ネットで政治を語ることに怖じ気づく? 「表現の自由」をどこまで信じたら良いのかを憲法学者に聞いた

京都大の曽我部真裕教授に聞くヘイトスピーチ規制と憲法
京都大学の曽我部真裕教授。
京都大学の曽我部真裕教授。
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7月21日に投開票される参議院選挙。選挙についてネットで調べようと思ってみてみると、SNSにはデマやヘイトスピーチも目に入ってくる。激しい言葉がスマホの画面を埋め尽くし、人の心を蝕んでいく。

きちんとした情報も、ヘイトスピーチも、政党の広告もごちゃまぜのネット空間。「表現の自由」はすばらしいのだが、自由過ぎてネットで政治を語るのが怖くなる時がある。

この言葉の意味を根本的に考えたいと思い、京都大学の曽我部真裕教授(憲法・情報法)を訪ねた。

「表現の自由」は大事だけど…

JR京都駅の北東5キロにある京都大の吉田キャンパス。周りの道沿いなどには、社会風刺や学生たちの活動のアピールを書く「立て看板(タテカン)」が並んでいるイメージが強かったが、スッキリしている。

京都市がタテカンを屋外広告物にあたる「条例違反」だとしたため、大学側が2018年に撤去を決めたからだろうか。

曽我部教授の研究室はこのキャンパス内の建物の3階にあった。

まず質問をしたのは、ヘイトスピーチ規制。「タテカン」ではないが、ガヤガヤしていても、自由に誰でも発言できる社会の方がいい。だが、特定の人種や集団を侮辱して差別をする発言は、さすがに規制した方が良いのでは?

SOPA Images via Getty Images

実は、憲法学者の間では、ヘイトスピーチ規制に消極的な見解が根強い印象がある。アメリカや日本では、表現の自由は手厚い保護を受ける。好きにモノが言えるのは民主政治では大事だからだ。

ヘイトスピーチを規制してしまうと、他の問題も起こる可能性がある。

トランプ大統領がメディアを批判するとき「お前らはフェイクニュースだ!」と言っているのと同じような構図で、権力者が「ヘイトスピーチ」という言葉を自分たちの都合の良いように使って、言論を封じるかもしれないからだ。

さらに難しいのは、ヘイトスピーチが、誰に向かって発信されているのか分かりにくい点だ。

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曽我部教授はこう言う。

「たとえば『●●人(●●は国や集団の属性など)は、日本から出て行け』『●●人は死ね』などとネットに書き込まれた場合、特定のある個人を指しているわけではありません。そのため、個人の権利侵害を認めることはできず、裁判的な救済は認められないのです」

「激しい言葉を使っていたとしても、政党を批判したり、隣国の外交方針を論評したりしている『政治的な議論』と言うこともできる。みんなが上手く政治のことを話せるわけでない。汚い言葉だから価値がないとも言い切れないのです」

2016年、「保育園おちた日本死ね!!!」という匿名ブログによって、待機児童のことを社会で考えるきっかけになった。これはヘイトスピーチではないが、「激しい言葉」によって、みんなが目を覚ますこともあるのはその通りだ。

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「コンビニの棚に悪いジュースが残る」現象

表現の自由が大切にされる根拠として17世紀のジョン・ミルトンや19世紀のJ.S.ミルなどの考えをもとにした「思想の自由市場論」がある。

たとえば商品の「市場」では、コンビニで売っているジュースがまずかったり、健康に悪かったりしたら、新しい商品に置き換えられる。思想についても同じように、ヘイトスピーチやデマがあれば反論が寄せられ、劣悪品がマーケット(市場)から無くなるように次第に消えていく、というわけだ。

曽我部教授は「この点は学生と話していて気づくことがあります」と言い、「思想の自由市場」がある程度機能している例を挙げる。

「YouTubeなどのヘイトデモの動画なども上がっていますが、それを見て、差別的な考えが可視化される。逆説的ですが、社会にはこのようなひどい差別もあることを初めて知る学生もいるぐらいです」

「ヘイトスピーチやデマなどをネットで訂正や反論する人が出てきて、次第に真実に近づいていく。議論を追うことで、『あ、この考えは間違っているんだ』『こっちが正しいんだ』と社会として確認することができます。押さえつけて見えなくすればいい、と単純に考えられない点がここにあります」

曽我部真裕教授
曽我部真裕教授
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■ネットは自然とうまく行く?

たしかに、そうだ。でも、BuzzFeedNewsが調べたところでは、アメリカの大統領選では、Facebook上で、主要メディアのニュースよりも、フェイクニュースの方が高いエンゲージメントがあった。商品表示にウソがあるジュースの方がコンビニの棚に残って好まれているようなものだ。

自由な経済活動に任せていればうまくいく「神の見えざる手」でもあるまいし、ネットは本当に自然「良い方向」にいくのだろうか?

