渋谷の児童養護施設・施設長刺殺事件。

児童養護施設出身者の多くは、親には頼れない。虐待を受けていたり、貧困だったりという理由から施設に入ったのだ。そんな若者が施設を出る時にどのような困難が待っているかはあまり知られていない。
施設長の大森信也さん刺殺された児童養護施設「若草寮」
施設長の大森信也さん刺殺された児童養護施設「若草寮」
時事通信フォト

千葉県野田市で虐待を受けていた栗原心愛ちゃんが亡くなった事件を受け、このところ、児童相談所が注目を浴びている。

そんな児童相談所と同じ児童福祉法に基づく施設・児童養護施設で2月25日、施設長が刺殺されるという事件が起きた。

一報を耳にした時は、「子どもを施設に入れられた親が逆恨みして施設長を刺したのか?」という予想が頭をよぎった。心愛ちゃんの事件から、そんな連想をしたのだ。しかし、違った。容疑者として逮捕されたのがその児童養護施設で3年間を過ごした22歳の若者であること、施設に「恨みがあった」と語っていること、施設関係者なら「誰でもよかった」と話していることを聞いて、目の前がどんどん暗くなっていった。しかも容疑者はネットカフェを点々とする生活で、所持金はわずか数百円だったという。

この連載でも何度も書いているが、ホームレス状態の若い世代を取材していて、もっともよく耳にするのが「児童養護施設にいた」ということだ。

現在、非正規雇用率は4割に迫り、その平均年収は172万円。特に若年層ほど非正規雇用率が高いわけだが、その多くがホームレス化していないのは、大なり小なり「家族福祉」の恩恵にあずかっているからだ。例えば、家賃滞納をしてアパートを追い出された時に帰る実家がある、困った時に親に泣きついてお金を貸してもらえる、もともと実家に住んでいるなど。ちなみに、私と同世代の35〜44歳で親と同居している未婚者は約300万人。ひと昔前は、35〜44歳で未婚、実家暮らしという層はほとんどいなかったわけだが、今は低賃金ゆえ実家を出られない人が多くいる。が、裏を返せばその層は、「実家」というセーフティネットがまだ機能している人々という言い方もできる。

しかし、児童養護施設出身者の多くは、親には頼れない。虐待を受けていたり、貧困だったりという理由から施設に入ったのだ。そんな若者が施設を出る時にどのような困難が待っているかはあまり知られていない。私がこれまでの取材で聞いたのは、「未成年で親がいないと携帯の契約ができない」「仕事に就く際に保証人が必要でも頼める人がいない」「不動産屋でアパートを借りたくても保証人がいない」など、自立に向けた第一歩目でつまずいてしまうという現状だ。

もう10年以上前に取材した、当時19歳のA君もそんな一人だった。携帯を買うにも、不動産屋に行っても、「身寄りが一人もいない」事実を伝えると店の人は戸惑い、「異例の事態なんでわかりません」と言われてしまう。どこに行っても「異例」「特例」で、何をするにも「親がいる人」がおそらく生涯気づかない高い壁に何度も未来を阻まれる。

彼の場合は、児童養護施設出身ではなく、里親家庭で育っていた。本人はそのことをまったく知らなかったのだが、18歳のある日突然「実は養子だった」と告げられ、「すぐに施設に入れ」と言われて本当に4日後には「自立援助ホーム」に入れられてしまう。実の親だと思っていた相手が里親と知るだけでもショックなのに、突然追い出されて施設に入れられてしまうなんて、世界が反転するような衝撃だったろう。

ちなみに自立援助ホームとは、児童養護施設を退所した若者の受け皿として設置された施設。働きながら、自立を目指す。そこは20歳までいられると聞いていたが、なぜか彼は半年で出されてしまい、しかし、バイトをしてお金を貯めていたのでアパート暮らしを始めることができた。が、一人暮らしを始めると地元の「危ない奴」に「目をつけられて」しまい、執拗に絡まれ、バイト先やアパートに押しかけられるなどが重なる。警察に相談するもどうにもならず、アパートを出るしかなくなる。

そこで、それまでいた施設に助けを求めるが、「管轄が違う」のでもう受け入れることはできない、「住み込み就職しかない」と言われる。「危ない奴」から被害を受けた時に連絡した警察に相談しても「住み込み就職しかない」と言われる。路上で倒れ、運び込まれた病院の人に「行くところがない」と訴えても、「うちはそういうことでは入院させられないから住み込み就職しかない」と言われてしまう。

しかし、家がなく、住民票も身分証明も何も持たない少年を、いきなり住み込みで雇ってくれるところなどあるだろうか。結局、彼は長い期間をホームレスとして過ごし、その間、教会で寝かせてもらったり、山奥の牧場でなんとか住み込み就職をしたりと各地を転々とした。「普通の仕事」を求めていたが、警備員なども身分証明が必要なのでできなかったという。

