いま必要なのは政治の"徹底的なボトムアップ" ― 88万人のコミュニティデザインが社会を変える

政治家を目指す人の多くが「目立ちたい」だとか、「リーダーシップをふるって社会を引っ張っていきたい」と考えているのは残念なことです。

88万人という東京23区の中で最大の人口を抱える世田谷区で2011年から区長を務める保坂展人さん。ジャーナリスト、衆議院議員を経て、地方自治の場に活動の場を移した今はさまざまな形で変革に取り組み、世田谷から社会を変えていくという使命感で日夜奮闘しています。保坂さんのこれまでの歩みと、政治に対する信念などについてお話をお伺いしました。

■「言葉探し」に没頭していた10代。そしてジャーナリストから政治の道へ

―政治の道に進まれたきっかけについて教えてください。

在籍していた東京都千代田区立麹町中学校は国会議事堂に一番近い学校でした。政治家や官僚の子どももたくさん通っていましたし、自然と政治に対する関心が高くなる環境だったと思います。一方で、公然とエリート輩出を掲げているような学校で、受験重視の選抜システムに疑問を持った私は何とか自分らしい道を進めないか考えていました。

その結果、当時、激しさを増していた大学紛争などにも影響され、やがて自分で機関紙を発行したり、ベトナム戦争に反対する市民団体の集会などに参加したりするようになったのです。

このような活動の状況が内申書に記載され、受験した全日制高校5校すべてが不合格になりました。その後は定時制高校に通い、内申書の記載内容について裁判を起こすことになります。これがいわゆる「麹町中学校内申書裁判事件」です。

高校を17歳で中退し、いろいろな仕事を転々としながら没頭していたのは自分なりの「言葉探し」でした。80年代になって校内暴力の問題が取りざたされることが多くなると、私は教育ジャーナリストとして学校現場を数多く取材することになります。

私自身のこれまでの歩みと、自分の言葉にこだわり続けていたことがちょうど時代にマッチしたのでしょう。ルポをたくさん書きながらメディアでの発言機会も増え10数年近くジャーナリストとして活躍する場に恵まれました。

ただ、教育問題の大きなテーマである「いじめ」について取材をしていると、最悪の場合、自ら命を絶ってしまうような辛い事件も目にしました。何とかこれ以上、悲惨な事件が起きないことを祈って文章を書いたり、講演したり、いろいろメディアで発言したりしたのですが、いくら伝えても現実はなかなか変わりません。

そのようなときに社民党の土井たか子さん(故人)から衆議院議員選挙に出ないかと誘われました。これはジャーナリストではなく、政治で教育の現場を変えるチャンスかもしれないと思い政治家への転身を決意したのです。

■震災と原発事故がなければ区長に就任することはなかった

―世田谷区長選に出馬されたのはどうしてですか?

2009年の衆議院議員選挙に敗れ、浪人中の政治家としてフリーのジャーナリストをしていた私のもとには、市民グループなどから2011年の世田谷区長選に出馬してくれないか、という要請が寄せられていました。

ありがたいことでしたが、私自身は国政でやりたい、という想いが強くお断りしていたのです。それなのになぜ立候補することになったかと言えば、3月11日の東日本大震災、とりわけ原発の事故の影響が大きかったと思います。

震災直後は政府や中央省庁の機能が麻痺し、都道府県もほとんど動けず、かろうじて基礎自治体が救援物資を送ったり、現地へ支援に向かったりするなど最前線で対応していました。私も杉並区から南相馬市への自治体間支援を手伝い、ジャーナリストとしても現場を見ている中で地方自治体の役割の大きさに気づかされました。

国政ではなく自治体の現場から社会を変えていこうと思ったのはこのときです。震災と原発事故がなければ区長に就任することはなかったと思います。

―国政との違いを感じることはありましたか?

現状の課題に対して「これではいけない」という批判があり、「どうしたらよいか」提案を行うまでは国会議員でもやっていたことです。しかし首長はその先にある企画立案、予算調整、人員配置など「事業をどう具現化するか」という点にも関わるのは大きな違いでしょう。

たとえば具体的に、子どものいじめや虐待、貧困などの問題に対しては「せたホット」(世田谷区子どもの人権擁護機関)、引きこもりやニートの若者対策には「世田谷若者総合支援センター」、就労支援には「三茶おしごとカフェ(世田谷区三軒茶屋就労支援センター)」の設立など、現状の課題を解決する施策を打ち出してきました。

現場を見て必要な解決策を立案し、それを実際に社会へ打ち出してみて効果を検証する、ということができるのは地方自治体の首長だからでしょう。

■区民から教えてもらう、という意識を持って

―住民の声にはさまざまな形で耳を傾けているそうですね。

当選後、twitterのフォロワーが4万人になったことをきっかけに"フォロワー会"を始め、教育や保育園の騒音問題などその都度テーマを決めて議論する場を設けました。最近はネット上で集客や申し込みができるサービスを利用して、さまざまな政策ごとに語り合う場も設けています。

