平成元年に書店員になった私がおすすめする、“メディアミックス”の先駆者「角川映画」の軌跡をたどる1冊

《本屋さんの「推し本」 啓文社・三島政幸の場合》

私が書店員になったのは平成元年の暮れのことである。現在の会社の新規店舗スタッフ募集にアルバイトとして入った。

ぶっちゃけ、暇だったのである。なので、平成のほとんどを書店員として過ごしたことになる。

本は好きでよく買っていたしよく読んでいた。今日入った新刊を誰よりも早く見ることができるのは、快感だった。

書店員の視点から、様々なヒット作品、ベストセラーを見てきた。売れるのも納得なものもあれば、「なんでこれが…」と唖然とするようなヒット作もあった。

書店員として最初の数年間は、文庫を担当した。各社文庫のスリップを数え、シェアや売行きを調査しながら、売場の棚構成を考えていた。

文庫というジャンルで当時、最も賑やかだったのが、角川書店(現在のKADOKAWA)の「角川文庫」だった。

角川文庫の一般文庫だけでなく、若い読者向け(当時はまだ「ラノベ」という言葉もなかったと思う)の「スニーカー文庫」があり、やがて女性向けレーベルの「ルビー文庫」が創刊した。関連会社が出した「富士見ファンタジア文庫」も勢いがあった。電撃文庫が出るのはまだ先の話だ。

そう、私が書店員になる前から、「メディアミックス」という戦略でヒット作品を連発していたのが、角川文庫だったのだ。

そしてその中心にあったのが、角川春樹であった。

角川春樹事務所といえば、現在では「ハルキ文庫」などを出している出版社として知られている。社長はもちろん、角川春樹だ。

しかし、ある特定の世代、特に40〜50代の人にとって「角川春樹事務所」は、ある種のノスタルジーを呼び起こす固有名詞である。

薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子などのアイドル女優を起用して大ヒットを連発した、いわゆる「角川映画」を製作した映画会社の名前だからだ。こちらも角川春樹の会社だった。

中川右介『角川映画 1976-1986』(角川文庫)は、その「角川映画」が隆盛を極めていた頃の、角川春樹を中心としたドキュメンタリーである。

中川右介『角川映画 1976-1986』(角川文庫)
中川右介『角川映画 1976-1986』(角川文庫)

角川映画といえば、「メディアミックス」の先駆けとしてよく知られている。角川映画の第1弾は、『犬神家の一族』(1976年)。角川春樹の戦略は、映画公開と同時に横溝正史の原作文庫を売ること。さらに原作小説だけでなく「横溝正史フェア」と題して大きく展開することだった。横溝正史の文庫の売上は、公開後に倍になった。

『犬神家の一族』の宣伝が画期的だったのは、映画の宣伝でもあると同時に角川文庫の宣伝でもあったことだ。(中略)

全国の書店には横溝作品が山のように積まれていた。前年秋の『本陣殺人事件』公開時には25冊(※1)・500万部(※2)だったので、1年でさらに500万部が売れたことになる。

だが、これで驚いてはいけない。81年秋に『悪霊島』が公開される時点では「80冊・5000万部突破」なのだ。これはほんの始まりに過ぎなかった。

(P.59)

※1…角川文庫における、横溝正史作品の出版点数

※2…累計発行部数

もともと出版界の風雲児だった角川春樹が、映画界に殴り込みをかけた形だ。そしてほぼ同時期に、CM業界からも異色の才能が映画界に殴り込みをかけてくる。大林宣彦だ。ただ、2人が本格的にタッグを組むのは、もう少し先のことだ。

角川映画のメディアミックス戦略は続いていく。森村誠一原作の『人間の証明』は、「かあさん、ぼくのあの帽子、どうしたでしょうね」のCMフレーズが話題となり、主題歌も売れた(ただし主題歌を歌い、映画にも出演したジョー山中は大麻不法所持で逮捕されたが、それで逆に話題になった)。

『野生の証明』は、主演の高倉健と、オーディションで選ばれた新人女優・薬師丸ひろ子のコンビが大きな話題となった。

高木彬光の『白昼の死角』、大藪春彦の『野獣死すべし』、小松左京の『復活の日』、半村良の『戦国自衛隊』など、メディアミックス戦略は次々にヒットを続けていた。『魔界転生』のヒットから、山田風太郎の忍法帖ブームが再燃した。

