嘉悦朗氏(中編) ~横浜F・マリノスを変えた3つのCFTと戦略的アプローチ~

私がマリノスの経営をやることが決まった時、日産と議論して決めたことは、自力での赤字解消にチャレンジしようということでした。

かつての名門も、マネジメントのやり方を間違えると不振に陥ってしまう。日産時代、カルロス・ゴーン氏の下で日産リバイバルプランの策定やその実行に大きく貢献した嘉悦朗氏(横浜F・マリノス社長)にとって、横浜F・マリノス(以下、マリノス)の置かれている状況はかつての日産と重なって見えたと言います。日産流改革の手法をマリノスに移植する。マリノス再生への道はそこからスタートしました。

嘉悦 朗(かえつ あきら)氏

横浜マリノス株式会社 代表取締役社長

ゴーン氏のひと言でCFTは呉越同舟からノアの方舟に変わった

-前編でクロスファンクショナルチーム(CFT)の立ち上げにおいて、ゴーンさんが非常に大きなインパクトを与えたとおっしゃいました。

嘉悦:前回、アイデアを実行するためには、課題に関係がある部門から、「あいつなら!」とみんなが認めるメンバーを選んでしっかりと議論し、納得性のある質の高い提案を作り上げることが大切だと言いましたが、日産の場合、実行を後押しした要因があと2つありました。1つは多くの社員が共有していた「危機感」です。9つのCFTが議論して作り上げた実行案の集大成が、日産リバイバルプランのベースになりましたが、「このリバイバルプランを実行しなければ日産に明日はない」という強い危機感があったことが実行力を高めました。

もう1つはゴーンの存在です。彼の力強いリーダーシップが、多くのマネジメント層の行動の変革に大きな影響を与え、それが改革の実行力を高める条件の1つになりましたが、彼の存在がCFTの活動においても大きなインパクトを与えることになりました。その象徴が、CFT発足後に初めて持たれたゴーンとのミーティングでした。

-ミーティングですか?

嘉悦:9つのCFTが発足し、私もそのパイロット(CFTのリーダー)の1人に選ばれましたが、実を言うと最初の頃は、私を含めてCFTの意義や本当に目指すものが見えておらず、必ずしも本気で日産を変えてやろうという雰囲気にはなっていませんでした。ですから、先ほどから繰り返し強調している「全体最適」の視点より、自部門の利益代表という意識の方が強かったと思います。

そのため、メンバーのA君が何か意見を言って、それがメンバーB君の部門の利益を損ねるような内容であれば、B君は強硬に反対するということもしばしばで、最初の3週間くらいは、とてもCFTとは呼べないような混乱状態だったんです。

その背景には、多くのメンバーが持っていた、ある大きな疑問というか、違和感がありました。日産の将来を左右する重要なCFTのメンバーが、なぜ部長や役員ではなくて課長クラスなんだ、という素朴な疑問です。

本来、社運を賭けた一大プロジェクトのメンバーは、自他ともに認める力を持った部長以上じゃないのか?その層を数段階飛ばして課長クラスにやらせるのは不自然だ、と。中には、「改革案は既に用意されていて、とりあえずみんなに議論させたけれども、これではダメだということでその改革案を出してくるんじゃないか」と、うがった見方をする者さえいたほどです。そのため、CFTで議論をしていても、本気にならないというか、どうしても従来型の部門を守るための議論に終始しがちというのが当時の状況でした。

-最初から順調だったわけではないのですね。

嘉悦:その状況を劇的に変えたのが、先に述べたゴーンとのミーティングでした。チーム発足から3週間が経った頃、ゴーンが9人のパイロットを呼んで2時間半、経営トップとしての問題意識や思いを私たちに直接伝え、最後に「明日の日産を作るのは君たちだ。君たちの真の実力を見てくれ」と言ったんですよ。課長クラスであった私たちに、本気で日産の未来を託そうとしていたのが伝わり、私は思わず武者震いしたことを鮮明に覚えています。

