ジャニー喜多川さんは、戦後の『男性アイドル文化』の礎を築いた。その功績と影響を振り返る

「僕たちが少しずつ認められることで、社会を変えてきたという意識はある。時代は追っかけるものではなく、創るもの」

ジャニーズ事務所の創設者で稀代の芸能プロデューサー、ジャニー喜多川氏が7月9日、亡くなった。

1962年にジャニーズ事務所を創業し、少年隊やSMAP、TOKIO、KinKi KidsやV6、嵐など多くのアイドルグループを輩出したジャニー氏。戦後日本の男性アイドル像を確立させ、芸能界に多大な影響力を持つ「ジャニーズ帝国」を1代で築き上げた。

芸能取材が豊富で、著書にSMAP解散騒動をめぐる問題を綴った「SMAPはなぜ解散したのか」などがあるライターの松谷創一郎氏の解説とともに、ジャニー氏の功績と生涯を振り返る。

戦後日本の「男性アイドル文化」を築いたジャニー氏

「ジャニー喜多川さんは日本の男性アイドル文化を確立させた」。ジャニー氏の功績について、松谷氏はそう評価する。

ジャニー氏は1931年、アメリカ・ロサンゼルスで生まれた。97年に週刊誌『AERA』に掲載されたインタビュー記事によると、高校時代は照明やアカペラ、舞台装置などショービジネスに関わるクラブ活動に従事。ハリウッドに通いつめ、本場のミュージカルや映画に親しんだという。

来日後の1962年、ジャニーズ事務所を創業。60〜80年代にかけてフォーリーブスや郷ひろみ、たのきんトリオ、シブがき隊、少年隊などの「歌って踊れる男性アイドル」を発掘、プロデュースを手がけた。

「ジャニーズ事務所自体は1962年にスタートをして、68年にGS(グループ・サウンズ)的なフォーリーブスを生み、70年代に入って目立つようになってきました。70年代に活躍したのは、フォーリーブスや郷ひろみさんなどですが、現在に続く基盤をしっかりと確立したのは80年代。具体的には、たのきんトリオ、シブがき隊、少年隊、光GENJIです」

「たのきんトリオはグループというよりもユニット名でしたが、シブがき隊以降は『グループアイドル』です。普段から育成し、バックダンサーとして踊らせるなどして経験を積ませ、個々の力量を見抜いたうえで程よい間隔を空けてグループとしてデビューさせる。この循環が確立したわけです」

松谷氏によると、その育成法やプロデュース法には、100年以上の歴史を持つ宝塚歌劇団や、ジャクソン5を成功させたアメリカのモータウン・レコードの影響が見られるという。

「ジャニー氏はそういった二つを参考にしながら、日本的な芸能プロダクションがグループアイドルを育成するシステムを作り上げました。しかも、それを男性アイドルのみに限って続けたのも独特です。そこにのみ注力することで、80年代から長らく男性アイドルの独占と言ってもいいほどの状況が続いています」

「グループアイドルは世界中にいますが、それを安定的にプロデュースしていくシステムを作り上げた。日本の芸能界に与えた影響は絶大です。日本だけにとどまらず、80年代の韓国芸能界に与えた影響もあります。K-POPは今や日本よりもグローバルに活躍するグループを多く育てていますが、この源流にはやはりジャニーズがあります」

SMAP、TOKIO、嵐。アイドルのステータスは上がり、”長寿化”した

1995年の光GENJI解散でジャニーズ事務所の勢いは一時低迷するも、1991年にCDデビューしたSMAPがバラエティや映画、ドラマなどの分野にも進出。

歌とダンスだけではなく、メンバーそれぞれの個性を活かした新しいアイドル像を打ち出し、大成功を収めた。

その後もTOKIOやV6、KinKi Kids、嵐などのトップアイドルグループを輩出。SMAP以降に誕生したグループの多くは活動期間10年を優に超え、長くファンに愛されるグループに成長した。

「クリエイティブにおいても、欧米の影響は受けつつも、ジャニー氏は非常に独特でドメスティックな世界観を示し続けてきました。洗練されすぎず、尖りすぎていない。音楽性や歌唱力、ダンスの水準はそこまで問われない。時代によって変化はありますが、ジャニーズアイドルには一貫性があります。ジャニー氏が明確なポリシーを持っていたことは間違いないでしょう」

「彼らの少年としての『未熟さ』は同年代に親しみを感じさせ、上の世代には可愛がられた。日本のアイドルと呼ばれる存在は、80年代中期以降、極めてその『未熟さ』の側面も強くなりました。同時に、未熟な状態からスタートし、ファンとともに一緒に成長していくという長寿アイドルグループの礎も築きました

2017年1月の朝日新聞によるインタビューで、ジャニー氏本人は自らの功績とプロデューサーとしての矜持について、こう語っている。

「僕たちが少しずつ認められることで、社会を変えてきたという意識はある。時代は追っかけるものではなく、創るもの。50年前の自分の夢を今、達成したという思いはあります。米国では俳優が大統領にまでなっている。日本でも芸能人のステータスの向上がもっと必要だとの思いは変わらない」(2017年01月24日の朝日新聞朝刊)

ジャニーズ事務所の「負」の側面とは

一方で、ジャニーズ事務所の方法論や影響力には「善し悪し」の両面があった、とも松谷さんは言う。

その一つが「メディアコントロール」だ。

「ジャニーズは『タレント個人主導』ではなく、あくまでも『事務所主導』です。これはアメリカなどとは異なります。常にジャニーズ事務所側がタレントをハンドリングし、メディア対策も入念に行ってきました」

「自らのプロモーションに従うメディアを厚遇し、スキャンダルなどで切り込んでくるメディアは冷遇する。アメとムチを非常に巧みに使い分け、放送局とスポーツ新聞、出版(雑誌)をコントロールしてきました。それによって、ジャニーズと競合するような他の男性アイドルグループを成立させづらくしてきたと言えるでしょう」

近年では、生放送番組での「謝罪会見」が物議をかもしたSMAP解散騒動など、事務所の体質やタレントマネジメントのあり方に批判が起きる出来事も少なくなかった。

「メディアコントロールの“手腕“が発揮されたことで、メディア側が芸能界の課題に切り込んでいく『芸能ジャーナリズム』の発展を妨げた部分もあると思います」

ジャニー氏は、そのカリスマ性、稀代のプロデュース能力で、新しいアイドル文化を築き上げた。そして、ジャニーズ事務所は日本の芸能界を席巻する巨大プロダクションに成長した。

日本のエンターテインメント界に与えた影響は絶大だ。ジャニー氏亡き後、ジャニーズ事務所や芸能界はどう変化していくだろうか。

《松谷創一郎氏プロフィール》

1974年生まれ、広島市出身。商業誌から社会学論文まで幅広く執筆。得意分野は、カルチャー全般、流行や社会現象分析、社会調査、映画やマンガ、テレビなどコンテンツビジネス業界について。現在、『Nらじ』(NHKラジオ第1)にレギュラー出演中。著書に『ギャルと不思議ちゃん論』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)、『文化社会学の視座』(2008年)等。社会情報学修士。武蔵大学非常勤講師。 Twitter / Yahoo!個人

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