新しもの好きのお爺ちゃんになりたい

歳をとればとるほど、かっこいいなと思うのは、新しいものが好きで、そういうものをいつもワクワク楽しんでいる人たちだ。

若いうちはわからず、歳をとれば、誰でもわかる真理のひとつに、『◯歳は、お爺ちゃんでもおばあちゃんでも、シニアでも、高齢者でも、年寄りでも、年配の人でもない』ということがある。

◯には、自分の年齢が入る。僕の場合、55がはいる。

歳をとればとるほど、かっこいいなと思うのは、新しいものが好きで、そういうものをいつもワクワク楽しんでいる人たちだ。

明治や大正時代に、スーツを着こなしたり、自動車に乗ったりした、年配の人がいたと聞くと、なんだか、めちゃくちゃかっこいいと思う。

まあ、もちろん、歳相応というものもあるにはあるが、新しいモノは、それがそもそも誰のためのものかということも決められたわけではないので、いい歳をした大人が使っても、様になるのである。

人間は成功体験を得れば得るほど、自分の考え方や行動の枠を強固にかためてしまう。幸いというか、不幸にしてというべきか、僕はあまりたいそうな成功体験がないので、まだ、ガチガチではないように思うが、もちろん、そんな僕も、自分の枠、自分の考え方の箱の中でしか、ものを考えられていないことは確実である。

ともかく、そこを打破するためには、新しいものを体験する、自分の知らないジャンルの本を読み、話を聞く、どんどん新しいことをやってみる、そのようなことしかない。

パソコンの父と称されるアラン・ケイの言葉に、Point of view is worth 80 IQ points.(ものの見方はIQ80ポイント分に匹敵する)というのがある。

彼に言わせると、たいていの人は自分の枠を固めてしまって、80分のIQを失っていることになる。

自分の父を見ていて痛感するのだが、加齢によってそれがすすむと、減少するIQは80どころではない。自分を閉じ込めている箱はますます小さく固くなり、箱の外のことは一切拒絶するし、考えることもできなくなってしまうのである。

さて、そんなわけで、トラックボールマウスを買い、普通のマウスのかわりに使い始めることにした。

トラックボールマウスは、マウスそのものを机上で動かすのではなく、親指でトラックボールを動かすことで、マウスのような役割をさせるものだ。

多くの人が書かれているように、マウスを慣れればめちゃくちゃ便利であるという。

ただし、慣れるまでには、1週間かかり、もうやめようかと思いながら我慢して使い続けると、その後、劇的に便利になるという。

これを1週間ぐらい前に買って置き換えた。

やはり、使いにくい。とくに、チェックボックスにチェックを入れたりする、細かな作業を大量にする時、表示を拡大してやってみたのだが、それでも、狙ったところにポインタを置くのが難しく、イライラする。

55だしな・・・若い人のようにはいかないか・・・レビューにも親指は細かな作業に向いていないという指摘もあるし・・・やめるか・・・

親指を自由に動かすために、自分で発案した親指体操を、車の停車中など、暇な時にやってみた。

そして、ついに、昨日あたりから、違和感がなくなり、たしかに、劇的に快適に、能率的に使えるようになった。

チェックボックスのクリックにも、拡大表示の必要がなくなった。

もう手放せない。

家用にももうひとつ注文した。

まあ、ともかく、小さな小さなことだけど、僕は絶対に、新しいモノ好きのままでいようと思う。

トラックボールマウスだって使えるようになったのだ!

どこまでも、ついていくぞ!

(2015年1月29日「ICHIROYAのブログ」より転載)