翌日、このミーティングの内容をCFTのメンバーに話したんですが、彼らの目つきががらりと変わりました。これが「本当に自分たちが新しい日産を作るんだ」と確信した瞬間だったと思います。メンバーの1人が面白いことを言いました。「昨日までのCFTは敵同士が同じ船に乗り合わせて喧嘩ばかりしている『呉越同舟』だったけど、実はこの船は新しい日産を作るために選ばれたメンバーが乗る『ノアの方舟』だったんだね」と。

それからの2ヶ月は、自部門の利害にこだわる議論は影を潜め、日産を再生するための建設的なアイデア、意見がどんどん出て来ました。このような変化は他のCFTでも起きたと聞いていますが、こうしてスピードアップした9つのチームは、最終的に1000を超えるアイデアを提案し、それが日産リバイバルプランのベースになりました。

-ミーティングから一気に風向きが変わったと。

嘉悦:恐らくゴーンは分かっていたのだと思います。壁にぶち当たる前にあれこれ言っても耳に入らないけれど、散々ダッチロールした後だと、同じ話でも心に響きますからね。こういった経験から改めて分かったことは、CFTというのは形だけ真似てもダメで、メンバーの選び方やトップマネジメントの関与の仕方といった、運用面でのきめ細やかなノウハウがないと、魂のこもったものにならないということです。同時に、このノウハウは通常の組織運営やマネジメントにも通じるものがあるということを学びました。

-マリノスの社長になられた時、この経験を生かそうとされた。

嘉悦:日産はものづくり、マリノスはスポーツビジネスと、業種をはじめ、企業規模や社員の構成など、両者には大きな違いがありましたが、先にも述べたように置かれている状況は、とてもよく似ていました。従って、改革は絶対に必要でしたが、改革を進める上で、日産とマリノスには決定的な違いが2つありました。1つは、ゴーンが外国人社長であるのに対し、私は日本人だということ。もう1つは、当時の日産が危機的状況にあることは誰の目にも明らかだったのに対し、マリノスの場合、そこまでの危機意識はなかったということでした。

-危機感はなかったのですか?

嘉悦:マリノスは、公表されている決算数値は悪くないし、成績も優勝争いからは遠ざかっていましたが、J2への降格を心配するほどではない。後ろには大企業の日産がついているということもあって、誰もが「マリノスが消滅するなんてありえない」と思っていました。改革にチャレンジする動機の1つは危機感ですが、マリノスには1990年代末期の日産のような差し迫った危機感はありませんでした。

観客を20%増やすための戦略的アプローチとは

-たしかに名門マリノスが消滅するとは誰も思いませんよね。

嘉悦:しかし実態は、成績や入場者数だけでなく、あらゆる収入が下降線をたどっていて、普通の企業であれば、決算もひどい数字になっていたはずです。しかし、日産がその広がる穴を埋め続けていたため、問題が表面化することなく、見かけ上は経営が安定しているように見えていました。ビジネスの常識からすれば異常としか言いようがありませんが、こうして親会社が赤字を補填することに慣れっこになっていたということでしょうね。これでは危機感を持てと言っても無理ですよ。一方、日産の内部では、なぜこんなに赤字が続くのか、マリノスは経営努力を怠っているのではないか、という厳しい声が上がっていたのも事実です。

そこで私がマリノスの経営をやることが決まった時、日産と議論して決めたことは、自力での赤字解消にチャレンジしようということでした。その第一歩として、マリノスのユニフォームの胸に出している"NISSAN"のスポンサー料を定価に変更し、それを超える部分、つまり赤字補填相当額をひとまずゼロにして、結果的に出てしまう赤字は公表することにしました。このような経緯から、2010年度以降、突然、毎年5億円程度の赤字が表面化し始め、世の中は騒然としましたし、社内には激震が走りました。

-それでいきなり赤字という話が出てきたわけですか。狙ってやったことだったのですね。

嘉悦:狙い通り、社内には危機感が芽生えましたが、思わぬ弊害も出てしまいました。「嘉悦が経営するようになってから急に大赤字になった。放漫経営をやっているに違いない」という誤解が世の中に広がっていったんです。当然、バッシングも受けました。もちろん、不本意ではありましたが、あまり言い訳がましいことを言っても仕方がないので、とにかく実績で示そうと割り切り、改革に集中しました。

-それでも狙い通り危機感を持ってもらうことにはつながったと。実際の改革はどのように進められたのでしょうか?

