北朝鮮のリオ五輪(上)「サムスン携帯電話」の波紋

北朝鮮はリオ五輪には重量挙げ、柔道、卓球、レスリング、射撃、アーチェリーなど9種目に31人の選手が参加した。少人数だが金メダル候補も多く、少数精鋭とみられた。

北朝鮮はリオ五輪には重量挙げ、柔道、卓球、レスリング、射撃、アーチェリーなど9種目に31人の選手が参加した。少人数だが金メダル候補も多く、少数精鋭とみられた。

北朝鮮は2012年のロンドン五輪では金メダル4、銅メダル2の好成績を挙げた。金メダル4個は1992年のバルセロナ五輪と並ぶ過去最多で、政権がスタートして間もない金正恩(キム・ジョンウン)政権の国威発揚に貢献した。

金正恩政権はスポーツ重視政策を展開しており、今回のリオ五輪にも大きな期待を寄せていることは間違いない。

だが、大会が始まると最も金メダルに近いといわれた重量挙げ56キロ級のオム・ユンチョル選手(25)が銀メダルに終わり、同じく金メダルが期待された女子25メートル・ピストルのチョ・ヨンスク(28)が7位に終わり、北朝鮮チームを重い雰囲気が包んだ。

まさかの銀メダルに「私は英雄ではない」

重量挙げ56キロ級のオム・ユンチョル選手は2012年ロンドン五輪ではオリンピック記録で金メダル獲得。2014年の韓国・仁川アジア大会では世界新記録を出し金メダル。世界選手権では2013年から2015年まで3連覇し、2015年には世界新記録を更新した。今回のリオ五輪でも金メダル確実とみられていた。

その期待もあってか、8月7日に行われた重量挙げ56キロ級の競技には、金正恩労働党委員長の側近で朝鮮国家体育指導委員長も務める崔龍海(チェ・リョンヘ)党副委員長が応援に駆けつけた。

オム選手はスナッチ134キロ、ジャーク169キロでトータル303キロを記録した。ロンドン五輪の際はジャークで当時の世界記録に並ぶ168キロで、トータル293キロだったから決して悪い記録ではない。

しかし、中国の龍清泉選手がスナッチ137キロ、ジャーク170キロ、トータル307キロの世界新記録を出し、オム選手の五輪連覇の夢は崩れた。

韓国の朝鮮日報によると、オム選手は競技後の会見で、「ロンドン五輪で金メダルを獲得し、北朝鮮では重量挙げの英雄といわれているそうだが、本当に英雄扱いされているのか」という質問に「金メダルを獲得できなかったので、私は人民の英雄ではない」と答えたという。朝鮮日報はオム選手を「銀メダルに終わった罪人」だったと報じた。

またAFP通信によると、オム選手はロンドン五輪で優勝した際には「私が上達し、金メダルを獲得できたのは、偉大なる指導者金正日(キム・ジョンイル)氏と偉大なる同志金正恩氏の温かい愛のおかげです」と両指導者への感謝を述べた。

しかし、銀メダルに終わった今回は、故金正日総書記と金正恩党委員長に謝罪したいと語った。さらに亡くなった金正日総書記に対して「あのお方は永遠に私を鼓舞し続けるでしょう。そして、金メダルで報いることができなかったことを謝罪します」とし「次の機会に戻ってきたいです。そして再び競技に参加し、また金メダルで感謝を表したいです」と語ったという。

応援に来ていた崔龍海副委員長は中国の龍清泉選手の優勝が決まると表彰式も見ずに競技場を立ち去った。表彰式では北朝鮮の張雄(チャン・ウン)国際オリンピック委員会(IOC)委員が目を赤く腫らしたオム選手の胸に銀メダルを掛けた。

女子重量挙げ2連覇でようやく平壌は歓喜

北朝鮮チームは意気消沈の重い雰囲気に包まれていたが、8月12日、重量挙げ女子75キロ級でリム・ジョンシム選手(23)がロンドン五輪に続いて金メダルを獲得し、ようやく喜びに包まれた。リム・ジョンシム選手はスナッチ121キロ、ジャーク153キロのトータル274キロを挙げ、2位に16キロの大差を付けて優勝した。

北朝鮮で2個の金メダル獲得者は、1992年のバルセロナ五輪と1996年のアトランタ五輪で、レスリング男子フリースタイル48キロ級2連覇を成し遂げたキム・イル選手以来2人目で、女子では初めて。

表彰台に上ったリム選手は、北朝鮮の国歌が流れると感極まり、涙をこらえきれなかった。リム選手はロンドン五輪では69キロ級で金メダルを獲得したが、今回は75キロ級に階級を変えての快挙だった。また、2015年の世界選手権で骨盤外傷を負うなどのけがを乗り越えての金メダルだった。

共同通信によると、リム選手は「金メダルへの過程は簡単なものではなかった。この栄誉を国民と、偉大な金正恩元帥と分かち合うことを夢見ていた。幸せに満たされている」と喜びを語った。

また、母親の李英希(リ・ヨンヒ)さん(50)も14日、平壌で共同通信のインタビューに応じ「どんなにうれしいか言葉では言い表せない。全国の国民が喜んでいるだろうし、元帥様(金正恩朝鮮労働党委員長)も喜んでいらっしゃると思うと親として誇りを感じる」と話した。

