『時をかける少女』の大林宣彦監督、10日に肺がんで死去 最新作の公開予定日だった

監督が旅立たれた10日は、最新作『海辺の映画館-キネマの玉手箱』の公開予定日だったが、新型コロナウィルスの影響により公開延期となっていた。
「花筺」初日舞台あいさつに登壇した大林宣彦監督(2017年)
「花筺」初日舞台あいさつに登壇した大林宣彦監督(2017年)
時事通信社

『時をかける少女』大林宣彦監督、死去 82歳 最新作の公開予定日に

“尾道三部作”と称される『転校生』(1982年)、『時をかける少女』(83年)、『さびしんぼう』(85年)などで知られる映画作家・大林宣彦さんが、4月10日午後7時23分、肺がんのため東京都世田谷区の自宅で亡くなった。82歳。葬儀・告別式は、家族葬(密葬)を執り行い、後日、お別れの会を予定している。喪主は、妻で映画プロデューサーの、大林恭子氏が務める。

1938年広島県尾道市生まれの大林監督は、3歳の時に自宅の納戸で見つけた活動写真機と戯れるうちに映画を作り始めた。テレビCM草創期にはチャールズ・ブロンソンの「マンダム」をはじめ、カトリーヌ・ドヌーヴなど多くの外国人スターを起用し、3000本を超えるCMを制作。

1977年に『HOUSE/ハウス』で商業映画に進出。自身のふるさと・尾道を舞台にした『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』の3作品は、世代を超えて親しまれ、今も新世代のクリエイターへ大きな影響を与え続けている。

近年には“大林的戦争三部作”となる『この空の花-長岡花火物語』(2011年)、『野のなななのか』(14年)、『花筐/HANAGATAMI』(17年)を発表。『花筐/HANAGATAMI』は、第72回毎日映画コンクール日本映画大賞、第33回高崎映画祭特別大賞などさまざまな賞を受賞し、第91回キネマ旬報ベスト・テンでは日本映画ベスト・テン第2位に選ばれ、監督賞を受賞した。大林監督個人では、04年春の紫綬褒章受章、09年秋の旭日小綬章受章。19年、令和初の文化功労者に選ばれた。

大林監督は、2016年8月に肺がんと診断され、余命の宣告を受けるも、転移を繰り返すがんと闘いながら、みずからの命を削って、平和をたぐり寄せる映画を作り続けた。監督が旅立たれた10日は、最新作『海辺の映画館-キネマの玉手箱』の公開予定日だったが、新型コロナウィルスの影響により映画館が休館し、公開延期となっていた。なお、遺作となる同映画は、近日公開を予定している。

■『海辺の映画館-キネマの玉手箱』公開に向けての大林宣彦監督のコメント

「自由に生きよ、それが平和の証だ」と父に言われ、当て所も無く18歳で上京した僕に、形見代りに持たせてくれた8ミリ映画を用い、銀座の画廊の一角で自作の8ミリ映画を上映した所、「新しきフィルム・アーチスト誕生」と世界から認定され、以降60年間テレビCM演出を資金に個人映画を創り続けて来ました。

東宝映画からの招きで、門外漢が初めてメジャーの撮影所内で撮った『HOUSE/ハウス』から、ジャンルを選択すれば如何なる純文学も商業映画になり得ると学び、あの太平洋戦争の純真な軍国少年であった体験を元に、さまざまなジャンルの映画にその思いを潜めつつ「厭戦映画」を作り続けて来ました。

「売れない作家の女房になる覚悟」で61年間、僕の映画を支え「私が最初の観客よ」と世界と僕の映画を結びながら共に生きて来た大林恭子と、11歳で『HOUSE/ハウス』の原案者に名を連ねた長女・千茱萸、ご亭主の絵の作家・森泉岳土、そして親しい旧・新の世代の仲間たちと、今日も映画作りに励んでおります。時代はいつか、個人映画ばかりになり、僕が願った映画作りの世になりました。その個人の自由と権力者の不自由の証を、愉しんで下されば、と。僕の正体が炙り出されれば、愉しいかな。

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