北朝鮮秘密警察は信頼できるか:「ミスターX」も保衛部副部長だった

日本人の拉致被害者や行方不明者らの安否に関する北朝鮮の「特別調査委員会」。金正恩(キム・ジョンウン)政権がこの委員会を発足させたことについて、安倍政権もメディアも高く評価し、拉致問題解決への期待が従来になく強まっているように見える。
Reuters

日本人の拉致被害者や行方不明者らの安否に関する北朝鮮の「特別調査委員会」。金正恩(キム・ジョンウン)政権がこの委員会を発足させたことについて、安倍政権もメディアも高く評価し、拉致問題解決への期待が従来になく強まっているように見える。

安倍晋三首相は7月3日、対北朝鮮独自経済制裁の一部解除の理由について、「国防委員会、国家安全保衛部という国家的な決断と意思決定ができる組織が前面に出て、かつてない態勢ができたと判断した」と述べた。これを受けた解説記事では「秘密警察関与を評価」(読売新聞)の大見出しも見られた。

だが、北朝鮮の秘密警察による調査は本当に信頼に足るものなのか、公開情報を基に検討を加えてみたい。

北朝鮮側の説明によると、調査委は北朝鮮体制内の全機関を調査できる特別な権限を持ち、総勢30人程度で構成。拉致被害者の安否情報を握るとされる秘密警察組織「国家安全保衛部」副部長を兼務する徐大河 (ソ・デハ)国防委員会安全担当参事を委員長に、(1)拉致被害者(2)行方不明者(3)日本人遺骨問題(4)残留日本人・日本人配偶者――の4つの分科会も設置。拉致被害者分科会の責任者は姜成男 (カン・ソンナム)国家安全保衛部局長が務める。だが、国家安全保衛部は、まさに北朝鮮の秘密警察に当たるのだ。

■デタラメな調査を防ぐ手立てはあるのか

調査は、拉致被害者の情報管理を担当しているといわれる国家安全保衛部が中心になって行うことになったという。徐氏の上司、金元弘(キム・ウォンホン)国家安全保衛部長は金正恩第1書記の最側近の1人とされ、徐氏が特別調査委トップに就いたことは、金正恩氏の「本気度」を示す、と韓国の専門家らも評価していると伝えられている。

しかし、国家安全保衛部が拉致被害者の調査を担当したのは今回が初めてではない。

実は2001-02年当時、外務省の田中均アジア大洋州局長(当時)との秘密協議を続けた「ミスターX」と呼ばれた北朝鮮の軍人、柳京(リュ・ギョン)上将も今回の徐委員長と同じ国家安全保衛部副部長だった。2002年9月17日の小泉訪朝は田中氏と柳上将の協議で実現にこぎ着けた。

翌10月に拉致被害者5人の帰国が実現し、2004年5月以降8人の被害者家族も帰国できた。だが、その後横田めぐみさんの偽遺骨やデタラメ死亡報告書などの問題が表面化した。柳上将は国家安全保衛部の組織を使って、こうしたひどい工作をしたとみていいだろう。

首脳会談後も日朝関係を担当した柳上将は、2011年1月に死亡したと伝えられる。韓国メディアでは「粛清説」「スパイ容疑の処刑説」が報じられた。柳上将は故金正日(キム・ジョンイル)総書記と近く、金正恩後継体制を支える1人とも目されていたが、粛清された。理由は不明だ。

今度、柳上将に代わって徐委員長が登場したが、2人の職責は全く同じ。調査も同じく国家安全保衛部が行う。今度の調査で新しい点は、調査委の態勢が4分科会に分かれ、各責任者の氏名が発表されて透明性がやや増したということくらいだろう。このような状況で、「かつてない態勢」と言えるのかどうか、発表資料だけでは判断しにくい。

■労働党の情報機関にも調査のメスを

北朝鮮の宋日昊(ソン・イルホ)朝日国交正常化交渉担当大使は、特別調査委について「全ての機関を調査できる立場にある国家安全保衛部」の関係者が多数含まれているので、大きな権限があると強調したという。しかし、政府を指導する立場にある朝鮮労働党の情報機関や朝鮮人民軍の情報機関にまで手を出すことはできるのだろうか。

韓国情報機関によると、北朝鮮でテロや拉致を担当する特殊機関としては5機関の存在が指摘されてきた。朝鮮労働党傘下の「作戦部」「対外連絡部」「35号室」「統一戦線部」の4機関と人民武力部に所属する「偵察局」だ。各機関に明確な任務の区別はなく、各機関を競い合わせて、工作員育成や韓国・日本への潜入、テロ、拉致、情報収集などを行ってきたのが現実らしい。工作員の訓練や教育のため北朝鮮国内に10カ所の連絡所があり、対日工作基地として日本海側の清津連絡所が使われていた。

実は北朝鮮は、日本人拉致事件に関する2002年9月の日本政府現地調査に対して、事件の責任者に刑事責任を負わせた、と明らかにしている。それによると、1998年に事件の責任者である軍人出身で35号室の元副部長チャン・ボンリムを死刑、労働党対外連絡部副部長を務めていたキム・ソンチョルを15年の刑に処した。実際には2人は拉致事件ではなく、同時期の大規模な粛清の一環として別の事件で処罰を受けた可能性が高いようだ。

35号室は、前身が労働党の対外情報調査部。原敕晁さん拉致事件で逮捕状が出ている辛光洙(シン・グァンス)容疑者や、曽我ひとみさん拉致にかかわった容疑で国際手配されたキム・ミョンスク容疑者、さらに1987年大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員も所属していた。金元工作員の日本語教育係だった、拉致被害者・田口八重子さんも同調査部に所属させられていた可能性があるようだ。

対外情報調査部は1998年に35号室に改組、2009年には労働党作戦部、朝鮮人民軍の偵察局と合併して、「偵察総局」となった、と伝えられている。対外情報調査部時代の記録などはどうなったか、その行方も気になる。

いずれにしても日本政府は、これらの組織改編を経た労働党系および人民軍系の組織の調査対象にも切り込むよう、北朝鮮側に約束させなければならない。

北朝鮮側の再調査について、拉致被害者の「家族会」「救う会」は冷静で、期待論は高まっていないようだ。その心情は、過去の経緯からして十分理解できる。

■秘密警察は金第1書記に絶対忠誠

また、国家安全保衛部自体が拉致事件に関与したとの情報もこれまでに報道されている。元国家安全保衛部要員が北朝鮮国内で拉致被害者を目撃したとの情報も多々伝えられている。国家安全保衛部の元部員で脱北した者の証言によると、保衛部の地域担当は情報員50人を抱え、17歳以上の1000人を監視している。情報員1人が20人を監視する計算だ。

そもそも秘密警察とは、情報を客観的に評価する組織ではない。古くはナチのゲシュタポ(文字通り「国家秘密警察」)や旧ソ連のKGB(国家保安委員会)は人権無視の恐怖政治のシンボルだった。北朝鮮のような国でも、金第1書記に絶対的な忠誠を誓う秘密警察が国民末端の些細なことまで監視して、体制の維持を図っている。今回、秘密警察による調査を肯定的に受け止める識者もいて、驚いた。

結局は、拉致問題調査も金正恩第1書記の意向に左右される。「圧力」から「対話」に大きく舵を切った安倍政権の慎重かつ厳格な対応が望まれる。

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春名幹男

1946年京都市生れ。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒業。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授を経て、現在、早稲田大学客員教授。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『スパイはなんでも知っている』(新潮社)などがある。

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(2014年7月8日フォーサイトより転載)

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