2019年11月06日 13時24分 JST | 更新 2019年11月07日 10時29分 JST

従業員の働きやすさを本気で考えたら、トイレ改修に行き着いた。トイレ改修に見る 三菱ケミカル の覚悟とは

化学メーカー国内最大手の三菱ケミカルが、全事業所のトイレを改修する一大プロジェクトに乗り出した。

従業員の働きかた改革を本気で考えたら、トイレの改修にたどり着いた──。

化学メーカー最大手の三菱ケミカル(本社・東京)が、全事業所のトイレを改修する一大プロジェクトに乗り出した。

対象は全国の事業所にあるトイレ数百カ所で、2019年から3年がかりで取り組むが、これは製造現場改革の最初の一歩にすぎない。

目標は、女性や高齢者ら、誰もが働きやすい職場環境へのトランスフォーメーション(構造改革)だ。その狙いを見極めるため、現場を訪ねた。 

トイレ求めて自転車で移動

本州と四国を結ぶ瀬戸大橋近くに位置する岡山県倉敷市。瀬戸内海と小高い山に挟まれた風光明媚なこの場所に、三菱ケミカル岡山事業所がある。

縦横無尽に張り巡らされた配管の中に、巨大な蒸留塔やタンクが立ち並ぶ。生活に欠かせないプラスチック製品などがここでつくられている。

事業所の中でも、実際にプラントを運転する製造現場は男性社員が圧倒的に多い。各種の化学品を製造するここオキソ課でも女性は2人だけ。そのうちの1人が今古川博恵さんだ。 

三菱ケミカル株式会社 今古川博恵・岡山事業所

大学院を修了して三菱ケミカルに入社。岡山事業所に配属され、運転計画の策定や生産管理、製造プロセスの効率化などの業務を担当している、数少ない「プラント女子」だ。

今古川さんが働く上で、少なからず悩まされてきたのがトイレ問題だ。

「入社直後にしばらく研修で通った建物には女子トイレがなく、自転車で別の建物に借りに行きました」

敷地が広いため、トイレへの往復で休憩時間が終わってしまうこともあったという。

トイレ自体も古い。昔懐かしいタイル張りの床に、和式と洋式が1つずつ。ただ苦労しているのは女性だけでなく、男性も使用人数に対してトイレの数が少ないため、大規模修繕時などの休憩時間は大混雑だという。

同社に限らず日本のメーカーは、これまで製造設備の新設やメンテナンスへの投資を優先し、職場環境の改善が取り上げられることは少なかった。

それだけに今古川さんは「これまで、事業所の付帯設備にすぎなかったトイレに着目していただけてきちんと整備されるのはうれしいし、女性だけでなく男性陣も喜んでいる」と笑顔を見せた。

きっかけは若手の声

トイレ改修に踏み切ったのは、若手社員らへのヒアリングで男女双方から「トイレが古い」「詰まる」といった意見が寄せられたためだ。

金丸光一郎執行役員人事部長は「『KAITEKI(快適)健康経営』を掲げる企業として、従業員が生活する最も身近な場所を快適にする必要がある。その象徴として第一に、トイレを改修しようと考えた」と説明する。

三菱ケミカル株式会社 金丸光一郎・執行役員人事部長

プロジェクト担当の澤木誉文氏(人事部ダイバーシティ推進グループ)は、全国300カ所以上のトイレを見て回ったが、「驚くほど古かったり、職場からかなり離れた場所に設置されていたりと、利用者に同情したくなるようなトイレもあった」と話す。

三菱ケミカル株式会社 澤木誉文・人事部ダイバーシティ推進グループ

新しいトイレは、数パターンのデザインを用意し、各現場が環境に応じて選べるようにした。屋外作業中も使いやすいよう、ヘルメットや工具を装着する安全帯を置くところがない場合には置き場を入り口に作るなど、工夫もちりばめた。

トイレ改修の先に見すえるのは、今古川さんのような女性や高齢者など、製造現場を誰でも働ける環境にすることだ。

同事業所には現在、三交替勤務(24時間を3シフトに区切り、交代で勤務する形態)に入っている女性はいない。

だが金丸氏によると、少子化に加えて、工場勤務を志望する若い男性も減る傾向にあるという。トイレに代表される職場環境の整備は、女性や高齢者含め様々な方々に入社を考えてもらう上で必須と考えた。

「将来にわたって人材の質を維持するためには、プラントで多くの女性に働いてもらうことが不可欠。遅くとも2021年春には、三交替の部署に女性を配置したい」。金丸氏はそう語る。

男性の代わりに女性、ではない考え方

岡山事業所で総務・人事を担当する金子法央グループマネジャーは、「単に男性が足りないから女性に入ってもらうという安易な話ではない」と強調する。

「現場に多様な従業員の視点を取り入れることで、細やかな改善が進み、体力に不安のある男性や高齢者も働きやすくなるはず。それは結果として安全や職場の活性化につながると思う」

