オバマ「核先制不使用」(上)かえって高まる「戦争の危機」

日本にとって対中国と対北朝鮮では、アメリカの「核の傘」の信頼性に違いがある、ということを知っておく必要がある。

オバマ米大統領が「核先制不使用」を含む核軍縮政策を検討中、と米メディアが報じたのは去る7月12日のことだった。

「核なき世界」を訴えてノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領は、任期も残りわずかとなった今、オバマ政治の集大成を目指しているように見える。だが、アメリカの「核の傘」の下にいる同盟国はもちろん、オバマ政権の閣僚からも懸念の声が上がっているのも事実だ。

今回は、「核先制不使用」が日本に何をもたらすのか、また、それにどう対処するべきなのかについて検討を加えてみたい。

「大量破壊兵器」から「戦略的、政治的兵器」へ

まずは核兵器の「本質」について整理しておこう。

アメリカが原爆を開発し、広島と長崎に投下した1945年以降しばらくは、核兵器はアメリカが独占していた。1949年にソ連が原爆実験に成功してからは、米ソ両大国が核兵器を所有して睨み合う、いわゆる冷戦の状態となった。ただ、この時期の核兵器は、爆撃機に搭載して投下するしか使用方法がなかった。

敵地の投下地点に到達する前に、爆撃機が撃墜される可能性もあり、その意味では脆弱性を抱えた所謂「大量破壊兵器」(「大量破壊兵器」という用語が使われ出したのは冷戦後のことである)のひとつに過ぎなかった。

この様相を一変させたのが、1957年の「スプートニク・ショック」だった。アメリカに先んじたソ連の宇宙ロケットの開発は、長距離弾道ミサイルの開発と同義である。以後、米ソ両国は核弾頭を増やし、ミサイルを増やすことに力を注いだ。

そうした過程で出てきたのが、MAD(相互確証破壊)という戦略である。その理屈は、「対立する核保有国の一方が核兵器を先制的に使えば、最終的に双方が必ず核兵器により完全に破壊し合うことを互いに確証することになり、結果として核戦争は起こらない」というものだ。

例えば、ソ連が、ワシントンに先制核攻撃を行ったとする。ワシントンは国家としての機能を失うことになるが、弾道ミサイル搭載潜水艦など残存核戦力による反撃能力が残っていた場合、今度はアメリカの核がモスクワを壊滅させる。このことが確証できる以上、米ソどちらも核兵器は使えないのである。

このMADが提唱され、確立したのは1960年代後半以降である。1962年のキューバ危機では核戦争一歩手前までエスカレートした米ソ両国だったが、MAD確立以後、全面核戦争の危機は遠のいた。

というのも、これによって核兵器は「ほとんど使えない兵器」になってしまったからである。先制使用すれば自らも必ず破滅するなら、絶対に使うことはできない。その意味で核兵器は「軍事兵器」というよりも「戦略的、政治的兵器」になったのである。

通常戦争の抑止力にはなりきれない「核」?

MADによって核戦争の抑止は可能となった。が、通常戦争を抑止することまではできなかった。これを証明したのが、1979年に発生した、ソ連のアフガニスタン侵攻だった。

MADが確立している状況下で、アフガニスタンを「侵略」したソ連に対して核先制攻撃を行うことは、アメリカの破滅につながる。「侵略」という通常戦争を止めるために、ワシントンを犠牲にすることなどできない。このことにより、核は通常戦争に対する抑止力という意味でも「使えない兵器」であることが露呈したのである。

冷戦後、ISなどのテロリスト集団に対して、核兵器はそのテロ行為を抑止することができない。自爆テロという「死を恐れない」相手にも、核抑止は機能しないのだ。

ただ、国民国家を相手にする「戦略的、政治的兵器」としては依然有効であり、冷戦を終わらせたのも結局は核の力だった。

一般的には、冷戦終結の端緒となったのは、米レーガン政権が打ち出したSDI(戦略防衛構想)、俗にスター・ウォーズ計画と呼ばれるものだったとされる。ソ連が発射した戦略ミサイルを宇宙空間などで迎撃し破壊するというもので、これが本当に実現するならMADは崩壊することになる。それを恐れたソ連が厳しい経済状況の中、軍拡競争に走り、結局は息切れしたという見方だ。

だが、ソ連が本当に恐れたのは「スター・ウォーズ」ではなかった。

1983年にヨーロッパに配備されたアメリカのINF(中距離核戦力)が、ソ連を追い詰めたのである。仮に、INFがモスクワに向けて発射された場合、当然ソ連はヨーロッパに反撃する。

その結果、ワシントンだけが無傷で生き残り、米ソ冷戦はアメリカの一方的勝利になる。ヨーロッパのINFと、太平洋の第7艦隊が持つ核とでソ連は戦略的敗北を強いられたのだ。

これを打開するためには、INFを撤廃するしかない。そう考えたソ連のゴルバチョフは、ペレストロイカを進めて自らが撤廃交渉の当事者に足ることを示し、1987年にアメリカとINF全廃条約を結ぶことでMADを再確立した。だが、そのために支払った改革・民主化の代償は大きく、ソ連崩壊と冷戦の終結という結果を見ることになったのである。

