にしてね。クルドの言葉で『愛』っていう意味なの」とドイツ語で話した。

アヴィンさんは7人きょうだいで、家族は9人。少しずつ時期をずらし、ドイツに逃れてきた。2016年1月、アヴィンさんは妹と2人でドイツへ。父は先にドイツに来ていた。祖母や別の家族も、後からドイツに来た。今はシュツットガルトの基幹学校(中等教育の学校)に通っている。

イラクから20日間、妹と2人で歩いた。まずトルコへ。ギリシャ、マケドニア、オーストリアを経て、ドイツの都市・ケルンに入った。

シュツットガルトには、おじが住んでいた。迎えに来てもらうのに、ケルンでクルド語がわかる人を探し、シュツットガルト行きのバスチケットを買うのを手伝ってもらった。高速バスの終点で降り、おじと会えた。

おじの家でお風呂に入り、次の日に父のいる難民の宿泊施設へ。「ドイツに来て2日目ですと言ったら、警察が来ました。難民であると告げ、そこに滞在することになりました」

●学校に8か月、通えず

「無事に着いて嬉しかった。父に1年以上ぶりに会えて幸せでした。でも、学校には8か月、行けなかった。難民が多い時期で、先生が足りなかったみたい」とアヴィンさん。妹はクラスが見つかって学校に入れた。

学校に行けなかった8か月の間、父と過ごしたり、おじのところや近所に出かけたり。「難民の施設は、一つの建物に5家族が住める。3人で一部屋、14平方メートルぐらい。お風呂と台所は共用。2家族に一つ、トイレがある。小さいけれど、十分に生活できます」

●路面電車の運転手が目標

8か月後、隣に住んでいたアラビア語を話す家族に「何で学校に行かないの?」と聞かれた。その家族の協力で、学校が見つかった。1か月行ったら学校は夏休みになってしまった。「学校は、楽しい。ドイツ人とは別の外国人クラスで、一番仲がいいのはシリア人の子です」

アヴィンさんは、ドイツに来て1年ほどで難民の認定を受けた。難民のための施設を出たいが、部屋が見つからず、引き続き施設で暮らす。大家族ということもあり、部屋が不足しているシュツットガルトで見つけるのは大変だそうだ。

「これから、ドイツ語の試験をもう一つ受けます。今の学校を卒業したら、路面電車の運転手になるために3年の訓練を受けます」と目標を教えてくれた。

●地元ボランティアがケア

アヴィンさんをケアしてきたのは、地元のグループ「難民の友」のボランティア、アンドレアさん。ふだんは図書館司書として働く女性だ。

施設でアヴィンさんと一緒だった家族が、交流のあるアンドレアさんに「クルド人の姉妹が来たけれど、服がない」と連絡。アンドレアさんが何枚かシャツを買って、届けた。初めは英語で片言のコミュニケーションをした。

難民の友は、「女性のための夕べ」といった集まりを開いている。「難民のお母さんや女性たちとお茶を飲み、ドイツ語の勉強をします。クリスマスの飾りを作ってマーケットで売ったり、グラスに絵を描いたり、フェルトで人形を作ったり。ごはんを作って食べる日もあります」とアンドレアさん。

新しい生活に慣れてきた今も、アヴィンさんはこうした集まりに参加している。アンドレアさんは、学校の職場体験についての問い合わせや仕事の応募書類を書くのを手伝い、アヴィンさん家族のサポートを続けている。

●色鉛筆贈られ絵を描く

絵の上手なアヴィンさんに、アンドレアさんが色鉛筆をプレゼントした。スマートフォンに入っている絵の写真を見せてくれた。日本のマンガ風の絵や、近所の教会の背景に四季や時間の流れを表した絵。コウノトリや、涙を流す人物、ルーズリーフに描いたカットも。

絵を見ながら「マンガだね」「ビューティフル!」と感想を言うと、距離が縮まった。アヴィンさんは、迫害されている少数派のヤジディ教徒だという。「イエスも好き」と言って、双方の宗教をイメージした絵があった。絵を描くことで、心を解放しているのかもしれないと思った。

Evînê
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●過酷なできごと自分で語る

アヴィンさんは、母国の過酷な状況について、自分の言葉で説明してくれた。

「難民の認定が出るまで1年ぐらいで、かなり早かった。2014年8月に、私が住んでいた町の近く、シンジャールにムスリムの人(注釈・IS)がやってきて、地元の人が殺され、女性が連れて行かれ、強制結婚させられた。今もどこにいるかわからず、毎日違う人の相手をさせられている可能性もあるんです」

さらに、客観的に自分の状況を語った。「その地域に住んでいた人たちは、アメリカやヨーロッパに逃げました。そういうところから逃げて来たので、私たちは難民の認定が早く降りたと思う。今年も8月に、シュツットガルトでこの事件への抗議活動がありました」

将来、イラクに帰りたいか聞くと、「ドイツに残りたい。戻ったら戦闘があるし、帰ったら学校を全てやり直すしかないから。ドイツのほうが働く環境が整っている。イラクでは女の人が働けない可能性があるし、働く女性には厳しい。私は働きたい」とアヴィンさん。

●将来の夢描ける大切さ

私はイラクの状況や難民の暮らしについて、詳しくは知らなかった。けれどアヴィンさんに会って、「安心して暮らし、教育を受け、将来の目標を描けるということは、どんな子にも必要なんだ」と実感した。

別れ際、私は「路面電車の運転手になるのが楽しみだね」と伝えた。顔立ちやメイクが大人っぽく、ドイツ語でしっかりと話していたアヴィンさんも、この時は素の笑顔になった。

なかのかおり ジャーナリスト Twitter @kaoritanuki

【ドイツの移民・難民】憲法で政治的な亡命権が規定されている。労働力としても受け入れてきた。1990年代、旧ユーゴスラビアから多くの難民が入る。2010年以降は中東が混乱し難民が増えた。メルケル首相は2015年、受け入れを決め100万人以上が入った。受け入れの背景にはキリスト教の考えやナチスへの反省もある。難民は生活の保障がありドイツ語を学べるが、仕事に就き定着するには課題も多い。9月の総選挙は難民問題が争点だった。

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