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2019年12月05日 14時46分 JST

中村哲医師、銃撃されたアフガニスタンで願っていたこと。遺した言葉から生涯を振り返る

この仕事が新たな世界に通ずることを祈り、真っ白に砕け散るクナール河の、はつらつたる清流を胸に、来たる年も力を尽くしたい、と語っていた

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亡くなった中村哲さん

長年にわたりアフガニスタンで医療や灌漑(かんがい)整備などを支援していた「ペシャワール会」現地代表で医師の中村哲さんが12月4日、アフガニスタンで車で移動中に銃撃された。中村さんと、アフガン人運転手や護衛ら計6人が死亡した。

地元の人が何を求めているのか、そのためにできることを、現地に根を下ろして理解し、現地の人の目線で支援を続けてきた。現地の人々から受け入れられ、その信頼に守られながらの活動だった。

 

■医師がなぜ井戸を
中村さんの合言葉は『100の診療所より1本の用水路』だった。

活動のそもそものきっかけは、1978年、医師として同行したネパールへの山岳会の遠征隊。虫好きだった中村さんが蝶に惹かれて参加したのだった。ところが、医師がいると知った現地の人が中村さんを頼りにした。蝶が誘った縁だった。中村さんは1983年にペシャワール会を設立。パキスタンやアフガニスタンで無償で医療援助を始めた。ところが、2000年に活動の転換を迫られる。この地域を襲った大かんばつを目の当たりにし、「まずは食べられるようにすること」の必要性を感じた。中村さんは医師として治療に関わるかたわら、命をつなぐ「水」を確保しようと取り組み始めた。

そこで参考にしたのは、資金も道具も限られていた江戸時代の治水技術。自ら工具を握って土を堀り、農地を作った。伝統的な工法は、現地の人が自力で管理できる利点もあった。

中村さんは生前、朝日新聞のインタビューに次のように答えている。「道路も通信網も、学校も女性の権利拡大も、大切な支援でしょう。でもその前に、まずは食うことです。彼らの唯一にして最大の望みは『故郷で家族と毎日3度のメシを食べる』です。国民の8割が農民です。農業が復活すれば外国軍や武装勢力に兵士として雇われる必要もなく、平和が戻る。『衣食足りて礼節を知る』です」水がもたらす豊かさが人々の平穏を導き、ひいては大きな意味の平和に繋がると説いた。

 

■治安悪化の中でも活動「敵味方を超えて」

中村さんは、自身が率いるNGO「ペシャワール会」の会報(2019年9月)にこんな言葉を寄せていた。

「全ての者が和し、よく生きるためにこそ人権があるとすれば、男女差を超え、善人や悪人、敵味方さえ超え、人に与えられた恵みと倫理の普遍性を、我々は訴え続ける。」治安が悪化するアフガニスタンで、護衛を置くなどして警戒しながら活動にあたる気概を表していた。

事件当日の4日、中村さんは灌漑事業の現場に向かうため、車で移動途中だった。ペシャワール会は同日の会見で、移動中が一番危険なため、同じ道を通らないように気をつけたり、警備員を付けたりしていたことを明らかにしている。


現地での活動を中村さんは著作やペシャワール会報で発信していた。

 現地での活動を著作やペシャワール会報で発信していた中村さん。著書『カラー版 アフガニスタンで考える』の出版元・岩波書店はTwitterで追悼した上で、中村さんの言葉を紹介している。

「アフガニスタンで事業をおこなうことによって、少なくとも私は世界中を席巻している迷信から自由でいられるのです。一つには、お金さえあれば、幸せになれる、経済さえ豊かであれば幸せになれる、というものです」「もう一つは、武力があれば、軍事力があれば自分の身を守れるという迷信です。武力が安全をもたらすものかどうか、丸腰でおこなう用水路建設での私たちの経験が教えてくれます。このような実体験によって、私たちは幸いにも、この強力な迷信から自由です」と中村さんは『カラー版 アフガニスタンで考える』(岩波書店 Twitterより)で語っていた。

 

中村さんは2019年4日付のペシャワール会報にこう綴っていたという。

「この仕事が新たな世界に通ずることを祈り、真っ白に砕け散るクナール河の、はつらつたる清流を胸に、来たる年も力を尽くしたいと思います」

ご冥福をお祈りします。

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2008年8月、アフガニスタンで殺害されたペシャワール会メンバーの伊藤和也さん(当時31)のアフガニスタン政府による追悼会に参加する中村哲さん(右)