そして、眉村卓の『ねらわれた学園』は、薬師丸ひろ子主演、松任谷由実の主題歌(「守ってあげたい」)が大きな話題となったが、これが、大林宣彦監督作品だった。

角川春樹と大林宣彦は、その前に『金田一耕助の冒険』というユーモア映画を作っているが、興行的には完全に失敗作だった。『ねらわれた学園』は、大林宣彦への評価が固まるきっかけでもあり、角川映画の「アイドル映画」路線への契機となった作品だ。

角川映画の黄金時代は1981年公開の『セーラー服と機関銃』(原作・赤川次郎)から始まる。その頃、大林宣彦は、故郷の尾道で映画を撮影していた。『転校生』だ。

のちに「尾道3部作」の第1作として今では伝説的な作品だが、男の子が女の子になって裸になる、などのストーリーが下品だとスポンサーが降りてしまい、公開は一時、路頭に迷った。出資者を求めた大林は角川にも相談したが、「うちの本ではない」と断られた。角川はメディアミックスありきだったのだ。

結果、ATGと日本テレビの提携作品として公開された。『転校生』を観た角川春樹は激賞、当時推していた新人女優・原田知世を使った映画を大林に依頼する。

「原作は、題名がいいので『時をかける少女』。舞台は尾道でお願いします。条件はこれだけです」

(P.221)

大林宣彦は、尾道の映画は『転校生』1作きりのつもりだった。だが、角川春樹の説得に折れた。

「角川春樹ひとりが観てくれれば、それでいい。観客動員なんて関係ない。それと、何十年後かに、僕も春樹さんも死んだ後、原田知世がひとりで揺り椅子に座って、少女時代を懐かしんで観てくれればいい。そういう映画にしよう、と」

(P.222)

薬師丸ひろ子主演の『探偵物語』と同時上映の、どちらかと言えばおまけ扱いだった『時をかける少女』(原作・筒井康隆)は、高く評価され、今でも繰り返しリメイクされるほどの伝説的傑作となった。

…と、ここまで、『角川映画』の内容に即して紹介してきたが、当時の映画界の流れがまるで今見てきたかのようにドラマティックに描かれている。膨大な資料を元に交通整理しながらまとめていく、ノンフィクション作家・中川右介の真骨頂である。

本書は元本(ソフトカバー文芸書)では、1986年の『彼のオートバイ、彼女の島』まで書かれていた。これも大林宣彦監督作品で、原作は片岡義男だ。角川映画の最盛期は、角川春樹と大林宣彦、そして角川文庫の時代だった。

文庫版では「その後」の歴史も簡単に触れられている。角川春樹は社内でいろいろ揉めて角川書店を去り、逮捕・投獄もされた後に、出版社「角川春樹事務所」を設立した。こういう事情を考えれば、角川春樹の歴史を書いた本が「角川文庫」から出ていることも、すごいことなのだ。

実は本書の読みどころは、もうひとつある。出版界における角川春樹の功績だ。

アメリカで大ベストセラーだったエリック・シーガルの『ラブ・ストーリィ』の翻訳出版を周囲の反対を押しのけて決行し、大ヒットさせた角川春樹は29歳で編集局長になった。「社長の息子」だから出世したのではなかった。

角川春樹の出版界最大の革命は、「文庫にカラーの表紙をつけた」ことだった。現在では当たり前だが、当時はカバーがないのが普通だったのだ。そして彼が推し進めていくのが、メディアミックスである。

本書『角川映画 1976-1986』は、出版と映画、2つの産業を見事に結びつけ、どちらのジャンルでも成功を収めた人物の記録でもあるのだ。

連載コラム:本屋さんの「推し本」

本屋さんが好き。

便利なネット書店もいいけれど、本がズラリと並ぶ、あの空間が大好き。

そんな人のために、本好きによる、本好きのための、連載をはじめました。

誰よりも本を熟知している本屋さんが、こっそり胸の内に温めている「コレ!」という一冊を紹介してもらう連載です。

あなたも「#推し本」「#推し本を言いたい」でオススメの本を教えてください。

推し本を紹介するコラムもお待ちしています!宛先:book@huffingtonpost.jp

今週紹介した本

中川右介『角川映画 1976-1986』(角川文庫)

今週の「本屋さん」

三島政幸(みしま・まさゆき)さん/啓文社 ゆめタウン呉店(広島県呉市)

どんな本屋さん?

広島は呉市、ゆめタウン内にある書店です。戦艦「大和」を生んだ街・呉の歴史と、科学技術を紹介する博物館「大和ミュージアム」が隣接しているため、「大和」「戦争」などをキーワードにした商品を豊富に取りそろえています。ファミリー層も多く、児童書も充実しているので、ぜひご家族で足を運んでください。

(企画協力:ディスカヴァー・トゥエンティワン 編集:ハフポスト日本版)

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