亡くなった大家さんに感謝を込めて。カラテカ・矢部太郎さんが「大家さんと僕」の続編で描きたかったこと

本当は描くつもりのなかった続編。そこに込められた思いとは……
satoko yasuda

2冊目は、描くつもりなかったんです」

お笑い芸人・カラテカの矢部太郎さんが初めて描いた漫画『大家さんと僕』。その続編となる『大家さんと僕 これから』が、7月に発売されました。

『大家さんと僕』は、1階に住む88歳の大家さんと矢部さんの日常を基に描いた漫画です。

初めは大家さんの距離感の近さに戸惑っていた矢部さんが、年齢も価値観も違う大家さんと少しずつ家族のような関係を築いていく様子が共感を呼び、80万部を超える大ヒット作になりました。

大ヒット作になったにも関わらず、『大家さんと僕』を1冊で終わらせるつもりだったという矢部さん。

実は『大家さんと僕 これから』を執筆中に、大家さんがお亡くなりになるという悲しい出来事が起き、矢部さんは予想していなかった「別れ」を描くことになりました。

なぜ、続編を描くことにしたのか、『大家さんと僕 これから』にどんな思いを込めたのか、ご本人に聞きました。

■2冊目を描こうと思わなかった理由

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2冊目を描こうと思わなかった理由は、描けないだろうと思っていたからです。

1冊目で描きたいことは大体描いたと思っていました。それに、1冊目を書き終えた時に大家さんの体調が悪くなって入院されたので、それを描くのもどうかなあという気持ちもあって。

ところが大家さんが、1冊目をすごく喜んで下さったんです。それを見て、もう1冊描いたらまた読んでもらえるんじゃないかな……と思うようになって。

『大家さんと僕』を描いた時は、大家さんの幸せな生き方を伝えられたらいいなあと思っていました。

高齢、独身、子どもがいないって、世間からネガティブにとらえられがちだと思うんです。だけど、大家さんはお一人で、独身でお子さんもいらっしゃらないご自分の生活をすごく楽しんでらっしゃいました。

漫画の中の「大家さん」はもちろん実際の大家さんご本人そのものではありませんが、大家さんの素敵な生活と、ユーモアにあふれるお人柄を、僕なりに表現してたくさんの人に知ってもらえたらいいなって。

僕自身も、そんな大家さんから色々なことを教わってすごく成長したと思います。

だから、続編を描くなら大家さんへの感謝を伝える一冊にしようと思いました。

あと、1冊目を出した時に大家さんから「全体的に湿っぽい」「私は賑やかなのが好きだわ」というご感想をいただいので、続編は1冊目より賑やかにしたつもりです(笑)。

■大家さんと戦争

僕は、大家さんがしてくださった色々なお話から、知らなかったことをたくさん教えてもらいました。

中でも、戦争のお話はよくされていました。思春期に経験した戦争は、大家さんや大家さんの世代の方には、大きな影響があるものだったんだろうと思います。

戦争の話をする時、大家さんは「忘れないでいて欲しい」とおっしゃっていました。だから、『大家さんと僕 これから』には、大家さんから聞いた戦争の話を、いくつか描かせてもらいました。

もちろん、一つ一つのエピソードが正しいかどうかは僕にはわからないことなので、大家さんの見た戦争を僕が聞いて僕なりに描いたもの、ということになるんですけれど。

描くことで大家さんの戦争のお話を、残せるんじゃないかなと思いました。

『大家さんと僕 これから』

■ おばあちゃんへの思い

1冊目を出した後、「矢部さんはおばあちゃんっ子なんですか?」とたくさんの取材で聞かれたんです。

だけど実は僕、自分のおばあちゃんにほとんど会ったことがなくて。特に母方の祖母には2回くらいしか会ったことないんです。

だから正直、おばあちゃんっ子なのかと聞かれて初めて、おばあちゃんのことを意識するようになったというか……。

そんなおばあちゃんへの思いも、『大家さんと僕 これから』で描いてみました。

『大家さんと僕 これから』

振り返ってみたら、大家さんの家に住むまで大家さんのように世代の離れた人に話を聞く機会がなかったんですよね。

自分では意識してなかったんですけれど、「もしおばあちゃんが生きていたら今からできることは何だろう、何をしたら喜ぶだろう」という気持ちが、大家さんの家で暮らすうちに生まれたのかもしれません。

