2020年07月07日 10時01分 JST | 更新 2020年07月07日 13時52分 JST

「勝たなきゃ意味がないなんて詭弁だ」イチローが考える“個”の重要性

元NHKアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーの住吉美紀がイチローと語り合った。現役を引退してから約1年が経った今、イチローが若い世代に伝えたいこととは?

イチロー。言わずと知れたメジャーリーグ史上初の日本人野手だ。オリックス時代には7年連続首位打者。メジャー移籍後1年目にア・リーグ最多安打、新人王、そして年間MVPを獲得。10年連続200本安打を達成。10年連続ゴールドグラブ賞受賞。通算3000本安打達成。彼の功績をあげたらキリがない。 

そんなイチローとオリックスの関係は、18歳の時にオリックスに入団してから長く続いている。その多方面にわたる輝かしい活躍やパフォーマンスを通じて、私たちは幾度となく勇気付けられた。

2019年3月に現役を引退して次のステージに臨むイチロー。元NHKアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーの住吉美紀さんがイチローと語り合い、ここでしか聞けないような話を多く引き出した。

「最初から才能のある人間なんていない」

プロ野球選手になってから、全てが順調だったわけではない。インタビューを通して見えてきたのは、社会に出てもがく私たちを彷彿させるような、試行錯誤を繰り返すイチローの姿だった。

新型コロナウイルスの影響で、リモートワークやオフィス勤務再開など、働き方の「変わること、変わらないこと」に振り回されている人も多いだろう。そんな変化が激しい今こそ、チャレンジを続けるイチローの言葉をお届けしたい。(2020年1月中旬に取材)

Junichi Shibuya
右側、フリーアナウンサーの住吉美紀さん。左側、イチロー(本名・鈴木一朗)。 1973年10月22日愛知県生まれ。元プロ野球選手。マリナーズの会長付特別補佐兼インストラクター。91年にドラフト4位で指名され、オリックス・ブルーウェーブに入団。2001年にマリナーズへ移籍。12年にヤンキース、15年にマーリンズへ移籍。18年にマリナーズに復帰。19年3月に現役引退を発表した

「僕はあなたの言うことは聞きません」イチローの分岐点

高校からプロ野球界という“社会”に出て1年目。イチローは、「3年間2軍でプロとしての基礎を作り、4年目にレギュラーを獲る」というプランがあったと語る。

「5年目を迎える時には同い年の大卒の選手がドラフト1位で入ってくる。その時に、4年間をプロの世界で過ごした僕が彼らよりうまいのは当然だし、給料も上でなければならないと考えました」

しかし、そのプランは早々に崩れることになる。18歳の7月、寮でテレビを見ていたイチローに、当時のマネージャーから「明日から1軍だ」と電話があったと言う。

「計画とは違うし、僕にはまだ早いから断って欲しい、と伝えました。でも上からの指示だからどうにもならないと言われ、強制的に福岡に行かされました」

Junichi Shibuya
インタビューに応じるイチロー「入団当初からプランがありました」

だが、早々に1軍入りしたからといって、そのままスターダムに登りつめたわけではない。2年目までは1軍と2軍を行ったり来たりの状態だった。

「2年目の夏、僕がとにかく1軍打撃コーチの言うことを聞かなかったので、『俺の言うことを聞くのか聞かないのか、ここでハッキリしろ』と迫られたんです。驚きましたが答えは決まっていた。『僕はあなたの言うことは聞きません』とハッキリ伝えました」

自分のやり方でやる、と答えたイチローは、翌日2軍に落とされることになった。だが、その決断が大きな分岐点となったと語る。

「そこから振り子打法※を作って、その秋に仰木監督と出会います。人との出会いが、これほど大きな分岐点となったのは、最初にして最大、そして最後なのでは、と感じています」

※右足を振り子のようにゆらりと動かしながらタイミングをとる独特の打ち方

オリックスでなければ、“イチロー”は誕生しなかった

“鈴木一朗”が“イチロー”になれたのは、当時「あんな打ち方じゃダメだろう」と多くの人が批判した「振り子打法」を、そのままやらせてくれたオリックスの器の大きさにあったと、イチローは懐かしそうに話す。

「まだまだ子どもだった僕に、やりたいようにやらせてくれる、そんな器がありました。他の球団だったら間違いなく変えられていたでしょう。オリックスでなければ、“イチロー”は誕生していませんでした」