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「そこがいま議論されているところです。『思想の自由市場論』は、人間が理性的であり、ロジカルな反論が起こるという前提に立っています。ただ、人間は必ずしもそうではない。虚偽を訂正する人が出て、社会が差別を学ぶというメリットを上回るデメリットがあるようなときに、規制した方がいい場合も個別にはあります」

表現の自由を守りつつ、社会として個別のケースに毅然として対応する段階に来ているのだろう。たとえば、今回のような選挙。曽我部教授は言う。

「選挙の期間は短い。悪い情報が淘汰される前に投開票日当日を迎えてしまい、影響を与えてしまう。公職選挙法もそういうことを考えていますが、今後も憲法改正国民投票などが行われる場合、考えるべきテーマです」

「さらにいうと、『思想の自由市場論』で暗黙のうちに想定されていたのは、マスメディアや書籍などスクリーニングされた上での言論だったはずです。SNSのようなフィルターがかかっていない議論は考えられていなかった」

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削除された少女の写真

だからこそ、TwitterやFacebookなど、ヘイトスピーチが拡散される「プラットフォーム」側の責任も考えるべきではないか。

「安心な空間をつくる利用規約づくりが求められています。ただ、『何がOKで、何がダメなのか』の判断を完全に委ねてしまうと、投稿を萎縮させる」。

「Facebookは、ベトナム戦争時の裸の少女の写真(戦争のひどさを世界に伝えてピュリツァー賞を受賞した「ナパーム弾の少女」の写真)を利用規約に従って削除していたと報道されました。投稿が削除されたら、異議申し立てができて、説明を受けられることが必要です」

「ヨーロッパでは、違法性があるコンテンツに関して対策を義務づけるという法律の整備が進んでいます。たとえばドイツでは、刑法に触れるコンテンツをプラットフォームが削除する体制づくりを求め、一定の効果をあげているようです」

また、曽我部教授は「マイノリティ集住地域で、街宣のようなリアルな形でヘイトスピーチが行われた場合、それを規制しても違憲判断は受けないのではないか」と問題提起をする。

そうした地域で、拡声器を使ってヘイトスピーチを発信すれば、一人一人の住民にとっては「直接言われたこと」に等しいとも考えられる。「ヘイト」の定義が必要だが、「リアルな街宣活動として目の前に来ることの脅威は深刻」だという。

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そもそも「日本型排外主義」の問題はどこにあるのか

曽我部教授は話の途中で、樋口直人・徳島大准教授の著書「日本型排外主義」(名古屋大学出版会)も挙げた。ヨーロッパの極右運動は最近増えた移民を標的とする。一方、日本は国内でずっと生活している在日コリアンがヘイトスピーチの対象になっていることを分析した本だ。

ある30代男性が、サッカーの韓国選手の「ラフプレイ」を見聞きしたあとに、ネットで情報収集しているうちにスポーツとは本来関係がない「排外主義運動」を知って関心を持つようになる——。

樋口准教授はこうした様々な人たちが、排外主義に関わる「ルート」を分析しつつ、ヘイトスピーチの背後にあるネットの言論の構造やアジア諸国との歴史問題にも目をむけるよう読者をうながす。

写真はイメージ
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Alex Livesey - FIFA via Getty Images

「ヘイトスピーチにはそれぞれ背景がある。言葉の規制を考えることも大事だが、単なる『対症療法』にならないよう注意しないといけません」。曽我部教授は、この本も引きながら、そう語った。

「ヘイトスピーチは『結果』だと思っています。戦後問題をきちんと解決していないことに根本的原因があるでしょうし、教育を通して日本とアジアの歴史や人権について伝えられていない可能性もあります」。

「今後は、様々な外国から来た人々が日本でも増えると予想されるため、いまヨーロッパで起きている新しいタイプの排外主義が出てくる恐れがあります。ヘイトスピーチについては、表現の自由との関係を慎重に検討しながら、直接的な被害が大きいものに関して対処しつつ、その背後の問題の解決に真剣に取り組まないといけないのではないでしょうか」

bigtunaonline via Getty Images

■TwitterやFacebookも「規制」に乗り出している

ネットも変わってきている。アメリカのTwitter社は、ヘイトスピーチ対策として、「特定の宗教グループ」を非人間的に扱う投稿を削除する方針を7月9日に明らかにした。フランスの国民議会(下院)もFacebookやGoogleなどに、憎しみや差別をあおる投稿の削除を義務づける法案を賛成多数で可決した。

自治体も動く。大阪市が2016年に、被害者の申し立てをもとに有識者らがヘイトスピーチにあたると判断すれば、発信者の氏名を公表する条例を施行。川崎市はヘイトスピーチを規制するため、違反者への刑事罰を盛り込んだ条例の素案を2019年6月、市議会に提示した。

政治家ですら、ヘイトスピーチと思われる言葉をネットで口にする時代だ。ネット選挙が解禁されたのは2013年。自由に誰もが政治について話せる場を手に入れたはずなのに、荒れているネット空間を見ると「こんなはずではなかった」という気持ちになってしまう。

憲法など大きな枠組みでは「表現の自由」を最大限守りつつ(信じつつ)、地方自治体やネット事業者レベルで個別の試行錯誤をしていくことで、社会として「ヘイト」に立ち向かっていく強いメッセージの発信が求められている。

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