大谷翔平の原点は「バドミントン」 本人が語る少年時代
■未来ノート―202Xの君へ―
いつも体を動かしている。プロ野球・日本ハムの大谷翔平(おおたにしょうへい、23)は、そんな子どもだった。「お弁当をつくって、近くの公園や河川敷(かせんじき)に行って。要(よう)は、いかにお金をかけずに遊ぼうか、っていう」と、母の加代子(かよこ)さんは振り返る。
3人きょうだいの末っ子は、とにかく元気。二つ上の姉、結香(ゆか)さんが買ってもらった自転車には先に乗れるようになり、転んだのか、どこかにぶつけたのか、姉が一度も乗っていないのに壊(こわ)したこともある。野球を始めたのは、小学2年の秋。地域(ちいき)の硬式(こうしき)野球チームに入ったときだ。
「野球を『やれ』とは言われていません。自然とやっていました」
父の徹(とおる)さんは、社会人野球の元選手で、7学年上の兄、龍太(りゅうた)さんも野球をしていた。身の回りにバットやグラブがあると、興味(きょうみ)を持つのは当然だったのかもしれない。
野球と出会う前は、二つのスポーツに親(した)しんだ。まず、バドミントン。これは、高校総体(そうたい)や国体に出場経験がある加代子さんの影響(えいきょう)が大きい。大谷が生まれたころは趣味(しゅみ)として続けており、練習にもよく連れて行っていたという。
幼稚園の年長になると、スイミングスクールにも通った。後に岩手・花巻東(はなまきひがし)高校で先輩(せんぱい)になる佐々木大樹さんは、一緒(いっしょ)にバドミントンや水泳をしていた幼(おさな)なじみ。「翔平のスマッシュは速いし、水泳も僕が6年生のときは、4年生の翔平が同じコースで泳いでいました」。運動能力(うんどうのうりょく)の高さを、間近(まぢか)で感じていた。
「バドミントンも水泳も好きでやっていたので、どの道に進(すす)んでもおかしくなかったとは思いますけど、一番最初にみたときに、かっこいいな、と思ったのは野球でした。一番自信(じしん)もありましたし」
ただ、タイミングを計(はか)って羽根(はね)を打つバドミントンと、体力づくりや関節(かんせつ)を柔(やわ)らかくするにはもってこいの水泳。どちらも、野球とは無縁(むえん)ではなかった。