吉田香織の"奇跡の1年"

吉田は、かつては天才少女と呼ばれた期待の選手だった。その"復活劇"の中身が、実はひじょうに濃い。

『吉田香織』という名前を聞いて、今ならば、ピンとくる人が多いだろう。昨年(2015年)の11月に開催された「さいたま国際マラソン」で日本人トップの第2位となり、一躍、オリンピック女子マラソン日本代表候補に名乗りを上げたランナーである。

吉田は、かつては天才少女と呼ばれた期待の選手だった。「千葉国際駅伝の日本代表」や「北海道マラソンの優勝」歴があるとはいえ、失礼ながら、以前は「一流の一歩手前」という表現がふさわしいランナーだった。マラソンに興味のない人々の記憶の中に存在するほどではない。

さいたま国際マラソン後、新聞には"吉田香織復活!"という見出しが踊るが、それゆえに、「復活」という言葉にピンとこない人も多いはず。

その"復活劇"の中身が、実はひじょうに濃い。マラソン競技を知る人には信じられないほどのレベルアップが短期間に成されているのだが、そんなことは、当然ながら知る人は少ない。

■弛まぬ心

さて、ご存知だろうか、彼女が、5つの所属先を渡り歩いてきたことを。何となく、渡り鳥というイメージが自然と重なる。

「"真の姿"に出会いたい」が為に歩んできた結果が、渡り鳥人生になったのか、それとも何か理由があるのか、大いに興味が湧く。そんな渡り鳥人生の末に、彼女が掴み取った「さいたま国際マラソン 第2位 日本人トップ」の座、そして、その先に見えてきた「オリンピック」という舞台の裏側に迫ってみたい。

どのようにして復活以上の成績を残せたのか。渡り鳥は「安住の地」に降り立つことはできるのだろうか。その答えを聞きたくて、インタビューを試みた。

吉田香織の話を聞くほどに、「紆余曲折」「七転び八起き」「不屈の精神」そんな言葉が頭を過る。それほどに所属を変え、波乱万丈な競技人生を送ってきた。「彷徨える(さまよえる)渡り鳥」が、長期ブランクがあるにもかかわらず、34歳にして、さいたま国際マラソンで自己記録を更新し日本人トップになれたのはどうしてか?

そこには、「弛みそうな時の流れ」に抗う「弛まぬ心」があったのである。

■常識を覆す復活走

さいたま国際マラソンでの吉田香織の好走には、"常識破り"こんな表現を用いたくなる。なぜならば、2年以上のブランク、その間に進んだ「加齢」「衰える体力」「萎える気力」=これら「弛んだ心とカラダ」を短期間で取り戻すことは、30歳台の半ばを迎えた今、常識的には不可能である。その困難な作業を"1年"で成し遂げた。"たったの1年"である。これには恐れ入る。

「涙の数だけ幸せがくる」そんな短絡的なストーリーではない。

「正しい答えがないのはわかる。だが、諦めたくない」「本当の自分に出会いたい」そんな思いを心で求めた吉田香織。その心に呼応する人間。奇跡の物語がそこにはある。

■奇跡の1年

そもそも、この1年が"奇跡"と呼ばれるためには、いくつもの導線が存在している。話しを聞きながら、そう感じる。

夢に心を膨らませた高卒ルーキーの少女が、"山あり谷あり"の実業団選手時代を2つのチームで過ごした後、クラブチームのアスリートを2つの所属先で経験する。所属を何度も変えながら、山よりも谷が多くなっていく。最終的には、深い谷へと転がり落ちるのだ。

闇に覆われた深い谷からは、もう山を見ることさえできないと思われた。

奥深い谷から山が見える地点に上るだけでも大変なはずなのに、1年間で山の頂きにまで登ってしまう。そんな離れ業を吉田は演じた。普通は考えられないことなのだが、それを彼女は、普通のことのように話す。

「何が幸か不幸かはわからないし、人生には"上り坂"と"下り坂"の両方があって、うまく帳尻が合うようにできているのだなと思います。辛い時期を越えられたからこそ、今回の結果があったのだと思うのです」と。

「深い谷を経験した者は強い」と感じた。

しかし、強さだけで、何とかなるものなのだろうか。そういう意味で、「偶然」という言葉を用いたくなる。

■"偶然"か"必然"か・・・

「自分には偶然と思えることが、傍から見たら必然」だったりする。逆に、「必然のごとく進んでいることが、他人には偶然に見える」こともある。

必然は「必ずそうなるに違いなく、それ以外にはありえないこと」とあり、一方で、偶然は「必然性の欠如を意味し、事前には予期しえないこと」とある。吉田香織のこの1年間を振り返ってみて、どっちなのだろうかと考えてみたくなった。

