あの人のことば
2019年05月13日 09時37分 JST | 更新 2019年05月13日 11時44分 JST

なぜ右派は婚姻の平等に反対するのか。専門家に聞いた。

ダイバーシティと伝統的な家族観は両立しないの?

同性婚を認めない民法や戸籍法は「婚姻の自由を保障した憲法違反だ」として、全国13組の同性カップルが国を訴えた裁判で、4月、東京地裁での第1回口頭弁論があった

世論調査では、同性婚に賛成する人が過半数を占める

一方で「強硬に反対するのが右派の人たちだ」と大阪国際大学非常勤講師で哲学者の能川元一さんは指摘する。

広く社会やビジネスの場で「ダイバーシティ」(多様性)の大切さが唱えられるようになって久しいが、右派が“伝統的な家族観”にこだわり、家族や婚姻について定めた憲法24条を変えようとするのは一体なぜなのか。 

『右派はなぜ家族に介入したがるのか』(大月書店)などの共著がある、大阪国際大学非常勤講師で哲学者の能川元一さんに聞いた。

ここで言う「右派」とは、 保守系宗教団体が結成した「日本を守る会」と保守系文化人や財界人の団体「日本を守る国民会議」が1997年に合流して成立させた「日本会議」に属する人々、および「日本会議」と同様の政治的思想をもつ人々を指す。

 差別がないことイコール平等じゃないの?

 

本人提供
大阪国際大学非常勤講師で哲学者の能川元一さん

 「同性婚の法制化は、我々から見ればたんに多様性を認めるだけですが、右派にとってはそうではない」と能川さんは語る。 

「彼らは〈自然な家族〉という言い方をしますが、この<自然な家族>が高い地位にあって、〈自然ではない家族〉のあり方を認めると相対的に自然な家族の価値が下がると思っています」

「多様な家族のあり方を認めると、本来あるべき家族の価値が損なわれてしまうというのが彼らのロジックなんです」

右派が同性婚の法制化に反対する理由を、能川さんはそう説明する。

つまり“価値の高い家族”と“価値の低い家族”があるということだ。あきらかに憲法が保障する平等とは言い難い考え方だが、右派はそう認識しないのだという。

「右派が考える平等は、一般的な平等の概念と全く違う」と能川さん。一体どういうことなのか。

「これについては自民党の杉田水脈衆議院議員が次世代の党に所属していた2014年に非常に分かりやすい発言をしています。彼女は、代表質問で“男女平等は実現不可能な反道徳の妄想”と言ったことがあります。しかし、他方で彼女は『日本には男女差別はない』とも言っている。我々の常識では、差別がないなら男女平等なはずです」

「しかし、杉田議員のような人たちにとっては、差別がないことイコール平等ではありません。彼女たちは“異なる人々は、異なる扱いを受けるのがあるべき姿だ”と考えています。ですから“平等じゃないけど差別はない”というのは、彼女たちにとっては矛盾しないのです」

そのようなロジックのもとに、“違いに基づいて、銘々が分をわきまえるならば悪いようにはしない”というのが右派のさまざまなマイノリティに対する考え方だという。 

「こうした発想を理解するには社会心理学で〈社会的支配志向性〉と呼ばれている心理特性が参考になります。俗な言い方をすれば“分をわきまえろ”という考え方です」

「LGBTQに関しての法制度でも野党が提出した『差別解消法』に対して、自民党が『理解増進法』と言い出したのは象徴的です。これはまさに右派の発想そのもので、“差別の解消、すなわち同じ扱いを要求しないのであれば、(理解増進を図って)酷いことはしないぞ”という意味でしょう」

なるほど、自民党がLGBTQへの理解を訴えながら、差別解消法や同性婚を頑なに拒否する態度を示していることには、こういった背景があるようだ。 

当事者の側にも、差別解消や人権を前面に出して声をあげることを避けようとする人たちもいる。

自分たちの生きやすさを訴える活動になぜ否定的なのか。

「右派の基本的なロジックは、“権利を要求せずおとなしくしていれば、そう酷いことはしないぞ”というものですから、大きな声を上げないようにしようという生存戦略には一定の合理性があるとは言えます」

「しかし、そのことによって差別される側は分断されてしまう。そして、そのような生存戦略を取る限り、差別的構造は温存されてしまうのです」

 

右派が展開する「WGIP」説の正体

しばしば、右派は「〈行き過ぎた個人主義〉が家族を壊す」というような言い方もする。そして戦後、日本人はGHQの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)によって戦争の有罪性を洗脳されたのだと陰謀論めいた説を展開する。

〈行き過ぎた個人主義〉が蔓延したのもその結果だというのだ。果たしてこのような話に根拠はあるのか。

能川さんは「じつは、行き過ぎた個人主義という言い方は戦前からされています。100年近く言われてることなんです」とした上でこう続ける。

「GHQが戦後改革の中で日本社会を変えようと計画したこと自体は事実でしょう。日本を民主化して敵国から友好国に変えようした。ただし、右派がそこで軽視しているのは、いわゆる〈逆コース〉の問題です」

GHQは当初、日本の民主化・非軍事化を推進しようとした。しかし後に東西冷戦が本格化すると日本を反共の防波堤にすべく占領政策を転換、社会主義的な運動を抑圧するようになる。これがいわゆる〈逆コース〉である。