僕、大晦日は大家さんと一緒に過ごすことにしていたんです。

大晦日って芸人にとっては書き入れ時なので「大晦日の仕事はNGです」と言うと怒られたんですけれど、僕もまあ、そんなに仕事しなきゃという気持ちもないんで(笑)。

大家さんの部屋で早めのおせちを食べながら、紅白を見て過ごしていました。紅白に出てくる人たちを大家さんが「知らない人ばっかりだわ」と言っているのを聞いて、僕が説明したりして。

そんな穏やかな大晦日の過ごし方が僕は好きでした。

だけどもしかしたら、大家さんと大晦日を一緒に過ごしていたのも、おばあちゃんとできなかったからと思う自分が、どこかにいたからなのかもしれないです。

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■大家さんとの別れ

2冊目を描き始めた時に、大家さんは施設に入られていたので、1冊目の『大家さんと僕』とは少し違う関係性を描くことになるだろうな、と思っていました。

だけど、まさか描いている途中で大家さんがお亡くなりになるとは思っていなくて……。

大家さんが亡くなったのは、2018年8月。ちょうど漫画では、大家さんが入院することを描いていた時でした。しばらくはショックで描けなくなって、描くこと自体もどうかという気持ちもあって、2〜3カ月休載させてもらいました。

執筆を再開したのは「歌舞伎町のタヌキ」という回です。ここから先は、描くのがすごくつらかったですね。

9年間住んだ、大家さんの家との別れもありました。

大家さんが亡くなる前に、ご親戚の方から「大家さんが施設に入ることになり、取り壊すことになった」と連絡がありました。

なるべく早く出て欲しいと言われて、かなり落ち込んだけれど、仕方のないことなのかなあ……とは思いました。僕は部屋を借りている身ですから。大家さんご自身が考えて決められたことなんだから、新しいことが始まるんだと思うようにしました。

だけど、そう考えられるようになる前に、「大家さんが大好きだったこの家を取り壊さなくてもすむように、何かできることがあるんじゃないか」と思って、入院している大家さんのところに行って「僕に、家を買わせてくれませんか」とお願いしたんです。

だけど結局、そんなことは大家さん自身、全く望まれていませんでした。それにお金も全然足りてなかったですしね。何も知らないんです、僕(笑)。

それに万が一お金が足りていたとしても、大家さんはそんなことされても嬉しくないと思うんです。なんか返せない恩を作っちゃう感じがしちゃうので……。いや、よく考えると恩でも何でもない、一方的な暴力的な感じですね。

そういう考え方も、大家さんから教わったなと思います。

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■大家さんとの「これから」

最初、続編のタイトルは「それから」にするつもりでした。大家さんはどんな時も明るい方だったし、続編だということを考えると、しっくりくるタイトルでいいなと思って。

だけどいろんな人から「夏目漱石の本と同じタイトルでややこしい。それに何のことかわからない」と言われて、それもそうだな、と。

それでどうしようかなあと思っていたんですけど、引っ越すことが決まった時に、大家さんに「ありがとうございます」とお礼をしたら、大家さんが「まだまだこれからが長いわよ」とおっしゃったことを思い出して。

大家さんなりのユーモアだったと思うんですけれど、色々な意味に取れるなと思いました。

それに、続編では大家さんと出会って僕自身が変わったことも描いているので、「変わっていく自分が続いていく」という意味も込めて、『大家さんと僕 これから』というタイトルにしました。

大家さんの家から引っ越して、今は一人暮らしです。戸数多めのマンションなんで、管理人さんは3人、掃除の方も2人くらいいて挨拶もするので、そんなに寂しくはないですね。

大家さんの家で暮らしていた時のように、また誰かと一緒に住みたいとは、まだ思えないです。

もし、もう一度大家さんの部屋で大家さんとお茶ができるのなら、この間行ったヨーロッパ旅行の話をしたいですね。

この間僕、イギリスとドイツに行ったんです。『大家さんと僕 これから』の書き下ろしは、ヨーロッパでも書いたんですよ。

大家さんが好きな紅茶のデパート、フォートナム&メイソンにも行きました。

大家さんは「昔はイギリスに行ったら、みんなフォートナム&メイソンの紅茶をお土産で買ってきたのよね、今ではどこでも買えるけれど」とおっしゃっていたので、「そこ行きましたよ、それ見ましたよ、そこで漫画描いたんですよ」って言いたいです。

大家さんはなんておっしゃるかって? 「ああ、そうですかー」っておっしゃるでしょうね(笑)。

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