「大阪市」は消えても「大阪」は消えない

構想は二重行政の解消など行政の効率化を目的として「大阪市」を無くすもので、街としての「大阪」を消し去るものではないのだ。
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20代に転勤で大阪市内に住んでいたことがあった。遊びに行ったことはあったものの、生活者として暮らしてみると、関東以外に住んだことがない者にとって、カルチャーショックの連続だったと記憶する。それでも、周りの人は温かい。何よりも街を愛する人が多く、「大阪、好っきやねん」のひと言が象徴していると思った。

私が大阪で勤務していたのはバブル景気の絶頂期。当時の大阪は区が26あって、東西南北の4つがすべて揃っていた。そして、東京に戻った直後、行革の流れもあり、東区と南区が統合し中央区に、北区が大淀区を吸収する形で24区に減ったのである。

そこで思い出すのが、ミナミの繁華街の何カ所かに掲げられた「ワシらのミナミを無くすな!」の垂れ幕だ。行政区分上、「キタ(北区)」は残る一方で「ミナミ(南区)」が消えることが地元民にとり許せず、淋しく思ったのは想像に難くない。

今でこそ、関東と同じく関西でも都心回帰の現象があり、大阪市では中央区の人口増加が目立つ。2010年に実施された国勢調査によると、同区の人口は5年前に比べて17.9%増えたとか。しかし、合区となった当時の東南両区は、人口先細り状態となっていたため、行政の効率化が必要で、結果、南区は地図の上から消滅した。それでも「キタ」に対する「ミナミ」がこの世から消えた訳ではない。

なぜ、このようなことを思ったかというと、大阪都構想の住民投票に関する報道で「ミナミ」の垂れ幕を掲げたような理由で反対する人が多いと感じたためである。だが、同構想は二重行政の解消など行政の効率化を目的として「大阪市」を無くすもので、街としての「大阪」を消し去るものではないのだ。

賛成の立場である私の目から見て、同構想に反対され活動されている勢力は、「反対派」として一括りすることができない。個人的な見解として、反対派は「構想の内容に反対」「既得権を守るために反対」「大阪、好っきやねんから反対」に3つに分類できる。

構想の内容に反対というは、あって当然なのは言うまでもない。賛成派と議論を尽くせばいいだけのことである。また、「好っきやねん」を理由に反対することも、気持ちとしてわからないものはない。しかし、「大阪市」は無くなっても街としての「大阪」は残る。ただし、愛着を優先して行政の効率化が進まない場合、将来の大阪がダメにならないか、よく考えて投票すべきだろう。

一方、報道から気になったのは、既得権を守るために反対する勢力が、「好っきやねん」に情緒的に訴えて活動していると思われる点だ。対案を出すなど明確な理由を掲げるのならわかるものの、行政の非効率を維持することが既得権や利権に繋がるとみられるため、こうした勢力が合理的に反対の理由を説明できるはずがない。ゆえに、手立てとしては情に訴えるのが手っ取り早いのだろう。ここに今回の投票における危うさを感じた。

かつて存在した「南区」は合区により行政区分上でなくなったものの、道頓堀や千日前など「大阪」を象徴する繁華街の「ミナミ」は健在。その一方で、26区から24区に減少したことにより、その分、行政の効率化が進んだのである。

行政のサービスについて、将来に備えるための効率化、将来に不安を残しながらの現状維持、そのいずれに力点を置くかを問う――といったように、賛否の議論は合理的に行って欲しいものである。

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