その後、彼は支援団体に出会い、生活保護を受けるのだが、10代にして「家族福祉」を突然失い、その後、施設や警察や病院などに助けを求めても「誰も助けてくれなかった」という事実、そして路上で寝ている自分を気にかけてくれる人は誰ひとりいなかったという現実は、大きな大きな傷となって残っているようだった。突然自分を放り出した里親への複雑な思いも大きいようだった。

社会に対する、怒りと不安。どうせ自分はどこに行っても「異例」「特例」扱いという思い。そして実際、「親がいない」ことから降りかかる数々の困難。生活保護を受けたものの、しばらくすると、彼は再び路上に戻っていた。それから何度も顔を合わせているが、どこに住んでいるのか、今は路上なのか生活保護なのか、なかなか聞くことができないままだ。ただ、少年期のあまりにも過酷な経験が、彼を今も苛んでいることは伝わってくる。

今回、逮捕された容疑者がどんな人生を歩んできたのか、それはわからない。しかし、報道から断片的に伝わってくる様子からは、彼の苦悩が垣間見える。家賃を滞納して大家さんとトラブルになった際には、錯乱状態で壁にハンマーのようなもので穴を開けていたという。もうどうしていいのか、わからなかったのかもしれない。18歳で施設を出て自立を目指すしかなかった彼には、私たちには見えない壁がどれほどあったのだろう。

なんで自分だけ。そんな思いがあったのかもしれない。

もちろん、どんな背景があるにしても、彼のしたことは決して許されることではない。

しかし、自らの18歳から22歳を振り返ると、そんな時期に「自立しろ」とせかされたら、生きられなかったかもしれないとも思う。いろんなことに躓いて、時に世間知らずゆえ騙されて、自分に何ができるかなんてまったくわからなくて、時に勝手に社会を恨んだ。だけど私の場合は、家賃を滞納すれば親に泣きついたし、最悪、実家に帰ればいいという逃げ場があった。だからこそ、いろんなことに挑戦できた。そして、それがどれほど恵まれていることかも知っていった。周りの友人の中には、実家や親には頼れないという人が多かったからだ。その理由は「実家が貧しい」ということで、そんな友人たちが風俗で働いたり援助交際したりすることを、私は何も言えずにただ傍観していた。傍観することしかできなかった。

この国に、もう少し、「自立」に向けての躓きを見守る余裕があったら。

「若い頃ってそうだよね、特に児童擁護施設にいたら、いろいろ特別なフォローが必要だよね」と、躓きや寄り道や小さな間違いが許される社会だったら。社会として、そんな制度や受け皿があったら。そうしたら、こんな事件は起きなかったかもしれないと思うのだ。実際、ヨーロッパでは、施設出身者はホームレス化しやすいということが広く認知されているので、そのための支援がちゃんとある。しかし、日本はあまりにも手薄い。

昔の施設出身者は、住み込み就職でもなんでもして頑張ったんだ」と言う人もいるかもしれない。実際、私のかなり年上の知人にもそんな経歴を持つ人はいる。しかし話を聞くと「昔の日本には、施設出身の若者を一人前に育てようという気概のある中小企業の社長がいたんだ」と驚くばかりで、参考にはならない。なぜなら、「若者を育てよう」などというような機運は今、社会からとっくに失われ、とにかく1円でも時給が安く、いつでも切れる労働者ばかりが求められているからだ。使い捨て労働が蔓延するということは、労働によって社会に包摂されてきた弱い立場の人々も見捨てられるということだ。社会がそうやって劣化することに、誰も歯止めをかけてこなかった。それよりも国際競争の方が大切だという社会が、何十年もかけて作られてきた。

亡くなった施設長の大森信也さんは、報道を見ると、児童擁護の問題に熱心に取り組み、同僚や入所者からも信頼されていたという。熱意を持って現場で奮闘する人の命がよりによってこのような形で奪われたことに、改めて戦慄する。

しかも、退所した容疑者に対する「支援」が事件の引き金になったのでは、とも報じられている。容疑者がアパートを出たあとも、施設職員は住まいや仕事の紹介をするなどの相談に乗っていたという。しかし、容疑者は「施設からの連絡が嫌になった」と供述している。また、アパートを出る前、容疑者が家賃滞納で大家さんとトラブルを起こした際にも職員は駆けつけている。大家さんの連絡を受けてということだから、おそらくアパートの保証人に施設がなっていたのではないか。その上、施設はアパートの修繕費など130万円も立て替えている。

児童相談所も児童養護施設も、圧倒的に人手不足だ。そんな中、退所後もトラブルに駆けつけるなど「手厚い支援」を続けていたことが、逆に事件の引き金になっていたとしたら。

一体、現場で動く人たちはどうしたらいいのか。どう対応すればいいのか。

そう思うと、呆然と立ち尽くすことしかできないでいる。

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