「令計画失脚」に見る「赤い貴族」の栄光と没落

12月22日夜、党統一戦線工作部長で全国政治協商会議副主席、胡錦濤前総書記の側近、「令計画」の「規律違反」での党の取り調べが始まったことが伝えられた。

12月22日夜、党統一戦線工作部長で全国政治協商会議副主席、胡錦濤前総書記の側近、「令計画」の「規律違反」での党の取り調べが始まったことが伝えられた。いわゆる「新四人組」の最後の1人であり、胡錦濤氏の大番頭として権勢を振るい、次期中央政治局員入りも噂された人物だった。

令計画失脚の引き金になったと目されているのが2012年3月の長男の交通事故だった。裸の女性2人を乗せた長男のフェラーリが大事故を起こして死亡した際、令計画が事故のもみ消しを図ったことが問題とされ、公安系統を握っていた周永康に協力を依頼したとされている。女性2人のうち1人は死亡、もう1人も大けがを負ったが、その家族には巨額の「口止め金」が振り込まれたという。国内メディアには箝口令を敷いたが、海外メディアの報道で表沙汰になった。令計画は当時の中共中央弁公庁主任から統一戦線工作部長に降格。ただ、2013年からは名誉職とはいえ「党と国の最高指導者」と中国のメディアで呼ばれる政治協商会議副主席を兼務していた。

令計画は習近平政権が大々的に展開している腐敗取り締りの大物たたき「虎狩り」のなかで、薄熙來、周永康、解放軍ナンバー2の徐才厚と並んで、文化大革命を引き起こした毛沢東夫人・江青ら「四人組」になぞらえて、「新四人組」と呼ばれた。そのなかで調査が公表される最後の1人となった。

令計画の失脚が確定し、当初は江沢民派(薄熙來、周永康、徐才厚)への攻撃だったのが、今度は共産党青年団グループに矛先が向けられた、という分析も一部でなされているが、そこまで明確な派閥意識が習近平にあるとは思えない。むしろ、腐敗根絶の世直し運動の一環であると同時に、自分と党に対する敵と認定した相手にスキがあればすべて「狩ってしまおう」という攻撃的行動原理で動いているように思える。だから、新四人組がすべて倒れたといっても習近平の「虎狩り」キャンペーンが終わることはないだろう。

「令一族」の栄枯盛衰

それとは別に、令計画という名前をみてちょっと不思議に思った。「令」という姓もあまり聞いたことがないし、「計画」という名前も珍しい。調べてみると、いろいろな意味で興味深い一族であることが分かった。

令という姓は中国で非常に少なく、山西省の平城という地域などに残っているのみである。このあたりは、古くは「中原」と呼ばれた地域で、紀元前の周王朝に仕えた一族ともされている。令姓はもともと令狐姓で、現代中国では便宜的に令に変えているが、中国の歴史物語などでは令狐姓の高官がたくさん登場する。

令計画の父親も令狐野という名前で、医者であり、1930年代の革命根拠地の延安で共産党に入党し、共産党支配下の地域の医療衛生に大きな貢献したとされる。同じ山西省出身の薄一波(薄熙來の父)とも親交があった。

5人の子供をもうけ、それぞれ、「路線」「政策」「方針」「計画」「完成」という名前をつけた。どれも「革命家族」の名前であることが一目で分かる。うち「方針」は女子で、あとは男子だった。共産党支配下の中国では、出世の特急列車に乗れる「革命家族」の出自をバックに1970年代末に事故死した長男の「令路線」を除き、それぞれ各方面で出世を重ねたが、すでにほぼ全員が令計画の失脚の前にトラブルに巻き込まれている。

次男の「令政策」は山西省の省エリートとして山西省政治協商会議副主席に就いていたが、2014年6月には党規違反の疑いで調査を受け、令一族摘発の皮切りとなった。

出世頭の令計画は山西省の印刷工場で働いていたが、共産党青年団に入ったあとはすぐに頭角を現し、23歳のときに党中央宣伝部に抜擢されている。以後、胡錦濤のもとで長く仕え、胡錦濤政権時代に胡錦濤事務所の主任から、中共中央弁公庁主任という党幹部の日程や生活をすべて掌握できる「大役」を任された。

末弟の「令完成」は、新華社で20年ほど働いたあと民間企業の経営者となっていたが、兄たちの件に絡んで汚職で取り調べを受けているとされる。唯一の女子「令方針」の婿で、山西省運城市の副市長をしていた「王健康」も腐敗を理由に下野させられている。

実は「封建社会」

これらの令家の人々は、報道によれば、北京で「西山会」なる秘密グループを作っていたそうだ。中央は令計画、地方は令政策という役割分担のもと、山西省の幹部ポストがこの西山会を通じて売買されていたとされ、市長ポストが1000万人民元(約18億円)という相場まであったとも伝えられる。

今回の摘発で、令一族は一巻の終わりとなった。一族の栄耀栄華も没落も、すべて権力の成り行き次第でどうにでもなるのが中国の現実で、まるで三国志や水滸伝の時代物語を読んでいるような気分になる。令一族の栄枯盛衰はまさに跳梁跋扈する「赤い貴族」の没落物語であり、共産中国が封建社会を否定して成立したにもかかわらず、革命の名の下で実は新しい封建社会を築いていたことを如実に物語っている。

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野嶋剛

1968年生れ。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、2001年シンガポール支局長。その後、イラク戦争の従軍取材を経験し、07年台北支局長、国際編集部次長。現在はアエラ編集部。著書に「イラク戦争従記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)。

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(2014年12月24日フォーサイトより転載)

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