北朝鮮が待ちに待った金メダル第1号だけに、北朝鮮は平壌時間の13日未明に行われたリム選手の競技を同日夜に録画放送した。共同通信によると、平壌駅前でも大型スクリーンで放送され、市民が歓声を上げた。

石川・福原破ったキム・ソンイ選手

卓球女子シングルスでは北朝鮮のキム・ソンイ選手が日本の石川佳純、福原愛両選手を破り、銅メダルを取った。世界ランキング50位のキムだったが、同6位の石川、同8位の福原を破った。北朝鮮の選手は国際試合への出場の機会が少なく、実力はランキング以上だろうが、日本勢は思わぬ伏兵に敗れた。

日本は今年の2、3月にマレーシアのクアラルンプールで行われた世界選手権で2度北朝鮮と対戦した。いずれも伊藤美誠選手がキム選手と対戦していた。伊藤選手は、最初はキム選手に3-1で勝利したが、2度目はキム選手が3-0でストレート勝ちしている。

相手の攻撃をカットして守り抜くカット主戦型のキムだが、機会を見てはフォアを打ち込む積極性も見せた。福原選手は北朝鮮のビデオを研究したり、対戦経験のある伊藤選手から話も聞いたりしていたようだが、実際に対戦してみると予想以上の実力だったようだ。秘密のベールに包まれた北朝鮮だけに、日本側には十分な情報がなかったともいえる。

白井を下して金メダルのリ・セグァン

8月15日に行われた体操種目別跳馬では、日本メディアは銅メダルを取った白井健三選手を大きく報じたが、跳馬の金メダリストは北朝鮮のリ・セグァン選手(31)だった。北朝鮮にとっては2個目の金メダルだった。

リ・セグァン選手は競技前から「金メダルを取る自信を持ってブラジルへ来た。祖国から受けた愛情に応えるために金メダルを取りたい」と語っていたが、それを現実にした。

跳馬は異なった種類の跳躍2本の平均得点で決まるが、リ・セグァン選手は1本目は15.616、2本目は15.766で、平均15.691だった。

白井選手は1本目が15.833点。2本目が15.066点で15.449点だった。白井選手は1本目はDスコア(演技価値点)「6.4」の新技「伸身ユルチェンコ3回半ひねり」を決めたが、2本目の「ドリッグス」の価値点は「5.6」だった。

リ・セグァンは自分の名前の付いた価値点「6.4」の「リ・セグァン2」と「リ・セグァン」を2本とも決めた。難易度の高い技を2本決めたことが金メダルと銅メダルの差になった。

朝鮮総連の機関紙「朝鮮新報」によると、リ・セグァン選手は競技後に「朝鮮の軍隊と人民に大きな勝利をもたらし、金正恩元帥へ勝利の報告、栄光の報告をすることができてうれしい」と語った。

さらに「金メダルは私にとっては何でもない。金メダルは祖国へ捧げる贈り物だ。この金メダルは朝鮮の喜びだ。祖国へ勝利感と勇気を与えることが出来るだろうと考える」と述べた。

リ・セグァン選手は2014、15年の世界選手権の跳馬を2連覇しているが五輪は初めてだった。金メダルの有力候補とみられていたが、重圧をはねのけて金メダルを獲得した。

北朝鮮選手はサムスンの携帯電話もらえず?

米政府系放送局、ラジオ自由アジア(RFA)は8月8日に、2016年リオ五輪の公式スポンサーであるサムスン電子が、五輪に参加した選手全員に同社のスマートフォンを贈ったが、北朝鮮の選手たちは受け取っていないと報じた。

サムスン電子は2014年のソチ冬期五輪から同社製の最新スマートフォンを選手たちとIOC委員にプレゼントしてきたが、リオ五輪では1万2500台のギャラクシーS7のスマートフォンを準備した。

スマートフォンは開幕式に持って出られるように各選手が選手村に入村した際に渡したという。しかし、開幕式に参加した北朝鮮選手団でスマートフォンを手にした選手はいなかった。

RFAは、選手村に精通した消息筋の話として、北朝鮮のオリンピック委員会が選手たちにスマートフォンを渡していないと報じた。

このニュースはネットなどで一気に広がった。選手村のネット環境がどうなっているか不明だが、北朝鮮の選手が韓国のサイトなどに自由にアクセスできる状態であれば、北朝鮮当局がスマートフォンを選手に渡さないのは十分あり得ることだ。

このスマートフォンはリオでは自由に使えるかもしれないが、北朝鮮へ持って帰っても、写真は撮れても、ネットへの接続はできないだろう。

しかし、RFAは8月13日にリオ五輪の女子卓球団体戦を参観しに来た李宗茂(リ・ジョンム)体育相にインタビューし、上記報道を少し軌道修正した。

李体育相は「選手たちは電話機を受け取りましたか?」という質問に「ええ、ええ、みんな持って行って使っています」と答え、選手たちにスマートフォンを渡したと答えた。その一方で「なぜ、電話機の話ばかりするのか」と不快感を示したという。

一方、RFAはアーチェリーのカン・ウンジュ選手が卓球競技を参観に来て、サムスンのスマートフォンをポケットから出して写真を撮る姿が確認されたと報じた。ただ、他の選手がサムスンのスマートフォンを使うのは確認されていないとした。

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平井久志

ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。

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(2016年8月17日「新潮社フォーサイト」より転載)

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