「自分は異常かも」と悩まなくていい社会に。同性婚訴訟、原告が訴える【2次訴訟・第2回】

カミングアウトに「そのままで全然問題ないよ」と言ってくれると信じて疑わなかった。だけど返ってきたのは、思いもよらない言葉だった
入廷する「結婚の自由をすべての人に」第二次東京訴訟の原告ら=2021年9月2日撮影
入廷する「結婚の自由をすべての人に」第二次東京訴訟の原告ら=2021年9月2日撮影
JUN TSUBOIKE/HUFFPOST JAPAN

法律上の性別が同じふたりの結婚を認めるよう国に求める「結婚の自由をすべての人に」裁判の、東京2次訴訟の口頭弁論(飛澤知行裁判長)が9月2日、東京地裁で開かれた。

これは「同性婚訴訟」とも呼ばれ、全国5つの地裁と高裁で合計6件の裁判が行われている。

2日の口頭弁論では、東京2次訴訟の8人の原告から、福田理恵さんが意見陳述に立ち、結婚という選択肢がない社会の中で、偏見に傷ついてきた過去を振り返った。

この感情は一時的なものじゃない

報道陣の質問に答える福田さんとパートナーの藤井美由紀さん(左)
報道陣の質問に答える福田さんとパートナーの藤井美由紀さん(左)
JUN TSUBOIKE/HUFFPOST JAPAN

福田さんが初めて同性に恋愛感情を抱いたのは高校生の時。その時には「一時的なもので終わりますように」と祈るような気持ちを抱いたという。

しかし、20代半ばで初めて女性と付き合い、女性にしか恋愛感情が向かないこと、それが一時的なものではないことを確信した。

その後、ありのままの自分を受け入れて欲しいと思った福田さんは、親族に女性と付き合っていることを伝える。

しかし「そのままで全然問題ないよ」と言ってくれると信じて疑わなかった親族から返ってきたのは、「友達はいいけれど、親族にはいてほしくない、精神的に異常だと思う」という思いもよらない返事だった。

人生が変わり始めた40代

この言葉に深く傷ついた福田さん。それからは周りに本当の自分を隠しながら生き、家族とも疎遠になっていった。

「カミングアウトした時の嫌悪感に満ちた目をまた向けられたら、必死に守っていた心が砕けてしまいそうだった」と福田さんは振り返る。

傷つかないよう、自分を殻に閉じ込めて生きていた福田さんだったが、40代に入ってから、人生が変わる出来事が続いた。

1つは、40歳の時に乳がんと診断されたこと。その時、現在のパートナーの藤井美由紀さんと付き合い始めてわずか1カ月半後だったが、藤井さんは福田さんのために病院を探し、福田さんの手術の付き添いから、術後の闘病に至るまでずっと支え続けてくれた。

さらに乳がんの手術から3カ月後に、お母さんが病気で亡くなった。

福田さんのお母さんは福田さんに「女の子らしくしなさい」とか「結婚しなさい」とは一切言ったことがなく、20代後半の時に女性と一緒に住むと伝えた時にも、理由を聞かずに、いつも福田さんの意思と選択を尊重してくれた。

そんなお母さんに、 福田さんはいつか感謝の言葉と、藤井さんという一生を添い遂げたいパートナーと出会えたことを伝えたいと思っていたが、その願いは叶わなかった。

社会は変わりつつあるけれど

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乳がんで自分の死を身近に感じ、お母さんに大切なパートナーの存在を伝えられなかった現実に打ちのめされた福田さんは「これからは自分らしく生きていこう」と思いを強くしたという。

社会も少しずつ変わり始めていた。世界では同性婚できる国や地域が増え、日本では2015年以降、自治体や会社が次々にパートナーシップ制度を導入し始めた。

福田さんが勤めていた会社でも、福田さんが42歳の時に同性パートナーシップ制度がスタートした。

「その掲示板を目にした時に、感激のあまり胸が締め付けられました。それまで社会のどこにいても居場所を見つけられませんでしたが、人生で初めて『ここにいて良いんだよ』と受け入れてもらえた感覚を覚えたからです」と、福田さんは話す。

自分らしく生きていきたい、自分がいなくなった後の藤井さんの生活を守りたいという思いから、福田さんは会社のパートナーシップ制度を申請した。

さらに勇気を出して友人や同僚にカミングアウトすると、「福田さんは福田さんだよ」「応援しているよ」と、皆が祝福してくれた。また20年前に拒絶した親族も、「あの時は未熟だった、ごめんなさい」と謝り、今では良好な関係を築けている。

福田理恵さん(右から2番目)=2021年9月2日撮影
福田理恵さん(右から2番目)=2021年9月2日撮影
JUN TSUBOIKE/HUFFPOST JAPAN

同性婚の法制化や、同性パートナーシップ制度の導入など、社会が変わったことで、周りの人たちの同性愛者に対する意識が変わったのだと福田さんは感じている。

それでも、日本ではまだ法律上同性のふたりは結婚できない。そのため、万が一自分が先に亡くなった場合に、藤井さんが一緒に住んでいる家を相続できるかなど不安は残る。

福田さんは時々、「同性婚が実現している日本で生まれ、生きていたら、どんな人生だっただろう」と考えるという。

好きな人ができた時に「自分は異常かも」と悩まなくていい人生、恋人ができた時に隠さなくていい人生、一生を添い遂げたい人を母親に報告できる人生――。

「これからの日本に生まれてくるLGBTQの人たちには『普通』の人生が待っていると信じている」と福田さんは述べ、婚姻の平等の実現を訴えた。

多様な性的マイノリティの人たちが、国を訴えている

「結婚の自由をすべての人に」訴訟は、北海道・東京・愛知・大阪・福岡の5つの地裁と高裁で進んでいる。

福田さんが原告となっている東京第2次訴訟では、同性愛者の他にもトランスジェンダーやパンセクシュアルといった多様な性的マイノリティの当事者も原告となり、平等な結婚の実現を求めている。

また、同訴訟は2021年3月に札幌地裁で最初の判決が言い渡され「同性同士の婚姻を認めないのは違憲」という判断が示された

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