芸能活動を休止中の坂口憲二さん、コーヒー焙煎士になっていた。新たなチャレンジにかけた思いを聞いた

セカンドキャリアの道を歩む坂口憲二さんが、単独インタビューにこたえてくれました。
坂口憲二さん
坂口憲二さん
The Rising Sun Coffee提供

難病の治療に専念するため、無期限で芸能活動を休止している坂口憲二さん。坂口さんは今、こだわりの焙煎豆を提供するコーヒービジネスにチャレンジしている。プライベートレッスンで技術を学び、自ら焙煎を手がける。

拠点は坂口さんが愛するサーフィンの聖地、千葉県・九十九里。2018年夏に焙煎所を開設し、サーフショップやカフェでコーヒー豆やグッズの卸販売をはじめた。オンラインショップも展開し、2019年春には東京都内に初店舗もオープン。地域密着型のため、住所は非公表だ。

「病気で失うものもあったけど、得るものも本当に多かった。新しい世界をみられてすごく楽しいです」。生き生きとした表情で語る坂口さん。セカンドキャリアの道を切り開いていく姿を追った。

坂口さんが立ち上げたブランド、『The Rising Sun Coffee』。ブランド名は九十九里浜の朝日をイメージしたという。「コーヒー&サーフィン」をコンセプトに、コーヒー豆のほか、Tシャツやマグカップなどのグッズも展開している。

坂口憲二さんが立ち上げたブランド「The Rising Sun Coffee」のコーヒー、マグカップ
坂口憲二さんが立ち上げたブランド「The Rising Sun Coffee」のコーヒー、マグカップ
HuffPost Japan

インタビュー前に、坂口さんの焙煎所で製造されたコーヒーを飲んでみた。程よいコクがあって、とても美味しい。

「冷めても美味しかったです」と伝えると、「本当に美味いコーヒーはそうなんです」と、嬉しそうに話してくれた。

「一番最初に作った『アフターサーフ』という銘柄は、『海上がりに飲むコーヒー』をテーマにしています。海上がりのしょっぱい口でどういうコーヒーを飲みたいかなと考えた時に、苦味がありつつ、甘くてコクがあるコーヒーがいいなと思って。苦味を強く出せる深煎りのコーヒーにしています。コーヒービジネスは激戦区で、大手が強い。そこに食い込んでいくためにはブランド独自のスタイルが必要で、自分はサーフィンが好きだから、それを武器にするしかないと思ったんです」

難病を発症し、芸能活動を休止するまで

『池袋ウエストゲートパーク』(2000/TBS系)、『天体観測』(2002/フジテレビ系)、『医龍~Team Medical Dragon~』シリーズ(2006〜2014/同系)、『最後から二番目の恋』(2012/フジテレビ系)...。坂口さんが出演した、数々の名作ドラマを挙げるとキリがない。

人気俳優として第一線で活躍し、テレビドラマ全盛期を支えた坂口さんが無期限での芸能活動休止を発表したのは、2018年3月のことだ。

活動休止のきっかけは、国指定の難病である「特発性大腿骨頭(だいたいこっとう)壊死症」を発症したためだった。

坂口さんによると、2012年ごろから右股関節に違和感を持つようになったという。2014年、『最後から二番目の恋』第二期の撮影を終えたころに痛みが悪化。病院での精密検査を経て、2015年に病名が判明した。股関節を形成する大腿骨頭のまわりに血が巡らなくなり、壊死が生じてしまう、原因不明の病気だ。

「幸いにも発見が早かったので、すぐに手術を受けました。当時は歩くこともできなかったので、しばらくは車いす生活で。手術後はナレーションの仕事とか、座ってできる仕事をしていました。杖をつきながら芝居はできないですし、サーフィンもできない。色々決まっていた仕事があったので、本当に申し訳ないなという気持ちでした」

坂口さんは、当時の心境をそう振り返る。

「スタッフや友人もすごく心配してくれたし、当初は自分も復帰するつもりでいました。でも、その頃に結婚して1人目の子どもが産まれたんですけど...ちょっと先がわからない病気だったので、徐々にセカンドキャリアの道を真剣に考えていくようになりました。芝居もサーフィンもできず、時間だけが過ぎていって、どうしよう、と結構考えましたね」

そして、病名発覚から3年後、無期限での活動休止を決断。2018年5月末には、所属事務所との契約も解除した。

「3人目の子どもができて、一旦ちょっと線を引きたい、ケジメをつけなきゃと思って、事務所を辞める決意をしました。うちは共働きなので、もともと子育ては僕もやっていたんですけど、芸能の仕事はやっぱりハードなので。これ以上事務所にも迷惑はかけたくないし、待っている人に対してもずっとごまかしごまかしやり続けているのは嫌だったんです」

そうして選んだのが、コーヒーロースターとしてセカンドキャリアの道を歩むことだった。

もともとコーヒーは大好きだったというが、アメリカ・オレゴン州のポートランドを訪問したとき、人々の生活にコーヒーが深く根ざしている文化を体験し、強く惹かれたという。

「セカンドキャリアを選ぶなら、手に職をつける仕事がいいな、と思っていました。個人でできるし、自分のスタンスを持ちながらやれる仕事で、かつ子どもにも伝えられる。技術的なものを身に付けたいという思いもありましたし、自分が主体となって仲間と一緒に何かを作っていく仕事にもチャレンジしてみたかったんです」

