BLOG
2019年09月24日 17時17分 JST | 更新 2019年09月26日 12時57分 JST

坂本龍一が呼びかけた森を守るプロジェクト。細野晴臣、高橋幸宏らも賛同した取り組みが目指すことは?

森を保全する活動を続ける一般社団法人more treesは高知県梼原町と協力し、多様な森を再生する植林プロジェクトを始めた。発起人は坂本龍一氏や細野晴臣氏、高橋幸宏氏、中沢新一氏、桑原茂一氏らそうそうたるメンバーだ。

朝日新聞社
イベントで話す坂本龍一代表(右)と水谷伸吉事務局長

世界の森林面積が減少する一方、日本では手つかずのままで荒れた森が問題になっている。

私たちの暮らしを支え、心の癒やしともなる森を未来に残すために、何ができるのか。

地域と協力し、森を保全する活動を続ける一般社団法人more treesでは、高知県梼原町と協力し、多様な森を再生する植林プロジェクトをスタート。クラウドファンディングで、多くの人への参加を呼びかけている。

朝日新聞社
高知県梼原町

坂本龍一氏が呼びかけ

2007年に音楽家の坂本龍一氏の呼びかけのもと、細野晴臣氏、高橋幸宏氏、中沢新一氏、桑原茂一氏というそうそうたるメンバーが発起人となり、100名以上の賛同人を集めて設立した一般社団法人 more trees。

森林破壊や地球温暖化に危機感を持ち、「都市と森をつなぐ」をキーワードに、精力的に活動を続けている。

事務局長として活動を取りまとめているのが水谷伸吉さんだ。more trees設立にあたり、専任スタッフを探していた坂本氏から声がかかり、団体の立ち上げから参加した。水谷さんはこう語る。

「都会に暮らしている人は特にそうですが、私たち現代人は森との物理的、精神的な距離が広がりすぎてしまっています。more treesでは森を身近に感じるライフスタイルを提案することで、 “都市と森をつなぐ”架け橋になりたいと考えています」

「森からの恵みを都市に届けて、都市からは人々の想いや対価を森に還す。そういう仕組みをつくることで、都市と森をつなぐ持続可能な環を描いていきたい」

more treesの活動は多岐にわたる。間伐や森林整備など全国11ヶ所での地域の森づくり、海外2ヶ所での植林活動などで森を保つ活動。

イベントやセミナー、ツアーなどで森と人をつないだり、才気あふれるクリエーターと職人が協働したオリジナル木製品を手がけて森から都市へモノを届けたりもする。

more treesのオリジナル木製品

さらに、経済活動によって排出された二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスを森林が吸収する量で相殺(オフセット)する「カーボン・オフセット」、被災地支援などのプロジェクトもある。

朝日新聞社
水谷伸吉さん

大企業からNPO活動へ

水谷さんが、最初に環境問題を意識したのは中学時代にさかのぼる。

「塾の理科の授業で、当時、世界的に話題になっていたオゾン層破壊、石油枯渇、温暖化による海面上昇や砂漠化といった、地球が抱える環境問題全般について学びました。率直に、このままでは地球が大変なことになる、という危機感と、それを解決することに関わる仕事につきたいという漠然とした思いを持つようになりました」

大学では環境経済を専攻し、就職先は産業機械メーカーのクボタへ。

「クボタというとトラクターなどのイメージが強いですが、僕が配属されたのは水やゴミの処理などを手がけるプラント事業部。企業として環境事業に注力する中で、営業を担当していました」

大企業という安定した場所で、自分の希望に近い環境の仕事をしながらも、心の隅にいつもあったのは、学生時代に訪れたマレーシアの荒れ果てた熱帯雨林の風景だった。

4年後、一部上場企業の正社員という立場を捨てて、インドネシアの森林保護活動を行うNPOに飛び込む。

木々が消えたボルネオの熱帯雨林

「僕の主な仕事は、ファンドレイジング。端的に言うと、支援してくれる企業を日本国内で探すことです。もちろん、現地にも年に4〜5回は足を運び、ときには数ヶ月滞在したりもしていました」

無名の小さなNPOが企業を相手に資金集めをするのは簡単ではなかったが、水谷さんの熱心な仕事ぶりに応援してくれる大手企業も登場。

名だたる企業が協賛してくれたことで、現地を含め、メンバー全員のモチベーションが一気に上がったという。

朝日新聞社
インドネシアの現場で活動する水谷さん

インドネシアで印象的だったのは、熱帯雨林で有名なボルネオの光景だ。

「熱帯雨林というと、うっそうとしたジャングルのような深い森をイメージすると思います。しかし、僕が目にしたのは、木がほとんどない草原のような場所。内陸からは、直径1メートルほどの切り出した木材を積んだトラックがガンガンやってきて、製材所に向かっていくんです」

