性犯罪者は一生ケモノ扱いされていいのか

韓国では性犯罪者の実名公開制度ができ、電子足輪も登場した。化学的去勢を可能にする法改正が成立し、性犯罪者に対する警察の監視はさらに強化された。

最近、恐ろしい性犯罪が相次いで発生した。子どもが生涯癒えない傷を負ったり、殺されたりした。性犯罪が発生するたび、対策も発表される。韓国では性犯罪者の実名公開制度ができ、電子足輪も登場した。化学的去勢を可能にする法改正が成立し、性犯罪者に対する警察の監視はさらに強化された。ニュースで報道される悲惨な被害に世論は怒り、メディアは被疑者を「獣」「悪魔」「サイコパス」と呼ぶ。性犯罪への恐怖は大きくなる一方だ。性犯罪者は社会の「怪物」になってしまった。

このような現象を、一部の犯罪学者は、メディアと政府による「刑罰ポピュリズム」と批判する。メディアが犯罪の深刻さを集中的に報道することで、市民に犯罪への恐怖心をあおり、政府は犯罪に強力に対処する姿を見せることで、有能な政府のイメージを作りあげるという意味だ。このような立場の学者は、厳罰化が再犯率を下げるという仮説は証明されておらず、むしろ加害者への教育と啓発、相談、社会復帰プログラムが効果的だと主張する。

現在の性犯罪対策を「刑罰ポピュリズム」と批判するつもりはない。むしろ長年、性犯罪者への「温情主義」のため、加害者に厳正に対処しなかったという批判の方が適切かもしれない。最近、酒席で女性記者の腰を触って手の甲にキスをした検事は、刑事罰どころか懲戒処分も受けず、まだ検事を続けており、「もっと強力に処罰すべきだ」という主張に共感することもある。はっきり言うが私は女性として、そして性犯罪を扱う警察官の一人として、性犯罪は根絶されるべきであり、性犯罪の加害者は法の裁きによって厳正に処罰を受けなければならないと思う。

にもかかわらず......こうしてひたすら強硬に、重い刑罰によってのみ、厳格な監視によってのみ、性犯罪の対策がなされてはならないと思う。たった一度の性犯罪を犯したという理由だけで、永遠に社会から隔離して排除することが性犯罪対策の目的ではない。

数日前、私が務める警察署に、見慣れた高齢者がまた捕まってきた。長い野宿生活で顔は焼け、身なりはみずぼらしく、ひたすら「申し訳ない」と謝った。彼は性犯罪者だ。青少年に対する強制わいせつを犯して有罪判決を受け「性犯罪処罰特例法」に基づき、性犯罪登録者となった。

性犯罪登録者になると、以後20年間、警察の監視を受けなければならない。年1回、警察署に出頭して写真を撮らなければならず、半年に一度は警察官に会って「社会的無害」を証明しなければならない。業務マニュアルに基づき、警察は月1回、彼らの動向を観察して報告しなければならない。引っ越すたび、転職するたび、車を買い変える時も警察署に届け出なければならない。

3年前、女子中学生の胸を触って性犯罪登録者となった彼は、住所を変えるたびに警察に届け出なければならない。しかし彼はホームレスだ。継続的に法律違反の状態にある。野宿生活をしているその老人は半年ごとに、個人情報の提出義務違反で立件される。家がない彼は、警察官の出頭要求書を受け取れずに逮捕状が発布され指名手配される。そしてまた逮捕されてきたのだ。これから彼はどうなるのか? 最終的には起訴され、罰金刑が言い渡されるだろう。お金がない彼は罰金未納でまた捕まり、また労役に服するだろう。

今年67歳になった性犯罪登録者はすでに3回指名手配され、2回の労役を経験した。長年の野宿生活や過度の飲酒で平均寿命も全うできそうにない。3年前、女子中学生の胸を触った犯罪のために、残りの彼の人生は、警察の捜査、罰金、手配、そして労役に明け暮れる。女子中学生の胸を触った老人の犯罪を擁護するつもりはない。でも、その過ちが、残りの人生を労役で過ごさねばならないほどのものなのか、もう一度考える必要があるのではないか。

性犯罪を予防し、加害者を探し出し、厳正な法の裁きを受けさせなければならないことは、あまりに当然だ。しかし、再犯防止のために加害者の未来を監視し、監視に従わなかったという理由で処罰することとは別だ。原則として、再犯防止のための管理や監視は、再犯可能性がある人に、その可能性に基づいて分析し評価されるべきで、その結果に基づいて監視期間と程度が決定されるべきだ。監視は既遂の犯罪に対する処罰ではないからだ。すべての性犯罪者に20年という恐ろしい期間、国家による監視を認める代わりに、性犯罪者の再犯可能性の分析と、それに伴う適正な管理期間が必要だ。さらに罰金制度も、貧しい犯罪者には身の丈にあった制度に改善すべきだ。

最後にもう一つ考えてみよう。私たちは、性犯罪者をどう見ているだろうか?

性犯罪を厳罰に処せよという主張に反論するためには、強い決心と勇気が必要なのが、今の韓国社会の雰囲気だ。この文章でも「厳罰」に賛成すると2回も書いている。このような「国民の法感情と世論」を反映した結果、性犯罪には検察の求刑よりも重い判決が言い渡されている場合も多い。「魂の殺人」と呼ばれる児童強姦罪の求刑が、殺人罪の基本的な量刑よりも2倍重くなる現象も起きている。

過剰な刑罰を生み出しているのは、性犯罪への怒りと恐怖ではないかもしれない。性犯罪根絶という命題のために「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を忘れているのではないか。罰の目的は復讐ではなく、社会復帰のための矯正という近代刑事司法の理念を忘れてしまったのではないか。性暴力の根絶という命題のために、女子中学生の胸に触れた67歳の高齢者にも「獣」のレッテルを貼っているのではないか、そんな懸念を抱いている。

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