焙煎技術は、バリスタ・ロースター(焙煎士)のプライベートレッスンを受けて学んだ。約1年半かけて少しずつ焙煎道具を揃えていき、2018年夏に九十九里で焙煎所を開設した。

「子どもに現在進行形で頑張っている姿を見せたい」

長年のキャリアに区切りをつけて、新しい道を進む。強い覚悟と勇気がなければ、なかなかできない決断だ。

「人生はババ抜きみたいなもので、局面というものが必ずどこかにあるんだと思います。その時に、どのカードを引くか、ということですよね。自分はすごくシンプルで、イケてるか、イケていないかだけ。自分にとってその選択をすることがかっこいいか、かっこ悪いか、それを基準にしています。そう考えた時に、やっぱり子どもに現在進行形で頑張っている姿を見せたいって思ったんですよ。『昔は俳優やってたんだよ』とか言うんじゃなくてね。(笑)自分も父親の頑張ってる姿を見て育ってきましたから。子どもは、そういう親の姿を見てくれていると思います」

「たとえ失敗してしまったとしても、次の機会にその失敗を活かしていけばいいんです」と坂口さんは言う。

販売するコーヒー豆は、徹底して品質にこだわった。

商品にはコーヒー豆の産地や農園、栽培された標高ーー標高が高いほど美味しいコーヒー豆が収穫できるというーーだけではなく、焙煎した日にちも明記している。

「美味しいコーヒーをみんなに飲んでほしい、という思いが一番あります」と、坂口さんはコーヒーへの熱を語る

「自分も忙しいときはあまりこだわっていなかったけど、病気になってゆっくり美味しいコーヒーを飲んだらすごく元気が出て。コーヒーのパワーを感じました。めんどうなイメージがあるかもしれないけど、ミルを買って、挽きたてのコーヒーを飲んでみてほしい。コーヒーは豆で買うより挽いたものを買う人の方が圧倒的に多いんですけど、挽いた段階で劣化が始まってしまうんですよ。挽きたては本当に美味しいですし、朝飲んだら少し贅沢な気持ちで仕事にもいけると思う。ストレスを感じながら忙しい毎日を送っている中で、そういう質の高い時間を大事にしてほしいなと思うんです」

同時に、ブランドのコンセプトにもなっているサーフィンの魅力も伝えていきたいという。

坂口さんにとって、サーフィンは欠かせない存在だ。芸能活動中は仕事の合間を縫って海に通い、国内外のサーフスポットをめぐる旅番組にも出演したほどだ。

「海に入ると童心に帰れるというか、子どもみたいな自分に戻れるんです。陸はどうしても人に気を遣わないといけないし、目に見えない順列みたいなものがあって息苦しくなったりする時もあるんだけど。自然はそういうのは関係ない。偉かろうが、お金持ちだろうが、かっこよかろうが全部関係なくて、すべてが平等でシンプルに受け入れてくれる。仕事で忙しくて我を失いそうになった時とか、その感覚を忘れないためにサーフィンをして、陸の社会に戻る、というのが僕にとって生きていくコツでもありました。その魅力を伝えたいな、という思いもあります」

「病気で失うものもあったけど、得るものも本当に多かった」

現在は会社の代表として、3人のスタッフを抱えている坂口さん。

売り上げの管理やスタッフのマネジメントなど、これまで芸能事務所に任せていた仕事にも取り組み、商売の難しさにも直面しているという。しかし、新しいことを吸収していく時間は「すごく楽しいです」と坂口さんは話す。

「スタッフのみんなには、使えるときは自分の名前をどんどん利用してくれと言ってます。(笑)地域密着型でやりたいというのもあって、東京の店は住所を出していないんですが、今このネットの時代、調べて来てくれる人もいて。それもすごく嬉しいですし、楽しいですよ。来れるものなら来てみろと...。(笑)」

「Instagramも初めてやったんですけど、たまに写真を載せたりして、そうするとコメントがあったりしてね。昔だったら芸能事務所を辞めたあとの活動は難しいかもしれないんですが、今はSNSとか自分で発信できるツールがあるから、それもすごく自分のセカンドキャリアを後押ししてくれると思っています」

東京の店舗はコーヒースタンドと販売スペースのみの小さな規模だが、今後はブランドのファンを一層増やし、店舗数の拡大を目指していくという。

「怪我の功名、というわけじゃないんですけど...ポジティブに考えていかないとしかたがない。ありがたいことに、すごくいい先生に出会えて、リハビリも頑張ったので、足はかなりよくなりました。自分の環境はどんどん変わっていきましたけど、自分の中のプライオリティーは、家族が一番なんです。焙煎の仕事は自分のペースでできるので、家族と過ごす時間と仕事のバランスも取れています。病気で失うものもあったけど、得るものも本当に多かった。子どもができたし新しい世界もみられたし、今も楽しい。人生一度しかないですから、これからも楽しんでいきたいと思います」

役者として、数多くの作品を支え、たくさんの人に癒しと元気を与えてくれた坂口さん。今は、美味しいコーヒーづくりを通して、たくさんの人に幸せなひと時を届けようとしている。

坂口さんの新たなチャレンジを、心から応援したい。

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