マッチョになれない僕たちに、『走れメロス』が役に立つ。メロスの親友に学ぶ「待つ力」

【カリスマホストの裏読書術 #13】太宰治『走れメロス』

フォロワーを増やして発信力を高めろ。

会社や肩書きをこえて、個人の名前でガンガンつながれ。

そうしたマッチョな教訓が、今日もネット上を行き交う。しかし「誰もがそんなに“強い個人”になれるわけでもないし、なるべきでもないのでは?」

そう語るのは“本好き”で知られる、歌舞伎町ホストクラブ経営者の手塚マキさんだ。手塚さんが取り出したのは、太宰治の代表作『走れメロス』。

メロスとその親友・セリヌンティウス、そして彼らの人間性を細かく描き込んだ太宰から、マッチョになれない私たちが学べることとは?

Kaori Nishida

『走れメロス』は、シラーの『人質』をほぼ“完コピ”している。

ご存じの方も多いかもしれませんが、『走れメロス』はゼロから太宰が作りあげた物語ではありません。もともとは古代ギリシャの伝承だったものを、ドイツの詩人・シラーが『人質』という作品にしており、太宰はそれらを参考にして『走れメロス』を書いたと言われています。

ストーリーはシンプルです。

主人公のメロスは、村人をむやみに殺しまくっている王様の暴挙を止めるため、城に乗り込んでいきます。しかし、いとも簡単に捕まって咎められてしまう。甘んじて処刑を受け入れようとするメロスですが、直前になって「妹の結婚式を見届けたい」と懇願し、3日間の猶予を王様にもらいます。

メロスは無二の親友・セリヌンティウスを人質として差し出し、城をあとにします。無事に妹の結婚式を終えたメロスは、約束の時までに城に戻るため、結婚式が開かれた故郷から、友のもとへ全力で走りまくる。くじけながらもひたすらに…。

城までの道のりは困難続きですが、最後はハッピーエンドです。何とかギリギリで滑り込み、メロスとセリヌンティウスは抱擁。それを見た王様は心を入れ替え、誰かを信じることの尊さを知るのです。

シンプルなお話なんですが、もとになったシラーの『人質』を読むと、二つの作品は、ほぼ一緒と言っていいくらい似通っています。

これは僕の想像ですが、太宰は意図的に“完コピ”のように仕上げたような気がするんです。代表作『人間失格』で見られるように、人間の負の側面も執拗に描くのが太宰治という作家です。単純な友情物語を描くとは思えません。

あえて、太宰がこの時代に『走れメロス』を出版した理由は何だったのでしょうか。

作家の佐藤春夫に宛て「私を見殺しにしないで下さい」と芥川賞を懇願する太宰治直筆の手紙
作家の佐藤春夫に宛て「私を見殺しにしないで下さい」と芥川賞を懇願する太宰治直筆の手紙
時事通信社

太宰は、戦争に突き進んでいく日本を皮肉ったのではないか。

僕は、この作品は時代への大いなる皮肉だったのではないかと思っています。

『走れメロス』が書かれたのは、太平洋戦争が始まる直前の昭和15年でした。ドイツがフランスやベルギーに侵攻し、日本では「ぜいたくは敵だ」というスローガンが掲げられていた時代です。世間には何だかきな臭いような、危うい気配が漂っていたのだと想像します。

想像の域を出ませんが、太宰は死を覚悟して戦地に送り込まれていく兵士たちのピュアさを、諦めるような気持ちで眺めていたのではないでしょうか。

戦争という理不尽極まりない状況に、あまりにまっすぐな気持ちで突っ込んでいく兵士たち。それは、親友の命を救い、自らは処刑されるためにひたすら走るメロスとどこか似ていますよね。妄信的というか、刹那的というか。

あえてそれとバレるような“完コピ”をすることで、そうしたまっすぐを皮肉っているように僕には思えました。

メロスの体力と精神力はちょっと異常。

さて、このメロスの「やりきる力」を支えるのは、強靭な肉体と精神力なのではないか。文字にするとバカっぽいですが、僕はそんな風に思いました。

必死に走って村にたどり着いて、妹に結婚式を挙げさせて、疲労困憊だったのに、一晩寝るとすぐ元気になっています。文句を言いながらも、途中で何をしていようと、ちゃんと結果をだす。