こういった集まりは区の政策を検証し、さまざまな現場の声を聞きながら制度設計に活かしていく点では非常に有効な試みです。テーマによっては250人ほどの定員がすぐ満席になるほど反響をいただいています。

平成25年9月に議決した「世田谷の20年ビジョン」を作った時には、1年半かけて議論を続けました。その議論の仕方を工夫するため、無作為で90人の区民を抽出して意見交換会への参加を呼びかけたことがあります。

意見交換会ではワールドカフェ方式を取り入れ、基調講演などは廃止。とにかく多くの人から意見をもらってアイデアを共有しようとしたところ、20通りの企画提案を受け、区民の声を聞くには優れた方法のひとつであると実感しました。

車座集会として27か所の地区行政施設をまわり、区民と意見をやりとりすることもやりました。ただ、こういった形式だと参加者は町内会で活動されている方が中心になりがちです。

そのため「世田谷の芸術文化をどう発信するのか」や「緑を充実させるためにはどうしたらよいのか」などのテーマを掲げて興味のある方に集まってもらう方法もとっています。

このように思いつく限りさまざまな形で、住民と接点を持つ方法を模索してきました。やり方としても、区の担当者が説明役になるのではなく、区民のグループがプレゼンを行ったり、特定のテーマに対する提案内容の良し悪しをチームごとに競い合ったり、いろいろな試みをしています。区民が考えていることのレベルは、行政よりずっと高いですよ。

行政の方が遅れている、区民から教えてもらう、という意識を政治行政側が持っていないといけないですよね。

■世田谷から新しいコミュニティデザインのモデルを発信

―これからの政治についてお考えをお聞かせください。

2期目に入ってからはインターネット新聞「ハフィントンポスト」に記事を寄稿していますが、中には十万以上のアクセスを記録するときもあります。読み応えのある記事になるよう、いくつかのニュースをピックアップしながら世の中の流れや課題について意見を述べていますが、その反響の大きさには驚くばかりです。

たとえばアメリカのポートランド視察について書いた記事では、「車優先社会」から「徒歩と自転車の街」にシフトチェンジし、快適に暮らせるまちづくりが実現されている様子をレポートしました。その後、同じテーマでシンポジウムも開きましたが非常に多くの人が興味を持ってくれたと思います。

おそらく、世田谷区だけでなく、日本全体が何か変わらなければいけない時期に来ているのでしょう。これまでは「大事なことは偉い人たちが決めてくれて、そのほかの住民はその決定に対して少しだけ意見を言う。その意見が聞き入れられなくても決まったことには従う」という風潮がありましたが、このような意思決定の流れはもう通用しないのではないでしょうか。

地方自治体においても何から何まで国の決定に従うのではなく、権限や予算、責任も含めてしっかり自分たちの手で引き受けていく時代に入ってきているはずです。言うなれば"徹底的なボトムアップ"のような、政治のあり方を根本から変えるようなことが望まれていると思います。

「日本は変わらなければいけない。じゃあどうやって?」となったとき、単純に政権交代をしても変わらない、ということは多くの国民が痛感していますよね。政治の土台そのものを組み替えるには、もはや政権交代だけでは間に合いません。大事なのは社会の在り方や暮らし、ライフスタイルに関する施策の中に住民の意見や参加をどう組み込んでいけるか、です。

その点では、世田谷区の88万人という人口は、下手すれば小さな一つの国にも相当する規模で、実際に7つの県の人口をすでに上回っています。世田谷から新しいコミュニティデザインのモデルを発信し、国が変わっていく一助になれば、と願っています。

―最後にどのような人に政治家になってほしいかについて、お考えをお聞かせください。

政治家は、他人のために何かやりたい、という人にはお勧めしますが、自分のために時間を使いたい、と考える人は難しいと思います。自分がやりたいことをやって満足する人ではなく、人の助けになることがうれしいと思える人になってもらいたいです。

政治家を目指す人の多くが「目立ちたい」だとか、「リーダーシップをふるって社会を引っ張っていきたい」と考えているのは残念なことです。社会が本当に変わっていくためには、社会を構成している一人ひとりの意思をうまく編集し、力にしていくことが必要であって、言うなればプロデューサーや舞台監督のような立場に政治家はあるべきだと思います。

また、自治体の仕事をしている人の中には、外の世界を知ろうとしないケースが多々見受けられます。まちづくりの世界的な傾向はどのようなことなのか、とか、もっと広い視野で自分の街を見ることができなければなりません。すぐに効果は出なくても、20年、30年たったときに効果が出てくることだってあるはずですから。

プロフィール

保坂展人(ほさか・のぶと)

1955年宮城県生まれ。高校進学時の内申書をめぐり16年間の内申書裁判を争ったことでも知られる。ジャーナリストとして活躍していたが、1996年衆議院議員に初当選。「国会の質問王」と称され、3期を務めた。その後、総務省顧問を経て2011年世田谷区長に就任。『闘う区長』(集英社新書)、『88万人のコミュニティデザイン 希望の地図の描き方』(ほんの木)など著書多数。

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