私が結婚した日に、親は離婚した。LiLiCoがいま明かす「家族」

9歳で弟が誕生。同時に両親が別居。その生活は「地獄」だったーー。
川しまゆう子

タレントのLiLiCoさんは、日本とスウェーデンという二国の文化を持つハーフだ。9歳で両親が別居し、18歳で来日するまで、日本人の母、弟の三人でスウェーデンに住んでいた。

日本とスウェーデンの結婚観は、正反対といっていいほど違う。離婚率は世界最低レベルで、「ひとりのパートナーと連れ添うべき」という考えがいまだ根強い日本に対し、スウェーデンでは「無理をしてまで幸せではない結婚をこだわる必要はない」のが“常識”とされる。

スウェーデンのひとり親家庭で過ごした日々や結婚観や離婚観、そして家族について、LiLiCoさんに聞いた。

幼稚園が終わるとデイマザーの家で過ごした

川しまゆう子

――LiLiCoさんのお父様はスウェーデン人、お母様は日本人です。お二人はスウェーデンで出会い、そして結婚したそうですね。LiLiCoさんは幼少期、どんな生活を送っていたのでしょうか?

弟が生まれるまでは、ごく一般的な“幸せな家庭”だったみたいです。

小さい頃は、団地に住んでいたんです。日本の団地と一緒で、同じ間取りの家が1フロアに6軒ぐらい並んでいて。私の家は7階にあって、そこから見える幼稚園にひとりで通っていました。スウェーデンは自立が早いので、当時からひとり行動をするのが当たり前なんです。

幼稚園が終わると、デイマザー(日本でいう保育ママ。保育士の有資格者が、自宅で幼児を預かることのできる制度)の家に行くんです。

デイマザー、その旦那さん、10歳年上のイヴォンヌというすごくおしゃれなお姉さん、あと猫が一匹いて、そこで家族のように過ごすんですよ。ラジオで4時の時報を聞くと、「もうお迎えの時間かぁ」ってさみしくなった感覚を今でも覚えています。

スウェーデンは共働きが大多数で、専業主婦は2%程度。当時から、そうやって子どもが別の家に預けられるのは普通のことでした。両親に急な仕事が入れば、隣の家に「ちょっと預かって」ってボーンと放り込まれるのもよくあることでしたね。

――2%! かなり専業主婦が少ないのですね。小学校の放課後はどう過ごすのでしょう。

小学校に上がると、放課後は学校についている「フリーティース」(日本でいう学童クラブのようなもの。始業までと放課後の余暇を過ごすための施設)に行き、みんなで過ごすようになります。

スウェーデンの子どもは、小さい頃からいろいろな人と何かを分け合って過ごす経験をします。人と助け合って生きていかねばならないことを、早い時期から学ぶんですね。

私は当時から、子どものお世話をするのが好きで、お母さんがアル中だったりシングルマザーだったり何か事情がある子に「じゃあうちで一緒にご飯を食べたらいいじゃん!」とかって言い出す子でした。

9歳で弟が誕生。同時に両親が別居。その生活は「地獄」

川しまゆう子

――弟さんが生まれたのは何歳の頃なのですか?

私が9歳の時です。それからは……「地獄」。

弟は、生まれて2カ月で重いぜんそくとアレルギーにかかり、お医者様に「3歳までしか生きられない」と言われていました。

子どもの頃は全身にじんましんが出て膿や血にまみれていたり、激しい発作を起こしたり……。彼自身も大変でしたが、看病する家族はもっと大変だった。

しかも、弟が生まれる少し前から、両親の仲が悪くなっていたんです。毎日のように両親が口論し、家の中をお皿が飛び交っていて。弟が生まれ、長く生きられないことがわかると、お父さんは出て行ったんです。

――残されたのは、LiLiCoさんと外国人として暮らすお母様とだけ。さらに看病となると、大変な思いをされたのではないでしょうか。

でもね、私は(お父さんが)出て行ってくれてよかったと思っているんですよ。私が追い出したと言ってもいいかもしれない。毎日、喧嘩しているのも、お皿が割れる音を聞いているのも嫌だったから。

一番嫌だったのは、9歳の誕生日パーティーのとき。私と弟は誕生日が10日違いなので、当時、お母さん臨月で。私の友だちが「おめでとう!」って声をそろえている向こうで、おなかのパンパンに膨らんだお母さんの肩をお父さんが抱いていたんです。

そんな姿、それまで見たことなかった。

「私の友だちの前でいい夫婦を演じてるんだ」と思ったのを、ありありと覚えています。そもそも、「別れるっていいながらなんで妊娠してるの?」って思っていましたし。スウェーデンは性教育が盛んですから、子どもがどうやって生まれるかもう学んでいたんです。

――そこに愛がないのに、と感じていたんですね。当時、お母様とLiLiCoさんはどんな関係でしたか?

