北里柴三郎とはどんな人物? 新千円札に肖像、予防医学の発展に貢献した「近代日本医学の父」

千円札の肖像画に検討されている北里柴三郎。その生涯を振り返ります。

政府が4月9日、千円、5千円、1万円の紙幣を刷新する方針を固めたと発表した。千円札には、「日本細菌学の父」や「近代日本医学の父」として知られる北里柴三郎(きたざと しばさぶろう)が検討されているという。

北里柴三郎とは、どんな人物なのか。

北里柴三郎
北里柴三郎
Bettmann via Getty Images
新千円札のイメージ
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時事通信社

「医学の使命は病気を予防することにある」 北里柴三郎の生涯

北里研究所北里柴三郎記念室の公式サイトには、北里柴三郎の生涯が紹介されている。

北里は、1853年1月29日、現在の熊本県阿蘇郡小国町北里で生まれた。

18歳で熊本医学校(現熊本大学医学部)に入学。その後東京医学校(現東京大学医学部)にも入学し、在学中に「医学の使命は病気を予防することにある」と確信。予防医学を自身の生涯の仕事にすることを決めたという。

卒業後は、厚生労働省の前身である内務省衛生局に入局。

1886年から6年間、ドイツに留学し、病原微生物学研究の第一人者、ローベルト・コッホに師事した。

1889年、世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功。その翌年には破傷風菌の毒素を中和する抗体を発見し、この抗体を含んだ血液を投与することで、破傷風などの感染症を抑える「血清療法」を開発した。

帰国後は福沢諭吉らの援助を得て、私立伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)を設立。伝染病予防と細菌学の研究に勤しみ、1894年には香港でペスト菌を発見した。

1914年、東京・白金に北里研究所を創立する。教育活動にも大きく貢献し、福沢諭吉没後には慶應義塾大学医学科の創設に関わった。

1931年6月13日、脳溢血により78歳で死去。没後の1962年、北里研究所創立50周年を記念し、北里大学が創設された。

北里大学は、北里柴三郎の業績は「科学者としての真の学問追求」、「社会事業家としての国創」、「教育者としての人材育成」に集約される、と評している。

同大の公式サイトでは、北里が門下生に説いた「事を処してパイオニアたれ。人に交わって恩を思え。そして叡智をもって実学の人として、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を貫け」との言葉が紹介されている。

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