アポロ計画の立役者でスペースシャトルの父、ジョージ・ミューラー氏死去、97歳

ミューラー氏は地球と宇宙を往復し再利用できる宇宙船の研究を開始させました。

NASA でアポロ計画を成功に導き、スペースシャトルの生みの親としても知られるジョージ・ミューラー氏が亡くなりました。享年97。

[Image credit: Keystone/Hulton Archive/Getty Images]

ジョージ・ミューラー氏は1918年7月16日、ミズーリ州セントルイスの電気技師の家に生まれました。SF 小説を愛し、航空機のエンジニアを目指したものの途中で機械工学、そして電気工学へと専攻を変えました。

NASA が1961年に立ち上げたアポロ計画は開始後しばらくの間、月へ飛行士を送り込むための技術的な問題が山積し、計画そのものが混沌としていました。状況を打開するため当時の NASA 長官ジェイムズ・E・ウェッブが白羽の矢を立てたのがジョージ・ミューラー氏でした。

ベル研究所の研究員~オハイオ州立大学の教職を経て Space Technology Laboratories(STL)に勤めていたミューラー氏はアポロ計画に合流する際、それまで NASA で常識的に使われていたステップバイステップ方式のロケット開発手法を改めることを提案します。

ミューラー氏はフルセットのロケットシステムを開発建造し、まとめて飛行テストを実施するオールアップテスト手法をを推進。これにより開発期間の短縮が可能となり、目標としていた1969年までの有人月面着陸を成功させました。この開発手法は後の宇宙開発のスタンダードとなっています。また現在のものとはまったく異なるものの、当時ようやく使われ始めたばかりのコンピューターを宇宙開発の現場に導入し広めたのもミューラー氏だったとされます。

アポロを打ち上げるサターンV型ロケットの説明をするミューラー氏

[Image credit: NASA]

ミューラー氏はさらに1967~1968年にかけて、地球と宇宙を往復し再利用できる宇宙船の研究を開始させます。そして NASA を退く1969年にニクソン大統領によって正式な計画として承認されたのが、後のスペースシャトルでした。スペースシャトルは合計6機が建造され、1981年から2011年にかけてエンタープライズを除く5機が135回のフライトを実施しました。

ミューラー氏が NASA にいたのはほんの6年間でしかありません。またその名も有名な科学者や宇宙飛行士に比べると一般にはあまり知られていないかもしれません。しかし、彼なくしては有人月面探査も、スペースシャトルもなかったかもしれず、技術に対する先見性と膨大な問題を片付けるマネージメント能力でNASAを改革した功績は計り知れません。

ミューラー氏は NASA を離れたあと、いくつかの宇宙開発企業や国際宇宙アカデミー(IAA)、国際宇宙連盟(IAF)などで活躍しました。

ちなみに現在、NASA は2030年を目標に火星への有人飛行を計画中。その意味ではミューラー氏が NASA に招かれたアポロ計画初期の頃とよく似た状況かもしれません。一方で Google Lunar XPRIZE で各国の民間チームが月面へのローバー投入を競い、民間の宇宙開発企業がロケットの再利用に向けた研究を進めるなど、ミューラー氏の活躍した時代から新しい宇宙開発の時代へと移り変わりを見せています。

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(2015年10月19日「Engadget日本版」より転載)

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