〈逆コース〉は1947年には始まっている。右派のいうWGIPなるものがあったとしても、それは2年足らずのことでしかないのだ。

「また、GHQの検閲や思想統制は、戦時中に日本が特高などを使って行った徹底したものと比べればはるかに緩いものでした。その程度のもので思想を変えられるかというと甚だ疑問です」

「右派はプログラムの効果自体を非科学的に過大視しているのです。そして、GHQによる戦後改革の要素のどれをとっても、戦前の日本人がまったく考えていなかったものではなく、誰かがすでに主張していたことなのです」

 

憲法9条と24条の改正を主張する理由

大月書店
能川さんが共著者の『右派はなぜ家族に介入したがるのか』

 

戦後の政策に関する右派の主張でWGIPと並んで目立つのは、「憲法が占領軍によって押し付けられた」というものだ。そのため彼らは、憲法改正、とくに戦争放棄を記した9条を変えることを標榜する。

改憲が話題になるときには、この9条が大きく取り上げられることが多いが、じつは右派は、婚姻や家族について書かれた24条にも強い関心を持っている。

「改憲派で、24条を前面に出す人は多くはありません。ただ、右派の団体である日本会議などを見ると、24条改憲への強い意欲がうかがえます」

「麗澤大学の特任教授で日本会議の役員である高橋史朗氏は、“占領軍の日本解体の両輪が9条と24条だ”と主張します。軍事的な武装解除が9条で、精神的な武装解除が24条だと主張するのです。ですから9条と24条の改正が必要だと彼らは考えているわけです」

体制などが現在よりも過去の方が優れていると考える復古主義的なイデオロギーが、彼らの家族観と24条改正への意欲の根幹にある。

「日本会議の政策委員を務める日本大学名誉教授、百地章氏は〈縦軸の家族〉という言葉を提唱しています」 

「夫婦というのは人為的な関係に過ぎない〈横軸の家族〉で、祖先から子孫へと繋がる〈縦軸の家族〉について、今の憲法に書かれていないことが問題だと言うのです」

この〈縦軸の家族〉を強調する家族主義が、戦前の天皇制に繋がっていく。

「天皇の〈万世一系〉というのは親から子に血が繋がっていることに依拠したイデオロギーです。同じことが“天皇の赤子(せきし)”たる自分たちにも求められていると彼らは考えます」

「これは同性婚の問題にも繋がってくる。彼らが同性婚を排除しようとするときに必ず持ち出すのは、“子どもは異性カップルからしか生まれない”ということです」

つまり、同性カップルでは祖先から子孫に繋がる〈縦軸の家族〉が生まれないというのだ。能川さんは、こういった右派の言説を「ある種のマッチポンプ」と批判する。

「同性カップルでも生殖医療によってどちらかと血縁を持つ子どもを作ることは可能です。また自分で産まないとしても養子を迎えることもできます」

「しかし、産婦人科学会のガイドラインでは基本的に法律婚カップルにしか生殖補助医療を使わないことになっていますし、同性カップルは法律の枠組みから排除されているために特別養子縁組制度も利用出来ない」

「(右派は)制度的に生殖、育児から排除しておいて、子どもを産み育てられないから認められないと主張しているわけです」

 

現代の天皇一家から家族のかたちを考える 

天皇制と家族の関係に話を戻すと、今の天皇陛下も上皇陛下も、民間出身のパートナーと結婚し、自ら子育てを実践されるなど、〈横軸の家族〉を大切にして、現代的な家族を育んできたと言えないだろうか。復古的な家族像からほど遠いように見える。

「上皇夫妻は、ご成婚の頃のイメージ戦略からして、意識的に憲法24条のもとでの天皇像を作り上げようとしていたように見える」と能川さんも言う。

だとすると右派が、こうあってほしい復古的な家族について考える時、天皇一家についてどう考えるのだろうか。

自分たちは復古的な家族主義を志向しているのに、天皇一家は24条の精神に則った、それこそ〈横の家族〉を体現するかのような姿を示しているように見えるのだが……。

「天皇制にとっては皇統そのものが大事で、個々の天皇が誤りを犯すことはあるというのが右派の基本的な考え方なんです」ですから、彼らにとって決定的な問題にはなりません」

「(歴史学者の)エルンスト・カントロヴィチがヨーロッパの王について書いた『王の二つの身体』という本があります。王というのは“生身の体”と、もっと象徴的な“政治的身体”と呼ぶべきものを持っているというのです。

「つまり王党派あるいは天皇主義者にとっても、大事なのは生身の体の背後にいる、なにかもっと大きなものなのです。ですから私たちが想像するほどに、右派の人たちは天皇一家の家族像に悩むことはなかったのではないでしょうか」

しかし、現代を生きる人間が、天皇の生身の身体の背後に何かもっと大きなものがあるというような考え方を支持できるものなのだろうか。

「あまり意識されていないことですが天皇制は宗教です。科学的な世界観と宗教的な世界観を両立させている人は、現代においても当たり前にいます。天皇制を宗教と考えれば心理的に特異なことではないと言えるでしょう」

「現代人も初詣をし、パワースポットをありがたがったりします。そういうレベルで宗教としての天皇制はゆるく受容されているのです」

 (後編に続く)

能川元一(のがわ・もとかず)

1965年生まれ。大阪国際大学、神戸学院大学大学非常勤講師。哲学専攻。右派言説の研究を行う。共著に『海を渡る「慰安婦」問題』(岩波書店)、『右派はなぜ家族に介入したがるのか』(大月書店)、『まぼろしの「日本的家族」』などがある。

 (取材・文:宇田川しい、編集:笹川かおり)