本田圭佑が子供たちに伝えたいこと (森哲也)

2012年6月から開校した本田圭佑監修のサッカースクール。現役の代表選手がスクールを開くこと自体異例と言えるが、そこでは一体どういったことが行われているのか。本田のマネージャーであり、スクールの責任者でもある榎森亮太氏に話を聞いた。

2012年6月から開校した本田圭佑監修のサッカースクール。現役の代表選手がスクールを開くこと自体異例と言えるが、そこでは一体どういったことが行われているのか。本田のマネージャーであり、スクールの責任者でもある榎森亮太氏に話を聞いた。(取材は2012年8月時のものです)

■ 本田が体現する自己管理の大切さを子供たちに伝える

五輪ムードで盛り上がる2012年7月末、携帯電話が鳴った。発信元は「榎森亮太」。本田圭佑オフィシャルブログではEMOの名前で登場する本田のマネージャーであり、本田監修のサッカースクール「SOLTILO FAMILIA SOCCER SCHOOL」の責任者でもある。つまり家族以外で本田をもっとも近くで見ている人物と言えるかもしれない。

電話に出ると、お願いしていたSOLTILO FAMILIA SOCCER SCHOOL (以降、SOLTILO)についての取材を受けてくれるという。SOLTILOは大阪の井高野、上新庄を拠点に2012年6月からスタートした。これまでもワンデークリニックをオランダ、ドイツ、中国、日本では宮崎県、石川県、大阪府、千葉県などで開いてきたが、ひとつの地域に腰を据えてやるのは初めての試みのようだ。

なぜ現役真っ盛りの本田が本格的なサッカースクールを始めたのか? 一体何を目指しているのか? そういう素朴な疑問からの取材依頼だったが、一方で頭の片隅には少しの心配事があった。本田は名前だけを貸して、実態はほとんど何もやっていないのではないか...。実際に有名選手の名を冠した形だけのスクールも存在する。

だが、そんな浅はかな先入観が恥ずかしくなるくらい本田も榎森も本気だった。

■ 「今まで会った人のなかで一番緊張しましたね」

――まず榎森さんが本田選手と関わるようになった経緯から教えてもらえますでしょうか。

「僕自身オランダやドイツでアマチュアでプレーしていて、以前から興味のあった本田がVVVフェンロに来るというので、知人を通じてコンタクトをとりました」

2012年で27歳になる榎森自身もプロを目指したフットボーラーだった。奥寺スポーツアカデミー在学中に、上海申花U-19に一年間留学。トップには上がれず、北信越リーグを戦っていた長野エルザ(現J3のAC長野パルセイロの前身)に加入する。

その後はまた海を越え、アルバイトで生計を立てながらドイツやオランダの下部リーグでプレーを続けていた。紙幅の都合で割愛するが、その海外でのサッカー生活はなかなかに過酷だった。

そして2008年、一歳年下の本田と出会う。

――初めて会った時の印象は?

「月並みですけどオーラはありました。それまで日本の雑誌などでチェックしていて、ひとつ下なのに堂々としているし、言っていることはデカイし、こいつはどれだけの奴なんだと(笑)。そういうところに惹かれてはいたので、一度この目で見てみたいという思いがあったんです。今まで会った人のなかで一番緊張しましたね」

――それで、その後も関係が続くと。

「僕はドイツのデュッセルドルフに住んでいたのですが、本田が個人練習するときなんかに『来るか?』と言われれば、必ず行って、ほぼ毎日のように会っていました。とにかく何でも吸収したかったし、何かひとつでもヒントが落ちているんじゃないかと」

■ 「イメージできたら成功なんです」

――そのときに本田選手から吸収したこととは?

「自分を律すること、ですね。これはあとでお話するスクールにもつながるんですが、本田の自分を律する力や意志というのは並大抵ではないです。これは本田がどこかで言っていたことなんですけど、イメージできたら成功なんです」

――イメージできたら?