こういう人は、コツコツ毎日積み上げなくても、一発逆転満塁ホームランを打てるのだと思います。

体力にモノを言わせて“結果にコミット”するメロス。その強さは羨ましいし、憧れもある。けれど、僕にはメロスのような“ナチュラルボーン鉄人”の真似はできません。それにマッチョイズムは、みんなが身につけられるものでも、身につけるべきものでもないと思います。

それでは、僕たちはどうすればいいのでしょう。

xijian via Getty Images

マッチョイズムよりも大切な「待つ力」。弱さを認めてヒーローになろう。

僕は、メロスの親友であるセリヌンティウスに注目しました。

突然ですが、これまでの人生で、「待つ」という経験をどれぐらいしたことがありますか。僕は現役のホスト時代、現金200万円の支払いを「待つ」という経験をしたことがあります。

ホストクラブには「売掛(つけ)で飲む」という文化があります。お客様に「つけ」で飲んでいただいた場合、もしも後日、お客様からお金を回収出来なければ、ホスト自身が原則そのお金を支払わなくてはなりません。リスクは怖いけど、売上は積みたい、というのがホストの本音。

僕は、まだ駆け出しの新人のころ、出会って間もないお客様から「今日はたくさん飲みたい気分」と言われ、注文されるままにどんどん高級なオーダーを受け付けてしまったことがあります。周りの空気に流されてしまった部分もあり、お客様の懐事情に思い至る余裕もありませんでした。

そして、お会計のときに「つけで」と言われてしまいました。金額はなんと、200万円。「後でちゃんとお金持ってくるからね」という言葉をあとに、そのお客様は去っていきました。

Kaori Nishida

それから数週間─。僕はただずっと彼女を待ちました。メールもまだ無い時代。催促の電話も無粋だからしたくない。できることは何もありません。しかし万が一のことがあっても、立て替える能力もない。ただひたすら待つのみです。

そして運命の時がやってきました。月1回の売上ランキングが決まる「締め切り」の日です……。

締め切り間際、わずか20分前にそのお客様が200万円を持ってお店に現れました。その瞬間のことは、今でもよく覚えています。まさにメロスが走って帰ってくるのを待った、親友のセリヌンティウスの気分です。「もしかしたら来ないかも…」と疑ってしまった自分を恥じたりもしたものです。

彼女が約束通り現れたことで、彼女を信じた僕を肯定することができました。同時に、待っていた期間の自分の弱い心や葛藤を素直に受け入れることができたんです。

相手に100%依存することで逆説的に、自分の心があらわになったような経験でした。セリヌンティウスもこういう気持ちだったんでしょうね。

セリヌンティウスは、「3日後に戻ってくるね」といったメロスを信じたんですから、すごい胆力ですね。きっといいホストになると思います。相手を信じるところに結果がついてくるというのがすごくホストっぽい。

「待つ」というのは、相手を信じること。そして相手を信じた「自分」を信じること。報われることもあれば、裏切られてしまうこともあるけれど、結果は実はどうでもいいのかもしれませんね。「待つ」ことで、自分の弱さとじっと向き合うことができるのですから。

相手を急かすのではなく、待つ努力をせよ。そして、待つことで自分の弱さを直視せよ」。

このメッセージこそ、100年後の今を生きる僕たちが太宰から受け取ることのできるギフトなのかもしれません。

そういえば、僕も最近、そうやって必死になって誰かを待ったり、誰かのために走ったりしてないですね。太宰と同じく今は、どこかでメロスたちを羨ましいと思っているような気がします。

本記事は、手塚マキさんの新刊『裏・読書』の12章「メロスになれない僕たちが学べる『待つ力』とは。」を再編集したものです。

手塚マキさんが名著を独自の見方で読み解いた新刊『裏・読書』が4月20日、「ハフポストブックス」から刊行されました。全国の書店、ネット書店で販売されています。

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