そこで実感したのは、環境問題は確かに深刻な課題だが、一方で、そこには生活や雇用があり、より豊かな生活を求める人々がいる、ということだった。

「森を守るために開発をやめろといっても、現地の人たちに受け入れてもらうことはできません。そういう北風的な対応ではなく、経済的に代替えする手段を構築し、現地の人たちと一緒にやっていく姿勢がなによりも大切になってきます」と水谷さん。

「いくら法律や制度をつくっても、最大のプレーヤーは地域住民。コミュニティのモチベーションをいかに上げて、自然との共生を“自分ごと”として考えてもらわなくては、続きません」

朝日新聞社
インドネシア・カリマンタン島の荒廃した森林=2004年撮影

まずは高知で

インドネシアの森林保全活動にやりがいを感じる一方で、小さなNPOでの活動に限界を感じることも少なくなかった。そんなときにmore trees立ち上げの話が舞い込んでくる。

「坂本龍一という絶大な発信力のある文化人が中心となって活動することに、大きな意義があると感じました。ここでなら、社会課題の解決にダイナミックに取り組めるのではないかと、可能性と魅力を感じて立ち上げに参加することにしたんです」

当初、専任スタッフは水谷さんだけ。実績はゼロのまま、支援企業の開拓も一からひとりでスタートした。そんなmore treesが、設立初年に最初に森林保全の包括協定を結んだのが、高知県梼原町だ。

高知県は84%が森林という森林王国。愛媛県との県境、四万十川の源流域に位置する梼原町では、地元の森林産業を盛り上げようと行政が中心となり積極的な施策を展開。

建築家・隈研吾氏による地元の木材を使った木造建築、棚田のオーナー制度の導入など、さまざまなチャレンジにより地元の風景、産業を将来に残そうとしている。

「オリンピックスタジアムを手がける隈研吾さんが、2006年に手がけたのが梼原町総合庁舎。実はこれが、現在の隈氏の作風である木造建築デザインの第一号なんだそうです。町には、ほかにも隈氏デザインの木造建築がたくさんあって、建築ファンからも注目されているんですよ」

ちなみに、隈氏とmore treesも国産スギをつかった「つみき」プロジェクトなどでコラボレーションするなど、さまざまな場で協力を深めている。

その梼原町とmore treesは10年以上に渡り、地域の森を守ってきた。

朝日新聞社
隈研吾氏が手がけた「雲の上のギャラリー」

多様な森を再生

そして、今回、新たに同町と協働で「多様性のある森づくり」を開始するにあたり、クラウドファンディングA-portで『四万十川源流「多様性のある森づくり」プロジェクト』を立ち上げた。東京ドームの半分にあたる2haほどの土地に、地域色豊かな森林再生を目指したプロジェクトだ。

梼原での森づくりの目的は2つ。

伐採期を迎えた人工林の跡地に、針葉樹だけでなく広葉樹をミックスした多様な森を再生させること。もうひとつは、地元で昔は多く自生していたが、現在は殆ど見なくなった「梼(ユス)別名:イスノキ」を植えて復活させることだ。

「梼原町にとってもこうした植林プロジェクトはじめてのこと。外部の人に梼原町のことを知ってもらい、地域に足を運んでもらうことで、多くの協力を仰ぎたいと思います」

朝日新聞社
梼の木は大木になるまで何百年もの時間を要する

50年後の豊かな森を生み出すために

日本は豊かな森に恵まれた国だ。しかし、戦後のスギ中心の植林政策で、国土の12%を占めるほどスギに偏ってしまった。

「本来、日本の森には500種類以上の樹木が群生しているもの。多様な種が調和した森は、豊かなだけでなく自然災害にも強い。木材以外にもさまざまな経済効果を期待でき、可能性が広がるはずです」

そう語る水谷さんは、梼原町で行う「多様性のある森づくり」プロジェクトが、ほかの地域にも波及し広がっていくことを目指している。

「木の成長には長い時間がかかります。現在の森の姿は、50年前の人たちの想いと行為の結果ともいえるでしょう。そして、今を生きる私たちが目指すのは、50年後に日本のあちこちに多様な森が生まれていること。そのひとつの取り組みとして、ぜひ我々のクラウドファンディングに賛同してもらえたら、と願っています」

今回のクラウドファンディングでは11月7日まで支援を募っている。詳細はこちら

(取材・執筆=工藤千秋)