実業団スポーツの世界に飛び込んだ初期の頃、成功もあり、前途洋洋の時代を過ごしたが、脇役しか与えられない不遇の時代に入り、成績は横ばいになったように思える。彼女の性格からして「エースとして君臨できるチームに所属していたら、どうだったのだろうか?」そんな仮説を考えてみたくなる。その答えは、誰にもわからないこととは言え、もしかしたら「アスリートとして、もっと早く大成していた可能性があった」のではないだろうか。あくまで空論でしかないが、考えると面白い。

仮に、その可能性が高かったとして、では、それを先見の明で「違う選択」をできなかったのは、何故なのか?「次」「その次」「さらにその次」と移籍先を選んできた理由は?

今、振り返ると「こんな複雑な道を歩む必要が、果たしてあったのだろうか?」と思わなくもない。様々な要因があったのだろうが、違う選択肢は必ず存在したはず。つまり、「いくつもあった分岐点で、一つでも違う選択をしていたら、今の吉田香織は存在しない」ということになるのではないか。

助演ばかりの女優が、今になって主演でオリンピック代表候補にノミネートされる。導かれたのではないかと思うほどに、この1年間の全てが繋がっている。創芸社に入社することから始まり、各ランニングクラブで今の仲間に出会い、打越コーチに指導を受ける。ソウル国際マラソンで再スタートを切り、北海道マラソンで手応えを掴み、さいたま国際マラソンで激走する。

昨年の秋にジョギングを再開した(当時)33歳の女性が、ほんの短期間で、考えられない復活どころか、それ以上の活躍を見せるのだ。偶然としか思えない"この流れ"を必然と誰が言えるのだろうか。

■奇跡を必然に変える心

「偶然か必然か、どう思うか?」と吉田に質問を投げかけてみた。すると彼女は、「難しい質問ですねぇ」と少し考えてから口を開いた。

「私は、そんなに人生を達観して生きられるような器用さのある人間ではないので、必然とまでは言い切れませんが、走れない期間に自分を見つめ直し、周りの支えに感謝できるようになってからは、"改めてやるしかない"と気持ちを入れ替えられたのが、結果的には良かったのかもしれません。なんとなくですが・・・自信はありました」

奇跡を必然に変えるのは"人の意志"なのかもしれない。

偶然の幸運を招く人とそうでない人の差は、もちろんある。よく「偶然目に留まった」というが、それは偶然ではなく、その人に気持ち(欲)があるから、目が止まるわけだ。

偶然と思えるような出来事を必然として成し遂げる"人の意志"が存在している。吉田を復活させたい吉木社長の気持ち、それに応えたい吉田の気持ち。吉田が日本のトップで活躍できると感じる打越コーチ、その言葉を信じてトレーニングする吉田。意志(心)の呼応が必然を呼ぶ。

そして何よりも、"吉田自身の自信" が奇跡を必然にしたのだ。当人にとっては、奇跡でも偶然でもない。

■渡り鳥の行方

必然のサクセスストーリーを生んだチーム吉田(RUNNERS PULSE)に、もう谷は訪れない。より高い頂きに向かって進んでいくことだろう。忌々しい(そう吉田が思っているかはわからないが)過去を葬り去り、安息の地を得た渡り鳥が、大きな翼を広げて明るい未来に向かい羽ばたいていく。

次に向かう地は、果たして何処になるのだろうか。

その続きが、オリンピックのストーリーとなるかは、今後(選考会)の展開に委ねられる。打越コーチの計算通りならば、(オリンピックとは関係ないところでも)吉田の飛躍は間違いなくなされる。安住の地を求めた渡り鳥の旅は、まだ終わらない "果てしなさ" を呈しているように思える。新しい境地を開いた吉田香織の視線は、今まさに、さらなる高みへと注がれ始めたのだから。

決して "弛むことのない" 終わりなき旅路の果てまで、吉田香織にエールを送りたい。

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※この文章は、『弛むことなき旅路の果て 吉田香織に送るレクイエム』と題してランニングタウンで連載された第1話と最終話の記事を抜粋して構成されています。"吉田香織の奇跡の1年"を詳しく知りたい方、全連載記事をお読みになる方はこちらから

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