アメリカの「核の傘」は信頼できるのか

では、日本を取り巻く、「核兵器」の状況はどうなっているのか。

まず、日本そのものについていえば、今もアメリカの「拡大核抑止論」=「核の傘」の下にいる。だが、ここで重要なのは、傘を提供している同盟国アメリカが、日本へ核攻撃を仕掛けてきた相手に対して本当に報復攻撃をしてくれるのか、という問題だ

つまり、「核の傘」の信頼性が高いのか低いのか、という議論になる。

現状、日本の周囲の核保有国はロシア、中国、北朝鮮の3カ国。中でも問題となるのが中国と北朝鮮だろう。

まず中国。

アメリカと同様、米国まで届くICBM(大陸間弾道ミサイル)を保有しており、理論上は、中国から東京への核攻撃に対し、アメリカがその報復として北京を核攻撃した場合、中国はワシントンに核ミサイルで反撃することが可能である。つまり、アメリカと中国の間にはMADが成立することになるから、日本にとってみれば、中国に対するアメリカの「核の傘」の信頼性は低い、ということになる。

では北朝鮮はどうか。

仮にノドンが東京に落とされた場合、アメリカが平壌を核攻撃しても、北朝鮮は現時点ではワシントンを核攻撃することはできない。したがって、日本にとって、北朝鮮に対するアメリカの「核の傘」の信頼性はきわめて高い、と言える。

つまり、日本にとって対中国と対北朝鮮では、アメリカの「核の傘」の信頼性に違いがある、ということを知っておく必要があるのだ。

アメリカが「核先制不使用」を宣言したら

こうした状況下で、アメリカが「核先制不使用」を宣言し実行した場合、いったいどういった変化が起きるだろうか。

現段階では具体的な政策として打ち出されてはいないが、アメリカだけによる「核先制不使用」宣言を額面通りに受け取れば、これは同盟国への核攻撃に対する報復としての核使用も「先制」ということになる。

例として、先に述べた日本と中国、日本と北朝鮮との関係で考えてみよう。

中国や北朝鮮が日本を核攻撃した場合、その報復として中国や北朝鮮に核を発射するアメリカの行為は、「核の先制使用」そのものとなる。中国や北朝鮮はアメリカ本土に核を撃ちこんだわけではなく、その意味では当事者ではないアメリカから「先制攻撃」された、という論理が成り立つからだ。

アメリカの核報復攻撃がこうした形で封じられると、「核の傘」の下にいる同盟国にとっては、「傘」がなくなってしまうことを意味する。

もうひとつは、「あいまい性」がなくなるということだ。先に述べたように、核兵器は核戦争を抑止してはいるが、通常戦争を完全に抑止できてはいない。

それでも通常戦争がそうたびたび起こらないのは、「そうは言っても、やっぱりアメリカも戦場で核兵器を『先制使用』するかもしれない」という「あいまい性」があるからだ。

実際ロシアは、戦術核兵器を戦場で使用するとの軍事ドクトリンを有している。

戦略面においてもそうだ。

例えば、先ほど中国に対するアメリカの「核の傘」の信頼性は低いと論じたが、「在日米軍の駐留兵士を見殺しにしないアメリカは、やはり本土から核ミサイルを北京に叩き込むのではないか?」との疑心暗鬼、「あいまい性」が存在している。そして、この「あいまい性」により、日本にとって中国に対するアメリカの「核の傘」の信頼性は担保されているのである。

ところが「核先制不使用」宣言は、この「あいまい性」を減じてしまう。

例えば、「力による現状変更」を企図する北朝鮮や中国にとっては、核兵器以外のいかなる方法で日本に対して武力を行使しようと、同盟国アメリカが自分たちに対して核による報復攻撃(=中国や北朝鮮にとっては核先制攻撃)はしないことがわかっているわけだから、彼らが通常戦争を「しない」理由がなくなるのだ。

つまり、逆説的かもしれないが、アメリカによる「核先制不使用」とは、アジア太平洋地域での戦争生起の可能性を高め、不安定化させる行為となるのだ。

このことが明白だから、オバマ「核先制不使用」宣言に対しては、ロシアの脅威を強く認識しているNATOを含めた米国の同盟国から拒否反応が出ているのである。

2016-04-22-1461296865-7032472-.jpg

伊藤俊幸

元海将、金沢工業大学虎ノ門大学院教授、キヤノングローバル戦略研究所客員研究員。1958年生まれ。防衛大学校機械工学科卒業、筑波大学大学院地域研究科修了。潜水艦はやしお艦長、在米国防衛駐在官、第二潜水隊司令、海幕広報室長、海幕情報課長、情報本部情報官、海幕指揮通信情報部長、第二術科学校長、統合幕僚学校長を経て、海上自衛隊呉地方総監を最後に昨年8月退官。

【関連記事】

(2016年9月5日フォーサイトより転載)

注目記事