同社は、60歳定年を迎えた従業員を再雇用しているが、定年後も三交替を続ける人はごくわずかだという。

女性と高齢者は多くの場合、働き盛りの男性に比べて体力・筋力ともにハンデがある。例えば現在作業中に腰につけている安全帯は、パイプレンチなどの工具を含めると何キロもの重さになる。

現在作業中に腰につけている安全帯

過酷な環境下での作業を自動化する、重い道具や機械の扱い方を見直す、器具の収納位置を低くするといった誰もが働きやすい職場改革が実現すれば、高齢者にも無理なく三交替勤務を続けてもらえる可能性が出てくる。

現在、トイレ改修と並行して危険作業の洗い出しを進めており、ロボットスーツやIT機器の導入に向けた検討も始まっている。

トイレ改修は同社にとって、ダイバーシティの好循環を生み出すための、最初の一押しというわけだ。

現場をまとめる女性班長の育成がカギ

一方で金丸氏は、「ホワイトカラーの職場に比べ、製造現場のダイバーシティ推進が難しいのは事実」と打ち明ける。

確かに岡山事業所では、重いものでも軽々と持ち運べそうな、体格のいい男性の姿が目立った。

ダイバーシティ研究の第一人者である、中央大大学院の佐藤博樹教授は「製造現場での女性・高齢者の活用は、今後の国内メーカーには欠かせない視点。トイレや職場環境の改善は、女性の採用や定着を後押しするだろう」と評価しつつ、「次のステップは、女性が仕事と家庭を両立しながらも、意欲的に仕事に取り組めるようにすることだ」と指摘する。

佐藤教授によると、管理職の部下マネジメントの実態を仔細に調査すると、基本的なスキルを身に着けた後の仕事配分に、男女差が生じやすいという。上司が女性の部下について、妊娠・出産の可能性などから「育てても現場に残ってくれるか分からない」と考え、中核的な業務を男性に割り振りがちだからだ。

佐藤教授は「女性を採用するだけでなく、男女の別なく育成することが大事。三菱ケミカルの場合は、現場をまとめる女性の班長を育てることが、当面の目標ではないか」と語った。 

社員自身も変わることが大事

これまで日本企業の中核的な人材は、フルタイム勤務で何時間でも残業可能な男性社員たちだ。だが職場に育児と仕事を両立する女性が増えた上に、男性も育児や介護を担うようになり、企業はかつての「望ましい」社員像を変える必要に迫られている。

佐藤教授は「ダイバーシティとは、企業が性別や国籍、障がいの有無を問わず、多様な人材が活躍できる仕組みを作ること。そのための取り組み一つが、働き方改革だ」と解説する。

三菱ケミカルも、ダイバーシティ推進のため「三菱ケミカルは決めました」と銘打った30項目の施策を打ち出した。

「決めました」は、社員にどのように受け取られているのだろうか。今古川さんは、社員が取り組むべき行動が具体的に示されたことに、期待を寄せる。

「『サービス残業を許さない』という項目でも『管理職は部下に週末、月曜締め切りの業務を命じない』など指示が明確で、社員の働き方を本当に変えようとしていると感じられる」

その上で、佐藤教授は次のように指摘する。

「ダイバーシティのカギを握るのは、職場のマネージャー層の意識変革だ」

子育てや介護など、様々な制約を抱えた社員に意欲的に働いてもらうには、課長などのマネージャーが、時間をかけた働き方を評価する意識を捨てる必要がある。

「マネージャーが部下1人1人の話を聴き、能力と個人の事情に応じた仕事を割り振る『傾聴』の力も求められている」と佐藤教授は話す。

「KAITEKI健康経営」や、ダイバーシティ推進を打ち出したことは、採用活動にも好影響を及ぼしているという。

金丸氏は「今の若い世代は、仕事を通じて社会に貢献したいという意識が強い。このため、自らの事業を通じて気候変動や海洋プラスチックなどの社会課題にソリューションを提供するという当社の企業理念に共感してくれる学生が多い」と話す。

佐藤教授も「KAITEKI 健康経営」の理念について「社員の職業人生だけでなく、全体的な『ライフ』を快適にできる」と評価しつつ、社員自身が「生活改革」に取り組むことが必要だという。

「社員は『働き方改革』を、ビジネススクールに通う、家族と過ごす、地元自治会の役員を引き受けるなど、生活を豊かにするチャンスだと認識してほしい。社外で複数の役割を担い、多様な価値観に接することで変化への対応力が培われ、ビジネスパーソンとしての生き残りの道も広がる」

新しい時代の「働き方」には、企業だけでなく社員自身に、キャリアと生活を組み立てる意識が求められそうだ。

(取材・文:有馬知子 撮影:関根和弘 編集:川越麻未)