嘉悦:まず、改革初年度の目標として入場者数の劇的な増加を掲げました。成績の次にインパクトがあるのは入場者数が増えることで、その話題性がマリノスのプレゼンスを上げますから。具体的には、前年度に比べて20%増やそうという目標を掲げました。

次に、この目標を達成するためのロジックとして「パーチェス・ファネル」というマーケティング理論を持ち込みました。これはサッカーに例えるなら、選手全員が共有する戦術に相当するものです。入場者数20%増という「ゴール」をあげるためには、直接ゴールを狙うFW、つまりチケット担当だけががんばってもダメで、GKから守備の選手、中盤の選手、そしてFWまでの全員が同じ戦術を共有し、効率的にゴールを目指さなければなりません。

この「パーチェス・ファネル」というのは、直訳すれば「購買漏斗(こうばいじょうご)」となりますが、その名前の通り、逆ピラミッド型で上から順番に「認知→親近→好意→購入意向→購入→再購入」と並ぶプロセスで構成されています。要は、車であれ、サッカーのチケットであれ、お客さまに比較的高額な商品を購入していただくためには、「知る→親しみを覚える→好意を持つ→購入を検討する→購入する→また購入する」というプロセスに沿って、企業活動を改善し、それぞれのプロセスを丁寧に広げていかないと、リピーターは増えないというオーソドックスな理論です。

パーチェス・ファネルの図 認知からリピート購買に結びつけていく考え方の1つ。

これをマリノスに当てはめると、マリノスという名前を知っている人はたくさんいると思いますが、じゃあ「マリノスって親しみやすいチームだね」「マリノスの試合を見に行きたいね」という人がどれだけいるでしょうか。チームが強ければ、あるいは有名な選手がいればお客さんは来てくれる、というのは一面では正しいですが、それだけに頼っていたのでは、安定的に入場者数を増やしていくことは困難です。きちんとした経営基盤を作っていくためにも、これらのプロセスを丁寧に広げながら、着実にリピーターを増やすことが重要なんだよ、という共通認識を社内に浸透させることが改革の第一歩でした。

もちろん、チケット代は一番高い席でも約5000円なので、数百万円もする車とは違うという反論はあります。しかし、チケット代は遊興費の一部として家計から捻出されるお金です。その中の5000円は決して安い金額ではありませんし、家族4人だと2万円にもなります。遊興費というくくりでは他にも多くの選択肢がある中で、マリノスのチケットを選んでいただくというのは大変なことなんだ、だからこうした取り組みが必要なんだという理解がすべての出発点だったということです。

-そのプロセスを改善するアイデアを考えるのが3つのCFTの役目なのですね。

嘉悦:まず、認知・親近・好意という3つのプロセスを改善するCFTが「ホームタウン活動」の大幅な見直しを検討しました。次に購入意向・購入のプロセスを担当するCFTが「プロモーション活動」の改革を検討し、3番目のCFTがリピーターを増やすために「ホスピタリティ」の向上を検討しました。

この3つのCFTをスタートさせるにあたって掲げたのが、さっきも触れましたが、集客を前年比20%アップし、1試合平均2万6500人を達成するというものでした。この目標設定には2つの意図を込めました。

1つは改革のメッセージです。20%アップというのは、従来の仕事の延長線では絶対に達成できない高いハードルですから、否応なしに仕事の枠組みを見直さざるを得ません。一方、やみくもに高い目標を掲げるだけでは、社員は「できない言い訳」を見つけるようになるものです。そこで必要になるのが目標値に対する共感、あるいは確信です。20%増は1試合平均2万6500人という目標値になりますが、実は2005年に、それに近い数字を達成したことがあるんです。つまり「1年でやるのはたしかに大変だけど、達成不可能な数字ではない」という絶妙の水準だったわけで、共感と確信が持てる数字だったということです。目標設定は、ただアグレッシブであればいいというものではなく、こういった「メッセージ性」も重要だということです。

-いよいよ改革のスタートですね。改革の内容や成果は後編で詳しくお聞かせください。

(インタビュー=松尾慎司 文=桑原晃弥)

後編に続く

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