私とお母さんは、弟を救うためのコンビでしたね。弟を死なせないためにタッグを組んだ二人。弟からすると、母親が二人いたような感じでしょう。

だって、弟のことはほかの誰かに預けることはできないんですよ。ひどいアレルギーをたくさん持っていたから、それがすべてわかっている人じゃないとお世話できないんです。例えば、その日ちょっとでも猫に触った人が抱っこしたら、それだけで発作が起きてしまう。

お母さんは働きに出ていたので、私に頼る気持ちは大きかったと思います。あと母はスウェーデン語がネイティブではないので、うまく発音できない言葉があったんですよ。

特に自宅の住所を伝えることができなかったから、救急車を呼ぶとき、タクシーに乗るとき、住所を伝えるのは私の仕事でした。

――10歳前後の子どもにとっては、プレッシャーの強い日々ですよね。

そう、毎日不安でした。学校にいても、弟が病院に運ばれると学校の代表電話に連絡がきて、それが校内放送で流されたり(苦笑)、校長先生がこっそり来て教えてくれたり。だから、常に怖かった。電話が鳴るだけ、誰かが自分を見ただけでも、「弟に何かあったんじゃないか」と考えていました。

実際に、発作で弟の呼吸が止まってしまったときもありました。私が14歳のときです。

私が人工呼吸をして弟を生き返らせたんですよ。この日のことは一生忘れない。

お母さんが、庭でぐったりした弟を抱っこしながら「死んじゃった!」ってパニックで泣いていて。そこに隣のおじさんが来て、「僕はたばこを吸うから彼には人工呼吸できない。君がしなさい」と私に言うんです。

学校で人工呼吸を学んでいたから、一命を取り留めることができました。そのあと、救急車も無事に来て。そんな弟も無事に大人になりました。今は、大学教授として活躍しています。

結婚とサンボ。スウェーデンの多様な家庭

川しまゆう子

――現在、スウェーデンは世界一離婚が多いともいわれます。当時のスウェーデンでは、別居や離婚は当たり前のことだったのでしょうか。

当時から、そうですね。そもそも結婚が当たり前じゃないんですよ。スウェーデンには婚姻制度が2種類あって、1つが「結婚」、もう1つは「サンボ」と言います。

サンボとはスウェーデン語で「一緒に住む」という意味で、日本でいう事実婚のようなもの。法的にも社会的にも、結婚と変わらない権利を得ることができます。

子どもができれば産休、育休ももらえるんですよ。だから、サンボを選択する人はたくさんいます。ただ、ここ数年は結婚ブームなんだそうです。

また、スウェーデンでは別居や離婚をしても、子どもと親が引き離されることはありません。再婚率も高いんですが、新しい家族ができてもみんなで交流する。

そんなお国柄なので、両親が同じ家で結婚生活を送っていたころの私は、友だちがこの週末はこっちの家、この週末はこっちの家、と2つの家庭を持っているのがうらやましかったですね。うちはつまんないなって思ってた。

――ご両親の別居後、LiLiCoさんの生活はどうなりましたか?

うちはお母さんから「お父さんに会わないで」と言われていたので、9歳以降は、お父さんにはあまり会えなかったんです。それはさみしかったです。お父さんがほしいって思ってた。たまに内緒で会っていましたけど、そんなに頻繁ではなくて。

ただ、お父さんもずるくて、ずっと離婚はしなかったんですよ(笑)。

スウェーデンも日本と同じで、離婚しているより、結婚やサンボで家庭を持っていたほうが、社会的にはよしとされるから。

――そうなんですね。離婚されたのはいつなのでしょう。

私が30歳で1度目の結婚をするときです。お母さんが「お父さんが籍を抜いてくれないから困る」と泣くので、お父さんに言ったんです。

「お父さん、私の結婚式に来たかったら籍を抜いてください」って。

そうしたら、すぐに「わかった」って返事をしてくれた。のらりくらりと離婚せずに来たお父さんが、私の結婚式に出るために、ですよ? すごく感動しました。

だから私、ストックホルムの市庁舎に自分の結婚届けを持って行った翌日、親の離婚届を持って行ったんですよ(笑)。あれは決定的な日でした。すーごく疲れたけどね。

お父さんとは、35歳のときに自分から会いに行って以来、親交が続いています。後年は、お母さんとも定期的に会っていたみたいで、私の出ているVTRも観ていたみたいです。

6年前にお母さんが亡くなったときは、私も弟もスウェーデンにいなかったけど、すべての手続きなどはお父さんがやってくれたんです。一度は一緒になった家族として、ということなんでしょうね。

“結婚は一度”の日本。だからお母さんは再婚しなかった?

――スウェーデンにおける離婚観と日本における離婚観は、ずいぶん異なると思います。LiLiCoさんは、それをどう感じていますか?

以前、24歳の女友だちに「お父さんとお母さんが離婚するの。どうしよう」って号泣されたことがあります。でも私、どうしたらいいのかわからなくなっちゃった。お父さんとお母さんは死ぬわけじゃないよね? 離婚したって会えばいいじゃん、って思った。

ただ、私、わかるんです。日本に来てから「離婚は恥だ」ってよく聞かされました。

周りに離婚している人も、そんなにいなかったし。母方のおばあちゃんは、おじいちゃんを58歳という若さで亡くしているんですが、再婚しなかった。それはきっと、再婚が簡単にはできないことだったからですよね。

日本の友だちができるようになってからは、「日本は離婚できないから不倫するのかな」って感じていました。スウェーデンでいろいろな家庭があったように、日本ではそういうのが家族のかたちなんだな、って。

――再婚が当たり前のスウェーデンで、お母様に恋人ができたことはなかったのですか?

10歳の時に、お母さんに日本語を習いに来ている赤毛のお兄さんがいたんですよ。一度だけ、彼とお母さんが肩を組んで歩いているのを見かけたことがあったんです。私は「お父さんになってくれたらいいじゃん!」なんて思ったけど、何にもならなかったんですよね。

もしかしたら、お母さんが日本人だったからかもしれないですよね。結婚は一度だけのものだと思い込んでいたのかもしれない。

今、年を取ったことで、また日本とスウェーデンを見比べたことで、いろいろなことがわかってきて、もっとお母さんと話したかったなって、たまに思うんです。

お母さんも、おばあちゃんも、もっと話を真剣に聞けばよかった。もっと話が聞きたかった。そして、理解し合いたかったなと思いますね。

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