ちっとも失われていなかったこの20年―国富の推移は、どうなってきたのか:研究員の眼

『失われた20年』というキーワードがあまりにも人口に膾炙し、何も発展がなかったかのように思いこみがちだが、国富が失われてきたという事実について違和感を覚える。何故、事実と実感との間に乖離が生じているのか。

私ごとですが、ノルディック・ウォーキング(*1)という、ポールを使用する歩行エクササイズを始めました。最近は、週末になると隅田川沿いの遊歩道に繰り出し、同好サークルのメンバーと一緒にトレーニングに励んでおります。

川辺でのトレーニング中は、遮るものがないので見晴らしが良く、東京スカイツリーやベイエリアの高層マンション群を一望することができます。また、低地から見上げる形の構図になりますので、より一層その威容が引き立ちます。本当に、よくぞ東京は立派になったものだと、感慨もひとしおです。

バブルの絶頂期の頃と比べてみても、今の東京が負けているのは人々の活気や熱気だけではないでしょうか。快適・安心・景観といったすべての尺度において、今の東京のほうが素晴らしいと感じます。

さて、『失われた20年』というキーワードが、あまりにも人口に膾炙していて、この20年間は、何も発展がなかったかのように思いこみがちです。

事実、日本全体の資産合計額である国富の額は、バブル期の1990年末の3531兆円(93SNA2000年基準)をピークとして、その後おおむね減少を続け、直近の2013年末では3049兆円(93SNA2005年基準)まで減少しています。まさしく、国富が"失われてきた"わけです。

しかしながら、前述の林立する高層マンション群の存在や、鉄道・地下鉄網や高速道路網の整備拡張といった社会インフラの充実ぶりを実感するにつけ、国富が失われてきたという事実についての違和感を覚えます。何故、事実と実感との間に乖離が生じているのでしょうか。

それは、『バブル崩壊後に日本の国富が減少傾向となった原因は、土地資産が減少してきたこと』(*2)によるからなのです。

当たり前のことですが、土地資産の減少といっても、日本の国土面積が減少しているわけではありません。土地資産の減少は、土地の評価額の減少により生じているのです。

しかし、土地の評価額が減少しても、我々が実際に目にしている光景が変わるわけではありません。ですから、土地資産の減少により国富が減少しているという事実を、我々が実感することは、なかなか困難なのです。

それでは、土地資産以外の国富(*3)は、どのような推移となっているのでしょうか。土地資産を除いた国富をみてみると、実は、ほぼ一貫して増加してきています。国富全体のピーク時である1990年末時点では1054兆円(93SNA2000年基準)であったものが、直近の2013年末には1928兆円(93SNA2005年基準)へと増加しています。

つまり、この20年の間も、我々の日々の営みは、しっかりと国富の形成に寄与してきていたのです。

『失われた20年』という悲観的なキーワードの呪縛から逃れて、日々の努力の積み重ねによる経済発展に、もっと自信を持って良いのだと思いますが、いかがでしょうか?

*1 雪上距離競技のノルディック・スキーの、スキー板を運動靴に置き換えたイメージのスポーツ。両手に持ったポールで地面を押し出して、身体を大きく前に運んで歩行していきます。

*3 国富の内訳は、「在庫」、「有形固定資産」、「無形固定資産」、「有形非生産資産(99.8%は土地、残り0.2%が地下資源・漁場)」、「対外純資産」。

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(2015年5月11日「研究員の眼」より転載)

株式会社ニッセイ基礎研究所

常務取締役 保険研究部 部長

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