Junichi Shibuya
「オリックスでなければ、“イチロー”は誕生していませんでした」

2001年にアメリカに行った後も、オリックスとの絆は深い。今、イチローはオリックスとどんな思いで付き合っているのだろうか。

「僕の勝手な想いですが、オリックスと僕って、切っても切れない関係なんです。宮内オーナーとも、井上CEOとの関係もずっと続いています」

アメリカに挑戦したイチローは“スランプ”だった

本格的にアメリカ行きを意識しだしたのは、プロ野球界に入って5年目の1996年。“スランプ”に陥っていた時期のことだったとイチローは話す。

「5年目の僕は、スランプ状態に陥っていたんです。だけど結果が出てしまう。その感触が何とも気持ち悪かった」

Junichi Shibuya
「5年目の僕は、スランプ状態に陥っていた」と話すイチロー

野球界では最高峰のメジャーリーグに行けば、この感覚から抜けられるのではないか。そんな漠然としたイメージを持ったイチローは、その意志を球団に伝えた。

それから2000年のオフシーズンにシアトル・マリナーズに移籍するまでの約4年間、アメリカ行きを意識したイチローはどんな行動をとったのだろうか。

「日米でストライクゾーンが全く違っていたんです。外側に明らかに広い。アメリカに行った時の課題になると考えて、ボールだと分かっていても振りに行く癖をつける、そういうことはしょっちゅうしていましたね」

「勝たなきゃ意味がない」は詭弁だ

働く人、特に会社勤めの人の中には、「自分と組織」の関係に悩む人も多いのではないだろうか。近年は「個の時代」と言われる一方で、「チームのために」働く、「チームが勝てばいい」と考えて働く人も少なくないだろう。

しかし、イチローは、その考えを真っ向から否定する。

「野球は団体競技ですが、個人競技でもある。個人で結果を残せなかったら終わり。だから、個があって集団があると考えるのが自然です」

Junichi Shibuya
「個があって集団があると考えるのが自然です」

さらに、プロとアマチュアの違いについて、イチローは「“プロは勝たなきゃ意味がない”と言う人がよくいますが、そんなのは詭弁だ」と断言する。

「たとえ10対0で負けている試合でも、ものすごいプレーを見せればお客さんは喜んでくれる。どんな状況でもファンを意識しプレーする、それがプロです。『俺はチームのためだけに』なんてさわやかに言っているヤツは、口だけの薄っぺらい人間か、個人では他と戦う能力がないかです」

「生まれながら才能のある人間なんていない」多くの人が“一番できないこと”

イチローといえば、「何があってもやり抜く」というイメージがある。やり抜く力、いわゆる「GRIT(グリット)」は、今ビジネス界でも注目されているキーワードだ。やり抜く力は才能や能力よりも重要だと言う人もいるが、イチローの考えは少し違う。

「やり抜くということがそもそも才能の一部です。19年間メジャーリーグの世界を見てきましたが、それができる人はほとんどいませんでした」

Junichi Shibuya
「やり抜くということがそもそも才能です」

やり抜くことは才能だというイチローは、生まれながらにしてその才能を持っていたのだろうか。尋ねると、「いやいや」と笑いながらイチローは答えた。

「生まれながらに持っている人間なんて、存在するんでしょうか?」

では、どうやってやり抜く力を身に付けたのだろうか。

「実は、『これをやった方がいい』と感じることは漠然としている場合が多く、それをするのは難しいんです。だからより明確な、『しない方がいいことをしない』を重ねてきました」

「怖さや不安があるのは悪くない」イチローが若い世代に伝えたいこと

最後に、イチローから若い世代に伝えたいことを尋ねた。「失敗するのが怖い」と思う若い世代が多い中、イチローは「怖さや不安があるのは悪い状態ではない」と話す。

「何かにチャレンジする時、怖さや不安はあって当然。でもその感覚を持った上で、同じ世界でも違う道でも、どんどん踏み込んでいってほしい。自信満々の状態の方が、よっぽど怖いし、足をすくわれかねない、と僕は思います」

Junichi Shibuya
「怖さや不安があるのはいい状態なんです」

そして、「自分の経験から得たもの、肌感覚で得た教訓は強い」と強調した。

「どれだけ頭の中に情報を詰め込んでも、肌感覚で持っていないと弱い。失敗してなんぼ。特に若いうちは。そこから学ぶことこそが大切で、それが強さにつながるのだと思う」とイチローは語った。

今回のインタビューは特別に動画収録もしている。動画だからこその、イチローの熱いメッセ―ジを受け取れるチャンスだ。

(取材:住吉美紀/フリーアナウンサー、執筆・編集:中田真弥)