「例えば森さんが今から宇宙飛行士になりたいと思っても、どう努力していいかイメージできないじゃないですか。なりたいと思ってもどうしたらいいのかわからない、それだと成功するわけがないんです。

だけど頭の中でその道筋さえも何パターンか明確に想像できたならば、あとは努力するだけだと思うんですね。

要はちゃんと目標に向かうレールを自分で敷ければ、イコールもう半分以上が成功しているってことだと思うんですよ」

――道筋をちゃんと描けているかが重要だと。

「本田はお酒を飲まないし、食事の管理も徹底しているのですが、それはサッカー選手だから食事にこだわるとかそういう固定された考えではないと思うんです。スポーツ選手ってお酒飲んでも夜遊びしても、グラウンドで結果を残せば大抵のことって許されると思うんですよ。

ただ、例えばレアル・マドリーの10番になる道筋を想像しているからこそ、長い目で見て今の自分にとってこれは必要ないと思ったら絶対にやらない。一時的な欲に負けない。これは本当にすごいなと思います。だから僕が一時的な欲に負けそうになっていると突っ込まれます」

――(笑)。私も含め大抵の人間はそうだと思います。

「頭の中で明確に想像して、行動に移せる。そして自己管理能力が非常に高い。でもこれって子供にとってもすごく大事なことで、スクールで伝えていきたいことでもあるんです」

■ スクールを立ち上げるきっかけは?

榎森はその後、スパイクを脱ぎ、2010年から本田のマネージャーをやるようになる。そして2012年6月に本格的に本田監修のスクールを大阪の井高野と上新庄で開校させる。

――「SOLTILO FAMILIA SOCCER SCHOOL」というスクール名は本田選手が考えられたんですか?

「そうですね。会社名がHONDA ESTILOというのですが、ESTILOはスペイン語でスタイルという意味なので、本田スタイルの会社ということなんです。

そしてスペイン語でSOLは太陽なので造語にしてSOLTILOにしました。太陽のような子供たちになって欲しい、太陽のように輝いて欲しい、オンリーワンでいて欲しい、自分に自信を持って欲しい。

FAMILIAは家族という意味なので、関わる人すべてが家族のようにつながって欲しい。そういったいろんな願いが込められています」

――スクールを立ち上げるきっかけは?

「今までずっとSOLTILO of HONDAという本田のワンデークリニックをオランダ時代から続けてきたんですけど、そこでこういうノートを用意して子供たちに渡してきたんです。

結局、(ワンデーなので)本人が子供たちと会う時間は2時間しかないんです。1週間は本田と会った感動が残って頑張るかもしれないけれど、ほとんどの人間はそのときの思いを必ず忘れていくんです。だから、そういう気持ちを忘れないように、このノートを配ってるんです。最初に夢を書いて下さいと。

具体的な目標でも何でもそこから逆算方式で、いまどこまで達成できているか、ちゃんと毎日綴っていける。本田に教えられたこと、本田と一緒にいて熱くなれたことを忘れないように、自分の成功体験に向けて一歩一歩、向かっていくためのものなんです。それが、ゆくゆくはさっきの自分を律することにつながると思うんです。

ただワンデーではどうしても訴求できる人数が少ないし、継続して見ていくこともできない。だからスクールという形にして、そういう熱いものを草の根的なものにして広げていきたいと思ったのが立ち上げのきっかけですね」

■「自分たちでもっと上手くなるために考えて欲しい」

――自分を律すること、夢を持つこと、ほかにコンセプトはありますか?

「常に子供たちに自主性を持って下さいって言うんですよ。僕たちのスクールの指導法では指導者が決めつけることはしない。いまのプレー違うよ、ワンツーの方が良かったじゃん、そういう(指導者の答えを先に押しつけてしまう)コーチって自分のこれまでの選手経験でも実際にいたんです。

勝つためには仕方ないのかもしれませんが、僕たちは子供たちにもっとサッカーを好きになって欲しいし、自分たちでもっと上手くなるために考えて欲しいって思っています。

もし決めごとを作ったら、それは僕たちの拙い知識の中での答えになってしまう。子供たちはもっとすごい発想や感性を持っているかもしれないのに。僕はサッカーにおいてああしろ、こうしろと言われてきた人間だったので、海外に出た時にすごく困ったんです。

自分で考えないと生きていけないから、そこで初めて今までのやらされるサッカーからの自立を覚えたんです。でもそれでは遅い。だから子供のうちから考えることを身につけさせる。

そうすると、自分でこうしたいと思えるようになるんです。思えるってことは、自分の夢を持てると。そうしたら自分の道筋も自分で考えるようになります。だから自主性を持たせることイコール夢を持つことなんです」

(その2に続く)

【関連リンク】

(2014年2月5日フットボールチャンネルより転載)

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